第772話 『朝鮮出兵』

 天正二十年五月十三日(1591/7/3) 諫早城

「暑い! そして蒸し暑い!」

 ぐちぐちと文句を言いながら、その様相とは真逆の立ち居振る舞いで周囲を困惑させる人物が、諫早城の会議場へやってきた。その人物とはもちろん……。

 肥前国海軍艦隊総司令長官の、深沢義太夫勝行である。

 本人はまったく関心がなく邪魔とさえ思っていた官職も、艦隊規模も管轄地域も広大になって従六位上では不足という事で、従五位上左兵衛佐に叙位任官したばかりだ。

「お前はいっつもオレと顔を合わせればブチブチ文句を言ってばかりだな。ここがどれだけ涼しいかわかっているのか?」

 確かに、他の場所と比べて明らかに涼しい。

「まあ確かにそうなんだがな」

「十年以上前に実用化された技術だぞ? 今さら驚くことじゃない。あれ見てみなよ」

 純正が指差した先の中庭の一角に小屋が建っていた。

 小屋からは太い管がいくつも延び、会議場の壁に通じている。小屋の中では蒸気機関がせっせと動いているが、時折、プシューッという蒸気を噴き出す音が聞こえてくる。

「この冷風装置は叔父さんや科技省の技術者たちが、エーテルの気化熱を使って氷を作り、その氷で冷風を生み出している。溶けた水は無駄なく再利用されているそうだ。実に巧妙な仕組みだ」

 純正は得意げに説明した。
 
 勝行は既にこの冷風装置自体は知っていたが、改めてその精巧さに感心した。海軍、船と海の事なら勝行に聞け、と言われるほどだが、その他の事はまったくダメなのだ。

「ああそうだったな。すっかり忘れていた。十数年前、初めてこの冷風を体感した時は驚いたもんだ」

 ごほん!

 直茂がせき払いをした。

「義太夫殿、殿下は関白太政大臣となられ、この広大な領土を治め、かつ大日本国を導くお方なのです。いまさらですが、いつまでも童のようにされては、殿下の沽券こけんに関わります」

 勝行の眉がピクリと動いたが、すぐに元に戻って笑顔で返す。

「オレの言葉遣いや振る舞いは平九郎、殿下のお許しをもらっているのだ。それにお前らの大将は、オレの立ち居振る舞いごときで権を失するのか?」

「な!」

 ニヤッと笑って勝行が冗談っぽくいうものだから、面と向かって直茂も声を荒らげる事ができない。

「やめろ、二人とも。二人とも間違ってはいない。勝行、みんながいるときはほどほどにな。それから直茂、大目に見てくれ。勝行が言ったことも事実だ。そんな事で崩れる権威なら、大した物じゃない」

 純正の一言で、その場は収まった。直茂はふう、と息を吐く。そうは言っても憎めない、みんな勝行をそう思っている。




「さて、全員集まったな? 対馬守、只今ただいまの有り様を申すが良い」

 会議室には戦略会議衆をはじめ陸海軍大臣や情報大臣、財務大臣などの主要閣僚がそろっている。

「は」

 朝鮮から戻ってきた宗義智よしとしが報告を始める。傍らには資料を携えた柚谷ゆずや智広もいた。

「先月、朝鮮での朝議に参加し、実情を把握いたしました。明が哱拝ぼはい、女真、楊応龍の乱等々で疲弊しており、また寧夏鎮にて敗れた事で、再起を図って朝鮮に援軍を要請いたしました。これが分水嶺ぶんすいれいとなったようにございます」

「うむ」

「なおも明に従属するを良しとする勢力もございました。されどそれが民に塗炭の苦しみを味わわせる事、明は斜陽であるという事を示唆する報せ、それらとあわせ我が国に冊封される利と、万が一明が兵を起こしても我が国が必ず守ると約した故にございましょう」

 万座からおおお、とざわめきが起こる。

「つぶさなる(具体的)な手順について申し上げます」
 
 柚谷智広が一歩前に出て、書類を広げた。
 
「来月より、漢城にて冊封の儀を執り行う運びとなっております。我が国からは特使として……」

「待て」
 
 勝行が声を上げた。いつもの軽薄な態度は影を潜め、鋭い眼光で智広を見つめている。しかし出席している全員が、勝行のこの変わり様は何度も経験しているのだ。
 
「冊封の儀など後じゃ。明と一戦交えて、それも完膚なきまでに叩き潰してからの方がよい。冊封は決まっておるのだ。儀式だなんだとやっておる隙をつかれては元も子もない。戦は勝つべくして勝ち、負けるべくして負けるのだ」

「くくく……。変わらねえなお前の……、ん、ごほん。勝行の言うとおりだ。恐らくは今ごろは北京でも大事になっておるだろう。万暦帝がいくら無能だとしても、琉球につづき朝鮮まで冊封をやめるとなれば、明は世界の王たりえぬ」

「失礼……さすがは義太夫殿」
 
 義智は苦笑を浮かべた。
 
「実は、明の使者からは『このような無礼極まりない行為は、必ずや天罰が下るであろう』との言葉がございました」

「ふん、脅しか」

 勝行が鼻で笑う。

「さて、そうなると朝鮮の備えが要るが、如何いかほどの兵で何処いずこに配するかが重しとなるな」

「陸にござろう。大陸の国家であれば陸路にて鴨緑江を越えてくるは必定。然れば彼の地にて敵を迎え撃つのが定石にござろう」

 純正の質問に答えたのは、勝行の言葉をその通り、と言わんばかりにニヤリと笑って聞いていた、従五位下侍従の島津義弘である。
 
 現在は西部軍団長であり2個師団を従えていた。

 近年は陸海軍とも巨大化し、指揮官の数が足りなくなった、というのは結果論である。

 肥前国では20年以上前から陸海軍の指揮官を養成する学校が設立されており、元服後数年で入校し、22歳には士官候補生、23歳には少尉となって部隊に配属されていた。

 しかし、座学の知識はなくとも、実戦経験が豊富で部隊運用に長けた人材は無数にいたのだ。いわゆる戦国武将である。

 現在の自衛隊ではA幹部(防衛大もしくは一般大卒の幹部候補生)のほかに、B幹部(現場の若手)やC幹部(現場のベテラン)が存在する。

 同様に肥前国でも既存の戦国武将が士官学校や大学校へ入学し、知識を得て部隊に配属される事が通例となっていた。

 島津家が小佐々家に降伏したのは22年前の永禄十二年。義弘は35歳であったが、純正は年齢関係なく有能な人材の入学を認めたのだ。

 在学中に上杉戦を経験し、その後の実務経験を経て現在にいたる。

「うべなるかな(なるほど)。では如何いかがいたせばよいか。島津殿」

 純正がうなずき、義弘に問いかける。

「鴨緑江を越えて攻め入るには、義州府が要衝となりましょう。ここを押さえれば南下を防げますゆえ、第一軍をここに配します。兵力は二個師団、四万といたします」

 義弘は地図を広げ、義州府の位置を指し示した。

「朝鮮の北部は山が多く、平野は限られております。ゆえに、大軍で押し寄せようとしても、展開できぬ|隘路《あいろ》がいくつもあります。鴨緑江沿いの経路も同様で、義州府を過ぎれば、山岳地帯に分け入ることになります。第二軍をここに配備し、敵を各個撃破いたします。兵力は一個師団、二万で十分でしょう」

 次に義弘が指し示したのは、義州府の南、熙川付近である。

「島津殿の仰せのとおり、大軍の展開は難しゅうござろう。されど明の兵力は決して少なくはござらん。十万、二十万の大軍を率いて攻めてくるやもしれぬ。後詰としてさらに兵力を配しておくべきではござらんか」

 鍋島直茂が発言した。

「然様に考えております。ゆえに第三軍を平壌に配備いたします。平壌は朝鮮半島の交通の要衝であり、物資集積地でもあります。大軍ならば軍糧も膨大となりましょう。必ずや奪いにくると思われます。ゆえにここを抑えれば、敵の兵站へいたんを断つことができます。兵力は一個師団、二万といたします」

 義弘は平壌の位置を指し示した。

「更に予備として、第四軍を漢城に配備いたします。兵力は一個師団、二万です。以上、四個師団、計十万の兵力で明軍を迎え撃つ所存でございます」

 義弘は自信に満ちた声で締めくくった。

「うむ。確かに朝鮮半島北部は山がちゆえ、大軍の展開は難しかろう。されど十万の兵力はいささか多すぎる気もするが……」

 純正は少し考えてから口を開いた。

「確かに多すぎるやもしれませぬ。されど明の兵力は計り知ること能いませぬ。十万以上の大軍で押し寄せてくる恐れもございますゆえ、念には念を入れ、多めに配しておく方が賢明かと存じます」

「うむ、確かにそうじゃな。では、義弘殿の案でいくこととしよう」

 純正がうなずくと、一同も同意した。




「勝行、海軍の備えはどうじゃ?」

「待ってました!」




 次回予告 第773話 『朝鮮出兵-2-』

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