第774話 『朝鮮出兵-3-鴨緑江の対峙』

 天正二十一年二月十八日(1592/3/31) 朝鮮・明国国境 鴨緑江

「申し上げます! 敵日本軍、鴨緑江の対岸に陣をはり、待ち構えております!」

 明軍の総大将である楊鎬ようこうは斥候の報告を聞いて考え込む。

 軍は鴨緑江の西岸から数キロ離れた地を進軍中であった。
 
 昨年5月の朝議のあと軍議が開かれ、16万の大軍の総大将を拝命したのだが、この大軍は急遽きゅうきょ集められた農民も多く、士気はお世辞にも高いとは言えなかった。

 精鋭は4万。残りの12万は若年兵や老兵も含まれている。

 肥前国の陸軍は昨年夏には布陣を終え、周囲の地理や天候などの調査も終わり、準備万端で待ち構えている状態であった。

「数はどのくらいだ?」

「は、およそ4万かと」

「なに、4万だと? あり得ぬ。朝鮮軍の間違いではないのか? 肥前王を僭称せんしょうしている男が率いる軍ではあるが、わが明には及ばずとも強大と聞いている。それがたかだか4万の兵でわが明と戦うとは、舐められたものよ……。もう一度調べてこい!」

「はっ!」

 斥候は再び馬を走らせ、鴨緑江へと向かった。

 楊鎬は内心穏やかではない。

 報告された兵力があまりにも少なすぎる。いくらなんでも4万で16万の明軍を相手にしようとは考えにくい。何かの策略か、あるいは斥候の情報が間違っているのか。

 いずれにせよ、このままでは進軍を躊躇ちゅうちょせざるを得ない。




 しばらくして、別の斥候が息を切らせながら戻ってきた。

「報告いたします! 敵軍、鴨緑江の対岸に軍を二つに分けて陣を構え、わが軍と同じフランキ砲を多数備えて待ち構えております! また兵一人一人が手銃(火縄銃の祖先のようなもの)を携えておりました。さらに幾重にも穴を掘り、その中に隠れるように身構えております。その中央に本体を構えております」

「何だと? 詳しく申せ!」

 やはり敵兵が4万というのは間違いないようだ。しかし、手銃をすべての兵が持っているとは……。それにフランキ砲の数も多い。ここは数で勝っているとしても、慎重にいくべきだろうか。

 楊鎬は力強く宣言した。

「敵は鴨緑江の対岸に布陣している。ならば、我々は上流と下流に分かれて渡河し、敵を包囲するのだ! そして、一斉攻撃をかけて殲滅せんめつする! 敵の武器が強力であろうと、数に勝る我々が負けるはずがない!」

 楊鎬の言葉に、将校たちは少しばかり勇気づけられたようだった。

「しかし、軍務様。敵の武器の射程が長いと聞いております。迂回うかいして包囲しようとしても、反撃を受けるのではないでしょうか? それに穴を掘って守るとは珍妙ではありますが、馬が使えません」

 一人の将校が懸念を口にした。

「確かにその通りだ。しかし見よ、この天気を……。今にも雨が降りそうではないか。雨の日には大砲も手銃も使えん。それならば歩兵が主の戦いになろうとも、数に勝るわが軍の勝ちである」

 おおお、とざわめきとともに将兵の意気があがる。




 ■鴨緑江東岸 

「兄上、敵はまた随分と集めたもんですな」

 弟である第1師団長の島津歳久の発言に義弘は答える。

「なに、数が多くとも烏合うごうの衆よ。我ら薩摩隼人……ではないが精強無比な西部軍団の敵ではない」

「その通り。わが軍は兵数で劣るとはいえ、大砲の数も鉄砲の数も十分にござる。我が西部軍団のみで敵を殲滅できましょう。後ろの隘路あいろに控える第六師団や、南方からきた第四のいる平壌、第七の守る漢陽にまで攻め込まれることなどないでしょう」

 今度は家久だ。

「そうは言っても油断は禁物じゃ。見よ、渡河を考えて備えをしておる。然れど日ノ本とは違い深く広い川じゃ。船がなくては渡れまい。渡河の途中で攻めれば一巻の終わりとなろう」

 義弘が兄弟二人の意見を聞くように言った。

「然れどそれでは、敵を叩き潰すことは出来ますまい。ここはわざと川を渡らせ、頃合いを見て殲滅するのは如何いかがでござろうか」

 地図上の鴨緑江の西岸から東岸を指でなぞりながら家久が言うと、歳久が問いかけ、補足する。

「ふむ。確かにそれは良案であろう。然れどまったく何もしなければ敵に感づかれよう。大隊から連隊規模の兵を用いて川岸から攻撃させましょう。適当に攻撃したら退き、敵がくるのを待つのです」




「あい分かった。まずは敵に鉄砲をしかけ、退き、敵が突撃をしてきたなら砲撃を行い、その後残敵の掃討をいたそう」




 ■鴨緑江西岸

「敵の動きはどうだ? 変わりないか?」

「はっ! 変わりありません。川岸から少し離れたところに穴を掘り、動きません」

「ふむ……。やはり4万の寡兵かへいでもって16万のわが軍を迎え撃つか。なにか策があるのか? それともただの阿呆あほか」

 楊鎬は考えている。どうにも引っかかる。圧倒的優位なのにも関わらず、この胸騒ぎはなんであろうか。




「申し上げます! 敵の陣地の空高く、巨大な天灯多数あり!」

「なに?」

 天灯とは熱気球の原理で空中を浮く、紙と竹でできたランタンのような物である。楊鎬が幕舎の外へ出て肥前軍の上空を見ると、確かに気球のようなものが複数上がっているのが確認できた。

「なんだ、あれは? あのような巨大な天灯は見た事もない。あのような物が浮くのか?」

 浮くのか?

 浮いているのである。

 しかも、楊鎬をはじめとした明軍からは視認できないが、有人なのだ。
 
 肥前国陸軍は何年も前から観測用に気球を運用しており、天正九年八月十七日(1580/9/25)に開発されているが、実戦投入はこれが初めてである。

 望遠鏡を使っての索敵は行っていたが、この気球によって明国軍の動きは逐一軍団司令部の義弘のもとに送られてきていたのだ。




 次回予告 第775話 『肥明戦争』

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