1986年(昭和61年)2月24日(月) <風間悠真>
毎週月曜日になって会社いきたくなくなるっていうのは、学生の時もあんまり変わらんな。まあ当時は時間は無限にあると思っていたから、不毛な時間を無為に過ごしたとしても、『暇だー!』くらいにしか思わなかった。
だがしかし! オレは2回目の人生なのだ。
そんな事は言ってられない。将来の選択肢を増やすために、勉強もやらなくちゃいけないんだ。
「お、早いな。もう来てたんだ」
「うん……あれ? なんか眠そう」
「ああ、昨日ちょっとあんまり寝てなくてな。大丈夫だよ」
「ちょっと待って……はいこれ」
菜々子はそう言ってバッグからガムを取りだして渡してくれた。
おおー! ブラックブラックガムだ。懐かしい! 今でこそ耐性が出来ているが、中学生のオレ(13脳)にとっては刺激的だ。
「ありがとー」
「じゃあ時間がないから苦手なところを集中してやろうか。どこ?」
強い刺激のブラックブラックガムを噛みながら、理科のノートを開く。
「う、うん……大地の変化が全然分かんなくて……」
菜々子が申し訳なさそうに俯く。
図書室には誰もいない。そうだ、確か昼休みのような短い時間はくる生徒はいなかった。今回も同じか。それでなくても隅っこで本棚の陰に隠れたテーブルにオレ達は座っている。
「まあこれは単純に記憶問題だからな。憶えるしかないけど。……火山の部分から見ていこうか。この前の実験、覚えてる?」
「実験?」
「うん、先生が軽石を水に浮かべた」
「あ! あれ!」
菜々子の目が輝く。実験の記憶が蘇ってきたようだ。
「軽石ってすごく軽かったよね。なんであんなに軽いのか説明できる?」
「えっと……」
菜々子が教科書を覗き込む。長めのポニーテールがさわさわっと揺れる。
ああ! 触りたい! 毎日でも触りたい! いますぐ触りたい! 常に触りたい! 胸とかお尻とか触りまくりたい! 触って触られて……そして……。
「ねえ、聞いてる?」
「あ、ああ勿論……」
やばい。煩悩が脳内で暴発してしまったようだ。13脳よ、ちょっと深呼吸して落ち着こう。そうだ。冷静になれば大丈夫なはずだ。心頭滅却すれば火もまた涼しだ!
よし。オレは今、極めて冷静だ。いくぞ!
「じゃあもう1回。軽石のことだけど、まず溶岩から説明するね」
冷静に、冷静に。
「えっと、溶岩って地面に出てきたマグマのことだよね?」
「そう。で、その溶岩の一部が発泡して軽石になるんだ」
ポニーテールがまた揺れる。いや、見るな。教科書だ。教科書を見るんだ。ポニーテールが嫌いな男子はいないとはよく言ったもんだ(誰が言った?)。カレーが嫌いな人はいないと同義だぜ。
「発泡って……あ! マグマの中に溶けてた気体が泡になって、それが固まったってこと?」
「正解! だから軽石にはたくさんの穴が開いてて、水に浮くほど軽いんだ」
声が少し震えた気がする。いや、気のせいだ。オレは今、極めて冷静だ。理科を教えることだけを考えている。
「じゃあ火山が噴火すると、溶岩と……」
ポニーテールがまた揺れる。フローラルのシャンプーの香り。
いや、見るな。教科書だ。教科書を見るんだ。
オレの13脳は教科書の文章を棒読みするように説明する。目線は教科書から動かさない。動かすな。絶対に動かすな。
「悠真、さっきから大丈夫? 顔赤いよ?」
「だ、大丈夫! ブラックブラックの刺激が効いてきただけ!」
声が裏返った。13脳支配下の体は正直すぎる。早く大人の精神を取り戻さないと。いつも思うんだが、この13脳と51脳の入れ替わりはなんとかならねえのか?
いや、それはそれで楽しいんだが、事故が起きないことを祈る。
「あのね、もしかして……」
菜々子が少し身を乗り出してきた。
「次のページ! 次のページを見よう!」
慌ててページをめくる音が、図書室に響いた。
■28日(水)昼休み
「ここがよく分からないんだよね」
図書室の隅、月曜日に菜々子と勉強した同じ机で、今度は恵美と二人で勉強だ。
「ん、平氏と源氏の戦いか。平清盛が……」
説明しながらふと気配を感じた。本棚の向こうに人影。まさか……。
「平清盛って、最初は貴族に取り入って出世したんだよね?」
恵美の質問に戻る。でも、本棚の隙間から見える影が気になって仕方ない。黒髪のポニーテール……間違いない、菜々子だ。
「そう。清盛は娘を天皇の妃にして、平家の力を強めていったんだ。でも、それが貴族たちの反感を…」
説明を続けながら、ちらりと本棚の方を見る。菜々子は慌てて身を隠した。本棚の間から覗く様子が何とも可愛らしい……いや、今は恵美に集中……いやいや、源平の戦いに集中しないと。
「あ! そうか。だから源氏が……」
恵美がノートをとって顔をうつむかせている隙に、オレたち二人の距離を確認するように菜々子がそっと顔を覗かせている。
「うん。源頼朝が鎌倉に幕府を開いて、武士の世の中が始まったんだ」
本棚の陰で、菜々子が少し体を乗り出してきた。バランスを崩したのか、本棚がカタッと音を立てる。
「今の音、なに?」
「え? ちょっと待って」
オレはそう言って本棚の方へ向かい、裏側の恵美からの死角に入って菜々子の存在を確認した。
「誰もいないよ」
「そう?」
恵美はちょっとだけ首をかしげたが、すぐにもとの笑顔に戻る。
「御恩と奉公の話に戻ろうか」
「悠真……」
オレは恵美の右側に座っていたんだが、恵美が椅子を寄せてきた。肩が触れそうになるその瞬間、恵美がオレのふとももに触れてきた。
「おわっ」
オレはびっくりしてちょっとのけぞってしまったが、落ち着け13脳。お前には51脳がついているじゃないか。
「どうしたの?」
どうしたの? ってわざと? それとも天然?
恵美はオレを屈託のない笑顔でみつめて『?』という顔をしている。この前ハグしてから、オレの好意が伝わったから積極的になっているのか?
「あ、ごめん。この図が見にくいよね」
自然な感じで距離をとって教科書の図を指す。恵美は少し残念そうだけど、表情を崩さない。おっとりした性格なのに、やっぱり天然なのか計算なのか?
「将軍の下に御家人がいて、土地をもらう代わりに戦いに出るんだよね」
「そうそう。これを御恩と奉公って言うんだ」
「御恩と奉公か……」
恵美が小さくつぶやく。その声には何か深い意味が込められているような気がした。
「将軍が与えてくれた恩に対して、御家人は忠誠を誓って……」
説明を続けながら、本棚の方をちらりと見る。菜々子の気配はまだある。きっと今も覗いているんだろう。
「悠真も、いつも私たちに教えてくれて……」
恵美の声が少し上ずっている。13脳が警報を発する。これは、もしかして……。
「いや、そんな大したことじゃ……」
「でも、私すごく嬉しいの」
ガタン!
今度ははっきりと本棚が揺れる音がした。
「やっぱり誰かいるよ?」
恵美が不安そうに本棚の方を見る。
「あ、あはは……猫、かな?」
言い訳が苦しい。まるで中学生じゃないか。いや、オレは本当に中学生なんだった。
「猫? 学校に?」
「そ、そうだよね……」
この時のオレの顔は、きっと真っ赤になっているに違いない。13脳の動揺が顔に出るのを抑えられない。
そして、ついに。
「あの、ちょっと待って……」
菜々子が本棚の向こうから姿を現した。
「菜々子?」
恵美の声が小さく震える。
「ごめん……本を返しに来たら二人の声が聞こえてきて……」
そんな中、突然チャイムが鳴った。
「あ! もう次の授業の時間だ!」
三人同時に立ち上がる。慌ただしい動作の中で、教科書やノートを片付ける音だけが響く。
まあ、わかってはいても、自分以外とオレが仲良くすりゃあ気になるよな。
オレのハーレム計画、絶賛進行中。
次回予告 第59話『テスト終わりと女の子の制服』
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