第304話 『公式記者会見』

 文久二年十月二十九日(1862年12月20日) 神奈川奉行所 

「Well, first of all, thank you all for taking time out of your busy schedules to join us. (えー、まずは皆様、お忙しい中お集まりいただき有り難うございます)」

 会見は次郎の流暢りゅうちょうな英語の挨拶から始まったが、島津久光はさすがに同席していない。
 
 本来なら同席するのが当然なのだが(現代なら)、話がややこしくなってしまう恐れ(久光の暴発)があったので、信正と純顕を正面ではなく横の関係者席に臨席させて、次郎が報道官として矢面に立つ事となった。

「本日お集まりいただきましたのは、去る8月26日に相模国生麦村で発生した傷害事件について、新たな事実が判明しましたので、それをお知らせするためです。ただし、この会見の内容については、イギリス政府は否定している事をご理解のうえ、質疑応答をお願いいたします」




 次郎は用意していた資料を配布し、落ち着いた声で説明を始めた。

「今回の事件は、当初、薩摩藩の行列に対するイギリス人旅行者の無礼な行動が発端とされていましたが、調査の結果、事件はイギリス政府関係者によって計画的に仕組まれたものであったことが判明しました」

 会場にどよめきが起こる。

「計画的……とは、どういう事ですか?」

 ジャパン・タイムズのチャールズ・D・リッカービーが鋭く質問した。

「はい。我々が確保した証言と証拠から、イギリス政府関係者が2人のイギリス人を雇い、故意に拳銃で威嚇発砲して、薩摩藩の行列を混乱させた事が明らかになりました。彼らの目的は日本国内の混乱を招き、イギリスの権益拡大を図ることでした」

 生麦事件はイギリスだけではなく、列強各国がその成り行きを見守っている関心事である。イギリス政府関係者、という実名を伏せた次郎の発言に、記者達は驚きを隠せない。

「イギリス政府関係者、というのは具体的に実名が判明しているのですか?」

 デイリー・ジャパン・ヘラルドのアルバート・ウィリアム・ハンサードが、ペンを走らせながら質問した。

「はい。オールコック前駐日公使が関わっていたことが、証言と証拠から明らかになっています」

 次郎は静かに答えた。会場が騒然となる。前公使が事件に関与していたという事実は、衝撃的なニュースだった。

「証人と証拠……ですか。それは具体的にどのようなものなのでしょうか?」

 ジャパン・コマーシャル・ニュースのF・ダ・ローザが質問した。

「まず証人ですが、工作員として雇われたイギリス人2名のうち1名と、上海のイギリス領事館員1名をこちらで保護しています。彼らの証言から、オールコック前公使が事件を計画し、実行を指示したことが明らかになりました。もう1名の工作員は、残念ながら今回の事件とは別の事件に巻き込まれて亡くなりましたが、生前の彼の証言も、前公使との繋がりを示しています」

「亡くなった、とはどういう事ですか? 事件に巻き込まれた? 別の事件とは?」

 ジャパン・ガゼットのジョン・レッディ・ブラックが矢継ぎ早に質問する。

「上海租界で起きた銃撃戦で死亡しました。正確には2人とも助かったのですが、術後の突発的な状態悪化で死亡しました。この銃撃戦は、我々が上海へ派遣した捜査員が雇った青幇ちんぱんと、パークス現上海領事が雇った紅幇ほんぱんとの間で起きたものです」

「つまりは……生麦事件に関与した2人の身柄の確保を巡って貴国の捜査員と駐清英国上海領事との間で争いがおき、貴国が雇った青幇と、英国領事が雇った紅幇との銃撃戦に発展した、と?」

 ブラックはにわかには信じられないような思いである。

「はい。2人は青幇から撃たれたのではなく、匿ってくれるはずの紅幇から撃たれたとの証言があります。これは、そこに居合わせた英国領事館の職員からも、同じ証言がとれています。紅幇から撃たれた、と」

「それはまさか、証拠隠滅のために過失ではなく故意で撃ったと?」

「2人の証言と状況からすると、それが妥当ですが、ご判断はお任せします」

 会場がざわつき、記者達は憶測を交えながら次々に質問を次郎に浴びせてくる。

「Mr.オオタワ! 領事館員も銃撃戦に巻き込まれたと仰いましたが、領事館員がなぜ銃撃戦の現場に居合わせたのですか?」

 ジャパン・タイムズのリッカービーが質問した。

「はい、その領事館員の証言によりますと、紅幇による2人の捜索は行き詰まっており、領事からの指示で状況を報告するために同行しろと言われていたようです。そして2人を確保したところに、わが方の捜査員と青幇が現れた、という次第です」

「では、その領事館員は、パークス領事が紅幇に殺害を指示する場面を目撃したのですか?」

 デイリー・ジャパン・ヘラルドのハンサードが鋭く問いかけた。

「いいえ、直接的な指示の場面は目撃していません。正確にその領事館員の証言をお話ししますと、銃撃戦の最中、分が悪くなってきた紅幇は逃げようと画策したようです。しかし、逃げてしまえば2人は日本側の手に落ちる。そして自分(領事館員)も一部始終を見ているのですから、生かしておけば悪い報告しかしない……」

 記者達全員の注目が次郎に集中する。

「そこでまず2人を撃ち、驚いた領事館員に向かって、明らかに故意に銃口を向けて撃ってきたそうです。しかも2発」

 次郎は少し間を置いて、続けた。

「領事館員は横浜のニール代理公使から、生麦事件で不審者2人が発砲したことや、その2人が上海に向かった事、そしてその2人を捜索して保護するように依頼が来ていた事を証言しています。しかしそれが遅々として進まず、日本側から捜査協力を依頼されたとも聞いていました。パークス領事はそういった状況に業を煮やし、その領事館員は紅幇へはっぱをかけるように言われたようです」

「しかし、状況証拠だけではパークス領事の有罪を立証するには不十分ではないでしょうか?」

 ジャパン・コマーシャル・ニュースのダ・ローザが冷静に指摘した。

「重要なのはそこではありません」

 次郎もまた冷静に回答する。

「いえ、もちろん重要な事なのですが、それよりもまず、この横浜においての交渉のなかで、ニール代理公使が上海へ不審者2人の捜索と保護を依頼した事の方が重要なのです」

 ダ・ローザは自身の質問の答えが返ってこない事に対する不満より、事件の本質が上海で起きた事よりも、それを起こした原因にあると言う事をいち早く感じたのだ。

「Mr.オオタワ、つまり、あなたはニール代理公使が生麦事件に関与していたと仰りたいのですか?」

 ダ・ローザは単刀直入に質問した。

「いえ、違います。その可能性を完全には否定できませんが、ニール代理公使が事件発生当初から、事件の真相究明よりも早期の解決を優先し、賠償金の支払いに固執していた事は事実です。不審者の事は公式に無視しておきながら、捜索と保護を依頼する。矛盾していませんか?」

「確かに矛盾していますね。Mr.オオタワ、あなたはニール代理公使が事件の真相を知っていたと考えているのですか?」

「むしろその逆です」

 ダ・ローザの核心に迫る質問に対して、次郎は記者団の予想を裏切る発言をした。

「もし知っていた、または関与していたならば、事件発生直後より2人を保護しつつ上海へ送り、監視下においていたはずです。事が露見すれば間違いなく国際問題になるのですから……。でもそうしなかった。彼は我々が不審者2人の事を交渉における議題にあげ、それを聞いてあわてて上海に捜索と保護を依頼した、という風に考えれば辻褄つじつまは合います」

「つまり、ニール代理公使は、少なくとも事件の真相を隠蔽しようとしていたと?」

 ジャパン・ガゼットのブラックの質問にも、まるで予想していたかのように次郎は答える。

「これに関しては推論の域を出ませんが、その可能性は否定できません。公使が事件の真相を知っていたかどうかは別として、少なくとも真相が明らかになることを恐れていたのは事実でしょう。そうでなければ、工作員の捜索と保護を秘密裏に行う必要はありません」

「では、なぜニール代理公使は事件の真相を隠蔽しようとしたのでしょうか?」

 ジャパン・タイムズのリッカービーが尋ねた。

「……それは自身の事件への関与の有無にかかわらず、事件の黒幕である……これは我々が保護したイギリス人2名の証言によるものですが、オールコック前公使を守る、というよりも後始末のためかもしれません。そういう意味ではニール公使も、被害者と言えなくもない。いずれにせよ彼の行動は、真相解明を妨げようとする意図的なものだったと言えるでしょう」

「日本政府は、ニール代理公使に対してどのような対応を取る予定ですか?」

 デイリー・ジャパン・ヘラルドのハンサードが質問した。

「我が国はイギリス政府に対しニール代理公使の解任を求め、今後、オールコック公使の駐日公使としての着任を拒否します。また当然ですが謝罪と賠償を求め、その上で事件の真相究明のための全面的な協力を求めます」

「もし、イギリス政府が要求に応じない場合は?」

 ブラックが尋ねた。

「その場合は……」




 和親・通商条約の見直しもあり得ます、と次郎ははっきりと発言した。

 最恵国待遇を止めることや、その他の条文の見直し、完全破棄も視野に入れた、国際社会への提議やあらゆる外交的・経済的・軍事的措置を含めた対応を示唆したのだ。




 次回予告 第305話 『人事は尽くしたので、他にやるべき事をやる』

コメント

タイトルとURLをコピーしました