天正二十年五月十三日(1591/7/3) 諫早城
「待ってました!」
勝行はそう言って対明国海軍の構想を話し出した。
朝鮮半島から明国沿岸、そして日本列島までが描かれた東シナ海の地図の前で説明をするが、その地図は鴨緑江を境に精度が大きく変わっている。
朝鮮半島沿岸部の詳細な地図と、鴨緑江から西の沿岸部のおおざっぱな地図が組み合わさっていたのだ。
朝鮮国内は肥前国との交易が盛んだったために詳細な地図ができ、朝鮮と共有していた。しかし、明国の沿岸部については、遠方からのざっくりとした内容である。
「まず第一艦隊は、朝鮮半島西海岸に展開する。基幹となるのは旗艦『出雲』を筆頭とする四隻の戦艦だ。これに加えて重巡洋艦『榛名』、『比叡』、『愛宕』、軽巡洋艦『阿賀野』、『能代』、『矢作』、『酒匂』、『大淀』、駆逐艦『吹雪』、『白雪』、『初雪』、『深雪』、『叢雲』、『東雲』、『薄雲』、『白雲』。合計二十隻だ。これだけの戦力があれば、明の海軍など問題にならないだろう」
勝行は自信に満ちた声で答えた。
「うむ。朝鮮西海岸の制海権を完全に掌握し、海路からの明の補給路を断つことが肝要だ。まずは義州府へ兵員、弾薬、軍糧を運ばねばならぬゆえ、第一艦隊と呉の第二艦隊は、商船もあわせて総力をあげて輸送せよ。よいか」
「はは」
勝行は力強くうなずいた。
「次に台湾の第八艦隊にございますが、こちらは台湾海峡に展開させまする。旗艦『土佐』以下、四隻の戦艦、『吾妻』、『那須』、『蔵王』の重巡洋艦。軽巡洋艦は『由良』、『鬼怒』、『阿井』、『本明』、『高瀬』に駆逐艦『夏雲』、『峯雲』、『霞』、『霰』、『陽炎』、『不知火』、『黒潮』、『親潮』。合計二十隻。台湾海峡の制海権を確保し、明の南方艦隊の北上を阻止する。それと同時に主要な湊への攻撃も視野に入れ、港湾封鎖を行います」
「あいわかった。必要であればマニラの第六艦隊も動員して沿岸部の封鎖を行え。それから気球部隊だが……」
純正は少し考えてから言った。
「朝鮮半島沿岸に展開させ、明の艦隊の動向を常時監視せよ。敵艦隊を発見次第、直ちに報告すること」
「承知しました」
勝行の返事とともに、海軍関連の情報共有は終わった。
「よし、これで海軍の配置は決まったが、残りは補給だな」
純正は地図から目を離し、一同を見渡した。陸軍大臣の波多隆に視線を向けると、隆はうなずいて立ち上がった。
「兵站は、問題ないか? 補給線が伸びきって、逆に脆弱になる恐れもある」
純正は念を押した。
「はい。朝鮮国内の地図を作成し、水源や食糧、木材などの現地調達可能な場所をすべて把握済みです。また、主要都市から国境付近の防衛線までの道路や橋なども整っております。加えて武器弾薬、糧食、医薬品、建設資材などを大量に蓄えており、荷船(輸送船)の準備も整っております」
隆は自信に満ちた声で答えた。
「よろしい。開戦までに、さらに備蓄を増やし、万全の態勢を整えておくように」
「ははっ!」
隆は力強く答える。
「それから情報戦だが……」
純正は情報大臣の藤原千方に視線を向けた。
「は。既に明の沿岸部住民に対して戦意を失うような噂を大がかりに流しております。政府への不信感を高めておりますゆえ効果は上々で、各地で一揆が起きているという報せも受けております」
千方は冷静に報告した。
「うむ、それは頼もしい。民衆の支持を失った国が戦争に勝てるわけがないからな」
純正は満足そうにうなずいた。
「外務省は?」
「既に東南アジア諸国に外交使節を派遣し、明からの離反を促しております。特に、明の朝貢国に対しては、我々につくように説得工作を行っております」
外務大臣が答えた。
「よし。これで準備は整った。あとは開戦を待つばかりだ」
純正は深呼吸をして、改めて一同を見渡した。
「皆、よくやってくれた。明といかに対するかは長年の課題であった。然りながら恐れることはない。我らには、近代的な兵器と優秀な人材、そして揺るぎない正義がある。必ずや勝利を掴み、東アジアに新しい秩序をもたらそうぞ!」
「おおっ!」
部屋全体が、熱気に包まれた。
■紫禁城
「な、なんだと? 朝鮮が兵を出さぬと?」
礼部尚書は報告してきた部下の礼部侍郎に聞き返した。
「はい、そればかりか、わが天朝からの冊封を今後は受けぬ、今後は肥前国を宗主国と仰ぐと申しておったとか」
「な、なんたる事だ。しん……沈惟敬はそれで帰ってきたのか?」
「は、朝鮮は恫喝するも動じず、意思を曲げなかったといっております」
「……これは、今回ばかりは陛下に奏上しなければなるまい。侍郎よ、今すぐ兵部尚書のもとへ向かい、かき集められる兵がどれほどあるか聞いてくるのだ」
「陛下! 陛下! 臣、顧憲成、火急の用件にて奏上いたしたく、罷り越しました。なにとぞ、なにとぞ拝謁を賜りたく存じます!」
顧憲成は宦官の妨害にあいながらも必死で訴え、ようやく万暦帝は姿を現した。両脇に美女をはべらせ、酒の匂いすらする。これが一国の皇帝であろうか。
「……なんだ、礼部尚書よ。用件なら道休(宦官の名)を通せと言っておるであろう。朕は忙しいのだ……」
「琉球に続き朝鮮も! わが天朝の冊封を受けぬと言っております! 北では哱拝が反乱を起こし、四万の軍勢で魏学曽が討伐に向かうも戦死、さらに東ではヌルハチが台頭し、播州では楊応龍が反乱を起こして、いまだ鎮圧できておりません!」
顧憲成はこの機を逃すまいと、短い言葉で端的に力強く訴えた。
「……なに? なん、だと……? 朕は、朕はそのようなことは聞いておらぬぞ! 道休よ! どうなっておるのだ!」
やはり……。顧憲成の予想通りであった。
「も、申し訳ございません! 私は何も聞いておりません! おそらく下の者が忖度して私に報せなかったのでしょう。厳しく罰しておきますので、どうかお許しください!」
宦官の道休は平身低頭で謝った。
「……ふう、ふう……。まあ、よい。顧憲成よ、わが大明がそのような屈辱を受けて黙っておるわけにはいかぬ! 直ちに兵を率いて逆賊どもを滅ぼすのだ!」
「お言葉ですが陛下、いかにわが天朝が強大でも、一度に三方へ兵を出す事は難しいかと存じます」
「そのような事はお主らが考える事であろう? お主をこの件の責任者といたす。偽りの和平を結ぶなり、なんでも良い! とにかく滅ぼすのだ!」
「ははっ」
顧憲成は頭を下げたが、内心ではため息をついていた。皇帝は現実を理解していない。明は既に衰退しており、複数の戦線を同時に維持することは不可能に近い。
「具体的な戦略を練るために、兵部尚書と山東巡撫、遼東巡撫を呼び寄せよ。朝鮮遠征軍の編成と、各方面の兵力配置について協議する」
「ははっ」
次回予告 第774話 『朝鮮出兵-3-』
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