天正十九年六月十九日(1590/7/20) 諫早
海軍に続いて行ったのが陸軍の再編である。
インド・アフリカなど、南方から西方へ国土が拡張し、北方ではアラスカから沿海州まで統治するようになった。そのためこれまで連隊規模や小隊~大隊規模の部隊配置で実施していたものを大々的に行う事としたのだ。
「陸軍大臣、只今の事の様(状況)で、いかなる兵力配置が要るであろうか?」
陸軍大臣の波多隆が答える。すでに初代の兼続は亡くなっており、二代目の長与権平純平も退官していた。
波多隆陸軍大臣は地図を広げ、現状の部隊配置を確認しながら答える。
「まず南方については、マニラとポートモレスビーに師団を置いているものの、インドネシア方面が手薄です。パレンバンに新たな師団配置を提案いたします」
スマトラ島の沿岸部は南東はバンテン王国、北西はアチェ王国が制海権を握っており、中部には強力な王国は存在していなかった。
そのため純正はパレンバンをはじめとした小国家に入植を始め、東岸は北のジャンビ
まで、西岸はバンテン王国支配下のブンクルより北、ムコムコの南まで入植をしていたのだ。
内陸部はアチェ王国の支配下ではなかったため、可能な限り入植した。
スマトラ島に関しては海軍より陸軍である。海軍はパレンバンとジャンビの沿岸部に輸送艦と哨戒艦の小部隊を配置するのみであった。
北方、南方、西方すべてに言える事だが、小規模の部隊を順次進駐させ、入植の進行状況にあわせて部隊を増強していたのだ。今回は正式な部隊編成と増強計画である。
陸軍大臣は続ける。
「パレンバンを中心としたスマトラ島の統治体制について、以下の編制を提案いたします」
「うむ」
「第十二師団をパレンバンに新設し、三個旅団体制とします。一個旅団は沿岸部の警備、一個旅団は内陸部の開発支援、一個旅団は機動予備としてパレンバンに置きます。総兵力一万八千名です。只今のように小規模部隊を分散配置するのではなく、強力な一個師団を置くことで、以下の事が能います」
1. 内陸部への入植促進
2. ジャンビからムコムコまでの統一的な統治
3. バンテン、アチェ両王国との安定的な関係の維持
4. 入植民の保護
「あい分かった。次は?」
「続いて、南方の統治体制について重要なのはスラウェシとなります。マカッサルを中心に、第十三師団の新設を提案いたします。マカッサルは租借地であり、我々の領土は沿岸部主体です。ゴア王国やブギス族国家との交易の中心地となりますので、第十三師団は以下の配置を提案します」
司令部:マカッサル(租借地内)
第1旅団:マリリから南東スラウェシ沿岸部
第2旅団:中部・北部スラウェシ沿岸部
第3旅団:マカッサルおよび西スラウェシ沿岸部
「各地の部隊は現地勢力との関係を維持しながら、入植地の治安維持を主任務とします」
「うむ。では南方は既存の3個師団に2個師団を加えた編成という事だな」
純正は強く目をつむり、大きく息を吸った後、そうまとめた。
「北方は如何だ? これもかなり広いぞ。入植は順調に進んでおるのか? アムール川流域は無論の事、アラスカから南へ進めていた計画も含めて全体的に報せよ」
波多隆の指が地図の北方部分に移る。
「は。それでは報告いたします。北方の入植状況ですが、アムール川流域では既にニコラエフスク・ナ・アムーレを中心にハバロフスクまで入植が進んでおります。ウラジオストクの沿岸部も同様です」
「うむ」
「アラスカ方面では、アンカレッジを拠点として南東部への入植が始まっております。ただ、現状は大隊規模から連隊規模へ拡充が進んでいるとはいえ、広大な地域の統制が難しい状況です。そこで以下の再編を提案いたします」
確かにアラスカおよび北米西岸からベーリング海、カムチャッカ、オホーツク、沿海州と広大な領土を統治するには小樽の1個師団と散発的な連隊規模の配置では少なすぎる。
逐次兵力の投入は行ってきたが、入植者に対して兵数が少ないのも確かであった。屯田兵のような役割も担っている北方の兵員ではあったが、本来はその統制と治安維持、外敵からの防衛が目的なのだ。
隆はゴホン、と咳払いをして続ける。
「第十四師団と第九師団の再編を下記の通り、五箇年計画として提案いたします」
第14師団(沿海州)
司令部:ニコラエフスク・ナ・アムーレ
第1旅団:ニコラエフスク・ナ・アムーレとその周辺(6千名)
第2旅団:ハバロフスクとアムール川の中流域(6千名)
第3旅団:ウラジオストクと沿海州の沿岸部(6千名)
第9師団(北太平洋)
司令部:ペトロパブロフスク・カムチャツキー
第1旅団:カムチャッカ半島から千島列島(6千名)
第2旅団:アンカレッジを中心とするアラスカ方面(6千名)
第3旅団:オホーツク沿岸部(6千名)
その他北方軍関連
金沢旅団(6千名)……独立旅団
盛岡旅団(6千名)……独立旅団
第5師団:小樽(1万8千名)……作戦上必要があれば上記2個旅団を隷下とする。
「これらの編制により、北方全域の防衛体制を確立できます」
純正は北方の地図を見つめながら、その広大さを改めて実感していた。小規模部隊の段階的な展開から、本格的な軍事力の整備へと移行する時期に来ているのは間違いない。
あるいは遅きに失したかもしれない。が、外敵の動きがないのが幸いしている。
ちなみにだが、陸海軍と政治の中枢にいる人物のしゃべり方は、随分と現代っぽくなってきている。大日本国の他の議員や職員は戦国時代だが、純正として転生して30年も経てば、こうなる。
「あい分かった。ではインド・アフリカ方面の編制は如何いたす? 特に入植を進めていたタウングー(タウングー朝)では9年前にバインナウンが死んでからは弱体化しておる。我が国の支援を求める中小勢力や国も多く、乱立してその支配の及ばぬ土地、シリアムをはじめとした沿岸都市は我が国の領土とした。そこら辺も踏まえぬとな」
タウングー朝とその周辺の地図に目をやり、インド・アフリカ方面の資料をまとめた後で発言する。
「では、インド洋地域の編成について申し上げます。第2師団(セイロン)を以下の体制で再編いたします」
第2師団司令部:コロンボ
第1旅団:セイロン島の治安維持(6千名)
第2旅団:アンダマン諸島の拠点防衛(6千名)
・第10艦隊との協力による機動的運用
第3旅団:ミャンマー沿岸部(6千名)
・シリアムを中心とした沿岸都市の統治
・タウングー朝の弱体化に伴う中小勢力への対応
第10師団司令部:カリカット
3個旅団でカリカット、ボンディシェリ、マスリパタムの拠点防衛(1万8千名)
「アフリカ方面の第十一師団は、ケープタウンを拠点とし、ナタールまでの沿岸部統治を継続します」
純正は特にミャンマー方面に目を留めた。タウングー朝の弱体化は新たな機会であると同時に、不安定要素でもある。第2師団3個旅団の運用が重要となるだろう。
■陸軍■
総兵力:24万6千2百名
師団長:少将~中将 軍団長:中将~大将 軍司令官:中将~元帥
■西部軍団(諫早):3万7千2百名
第1師団(肥前 諫早城)
3個旅団(6千)1万8千名
第3師団(阿波 白地城)
3個旅団(6千)1万8千名
※別途京都警備隊(1個連隊)
■南方軍:9万名:深作宗右衛門大将
南方第1軍団(マニラ)
第4師団(基隆)
3個旅団(6千)1万8千名
第7師団(マニラ)
3個旅団(6千)1万8千名
第12師団(パレンバン)
3個旅団(6千)1万8千名
第1旅団:沿岸部警備
第2旅団:内陸部開発支援
第3旅団:機動予備(パレンバン)
南方第2軍団(マカッサル)
第13師団(マカッサル)
3個旅団(6千)1万8千名
第1旅団:マリリ-南東スラウェシ沿岸部
第2旅団:中部・北部スラウェシ沿岸部
第3旅団:マカッサル及び西スラウェシ沿岸部
第8師団(ニューギニア・ポートモレスビー)
3個旅団(6千)1万8千名
■北方軍(小樽):6万6千名:小田鎮光大将
北太平洋軍団:小田賢光中将
第5師団(小樽):岡刑部貴明少将
3個旅団(6千)1万8千名
第9師団(北太平洋・ペトロパブロフスク)
3個旅団(6千)1万8千名
第1旅団:カムチャッカ半島-千島列島
第2旅団:アンカレッジ方面
第3旅団:オホーツク沿岸部
沿海州軍団:小田増光中将
第14師団(沿海州・ニコラエフスク・ナ・アムーレ)
3個旅団(6千)1万8千名
第1旅団:ニコラエフスク周辺
第2旅団:ハバロフスク方面
第3旅団:ウラジオストク沿岸部
金沢旅団 6千名
盛岡旅団 6千名
■東部方面:1万8千名
第6師団(駿河 吉原湊)
3個旅団(6千)1万8千名
■インド軍団(カリカット):3万6千名:神代兵部大輔貴茂中将(31)
第10師団(カリカット):1万8千名
3個旅団(6千)内1個旅団ソコトラ島(軍事的要衝のため要塞化)
第2師団(セイロン):1万8千名
司令部:コロンボ
第1旅団:セイロン島(6千名)
第2旅団:アンダマン諸島(6千名)
第3旅団:ミャンマー沿岸部(6千名)
■アフリカ
第11師団(ケープタウン):1万8千名
3個旅団(6千)
総司令部:諫早
かなり大がかりな軍拡計画であるが、素地は整っている。5年あれば十分に整うだろう。現行の連隊規模の部隊には順次旅団長・師団長を派遣して円滑な運用ができるようにする。
次は省庁の再編だ。
次回予告 第764話 (仮)『省庁再編と勢力圏構想その1』
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