第291話 『上海租界とリボルバー』 

 文久二年八月十八日(1862年9月11日) 上海 フランス租界 ホテル『宏記洋行』 

 部屋には佐賀藩の中牟田倉之助、薩摩藩の五代友厚、そして大村藩士の峰源助がいた。彼らは皆、晋作と同じく通商のために上海に来ていた同志である。

「おお、晋作君か。気晴らしに出かけるのではなかったのか? 如何いかがした、慌てた様子で」

 中牟田が尋ねると、晋作は真剣な表情で一同を見渡した。

「薩摩が、島津の行列が、イギリス人を無礼討ちにしたらしい」

「なんだって! ?」

「……それでてんやわんやの大騒ぎで、大村家中の船を使って公儀が彼等を遣わしたんだ」 

「どういう事だ? ……確かに一大事じゃが、上海のそれがし達になんの関わりがあるのだ?」

 それは某から申し上げましょう、と雄城が話し始めた。

「初めてお目にかかります。それがし大村家中、雄城直紀と申します。こちらは同じく今道晋九郎」

「今道晋九郎と申します」

 紹介が終わると雄城は生麦事件の状況を詳しく語り始めた。イギリス人一行が薩摩藩の行列に遭遇し、無礼討ちにあったこと、負傷者が出たこと、そして幕府とイギリスの間で緊張が高まっていること。全てを聞いた一同は言葉を失った。

 そして何より、無礼討ちの前に身元不明の外国人が発砲し、逃亡したのだ。

「まさか……こんなことが……」

 五代はただ、つぶやいた。薩摩藩士として、今回の事件の重大さを誰よりも痛感したのだ。

「そこで御家老様は、もしやイギリスが裏で糸を引き、この事件をわざと起こしたのではないかと考えたのです。逃亡した二名が上海に行ったと聞き、我らを遣わして、力を合わせて行方を追うようにとの仰せにござる」

 雄城はそう言って締めくくった。

「なるほど……それで我々に協力を求めるというわけか」

 晋作は腕を組み、考え込むように言った。

「確かに、イギリスが裏で糸を引いている可能性は否定できん。もしそうであれば、これは大きな国際問題になるな」

 しばらく間が空いて、中牟田が疑問を投げかける。

「しかし、イギリスがそんなことをする理由があるのだろうか? 日本を混乱に陥れて、何か得をすることがあるのか?」

「それは……例えば、今回の件で浮き彫りになったが、外国人の治外法権を認めさせるとか、関税の自主権をなくすとか、そのような不平等条約を結ばせて、ゆくゆくは日本を清国のようにするためと考えれば、合点がいくであろう」

 峰が答え、続ける。

「あるいは、日本を植民地化するための布石……ということも考えられる」

「植民地……」

 中牟田をはじめ一同は深刻な面持ちで顔を見合わせた。もし本当にイギリスがそのような陰謀を企んでいるとすれば、日本は未曾有の危機に直面していることになる。

「そうなれば……まずは逃亡した二人の行方を追うのが先決だ」

 五代が口を開いた。

「彼らが何者で、なぜ発砲したのか……それを突き止めなければ、真相は明らかにならない」

「しかし五代君、捜すと言っても、いったいどうやって捜すというのだ? 上海は広いぞ」

 晋作が五代に視線を向けた。

「そこだ。闇雲に捜しても時間だけが過ぎるだろう……どうやって捜すか。日本なら奉行所か伝手を頼るか、寺社の立て札に張り紙……飯場や旅籠などだろうが」

 五代の発言に晋作は考え込んだが、やがてひらめいた。

「……ああそうか、蛇の道はヘビだ」

「?」

「晋作さん、我ら二人は御家老様の命をうけて参りました。他の家中の皆さんはどうかわかりませんが、正直家中がどうのと言っている場合ではないと思うのです。日本の事です。先を言ってください」

 雄城直紀は21歳、高杉晋作は24歳である。
 
 他は中牟田倉之助26歳、五代友厚27歳、峰源助が38歳だから総じて若く、今道晋九郎が19歳ともっとも若い。晋九郎は語学力を買われての渡航であった。

「蛇の道はヘビ……つまり、人が集まるところを捜すのさ」

 晋作はニヤリと笑って言った。

「だから、それがわかれば苦労はしない……実際……」

 中牟田の反論を晋作が遮る。

「だいたいわざと拳銃を撃って逃げたんなら、その手の人間だろう? そいつらが集まる所はどこだ? 酒場、賭場、女郎屋……それでそこいらを縄張りにしてまとめてんのは誰だ?」

「……青幇ちんぱんか」

 五代が低い声でつぶやいた。上海の裏社会を牛耳る巨大組織、青幇。彼らならば、逃亡犯の情報を持っている可能性が高い。

「その通りだ」

 晋作はうなずいた。

「青幇に接触できれば、手がかりが掴めるかもしれない。然れど奴らに近づくのは容易ではない……」

「待たれよ」

 峰が口を開き、続ける。

「青幇……某はあまりよく知らぬが、上海の裏社会を仕切っているのが真として、あまりにも危ういのではないか。下手に関われば、命を失う恐れがある」

「峰殿の言う通りだ。もっと安全な方法を探すべきではないか?」

 中牟田が同意した。

「確かに危険は伴う」

 晋作は認めた。

「だが、他に方法がないのも事実だ。それに、我々にも武器はある」

 晋作は懐から小さなピストルを取り出した。

「いざとなれば、これで応戦することもできる」

「あ!」

 その瞬間、雄城直紀が思い出したように声を上げた。

「皆さん、少々お待ちを。晋九郎手伝ってくれぬか」

「はいっ」

 そう言って雄城直紀は晋九郎を伴って自分達の部屋へ向かい、しばらくすると大きなカゴをもって現れた。

「はいどうぞ!」

 そう言って雄城が取りだして全員に配ったのは、大村藩製のリボルバーであった。それぞれに拳銃を配り、弾も配る。

「おお……これは」

 中牟田は手にしたリボルバーを興味深そうに眺めながら言った。

「大村家中では、このような武器も製造しているのか」

「はい、最新式のリボルバーにございます。我が家中で独自に開発したものにございますが、威力も精度も、西洋物にひけは取りません」

 雄城は誇らしげに言った。

「なるほど……これは心強い」

 晋作もリボルバーを手に取り、感触を確かめた。

「これで、いくらかは安全が確保できる」

「しかし、かようなものを持っているとは……雄城殿は用意周到にござるな」

 五代は驚きを隠せない様子だった。

「いやいや、これも御家老様のお考えにございます。上海は国際都市とはいえ、治安が良いとは言えません。万が一の事態に備えて、護身用として持たせていただいたのです」

 雄城は謙遜した。

「ふふふ……次郎様はなんでもお見通しだな。あとは……」

 晋作の考えを見透かしたかのように、雄城は今道を促した。
 
「な! なんじゃこりゃあ!」

 今道が別のカゴをいくつか開けると、そこには洋銀で何ドル分あるのだろうか? カゴ一杯に詰め込まれたドル・フラン・ポンド、そして清国の1両(テール)通貨があったのだ。

「長崎の大浦屋と小曽根屋経由でそれぞれに両替しておきました。こちらでやると日本人だからと足下を見られかねませんからね。これで、もう心配はないのでは?」

 晋作は笑いが止まらない。

「あはははは、まったくあの御仁だけは、オレの考えの先の先をいく。よし、これで明日行くところは決まったぞ」

「どこにいくんですか?」

「言っただろう? 蛇の道はヘビだ、と」




「晋作さん、わかっているとは思いますが、遊郭は、だめですよ」

「……」

 今道晋九郎の問いに晋作は答えなかった。




 次回予告 第292話 『フランス租界と青幇』

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