第327話 『激闘! 鹿児島湾海戦! -突破口-』

 文久四年(元治元年)四月六日(1864/5/11)

「司令官! 前方に海峡があります!」

 イギリス駐清艦隊は、海峡を突破後は艦船の修理と負傷者の治療をしつつ、湾内を偵察した。幸い砲台はない。島津軍もうかつに近づいて反撃を受けるのを想定して、あえて接近はしなかったのだ。

 翌日、艦隊は目の前に海峡を発見した。

 現在は陸続きとなっている大隅半島と桜島は、大正時代の大噴火でつながったのだが、当時は海を隔てていたのだ。

「司令官、この海峡を抜けられますでしょうか?」

 航海長がキューパーに尋ねたが、発言が終わる前にキューパーは海峡を双眼鏡で眺めながら答える。

「航海長……もとい艦長、それは君の仕事だろう? 分からんが、もし抜けられれば薩摩の連中を出し抜けるかもしれん」

 艦長のジョンスリングと副長のウィルモットは、昨日の海峡突破時に戦死していた。そのため航海長が先任士官として繰り上がり、艦長として指揮をとっていたのだ。

「しかし司令官、もし水深が浅ければ座礁の危険性も……」

「確かにリスクはある。だが、このまま湾内に留まっても薩摩の攻撃を受けるだけだ。ここは賭けるしかない」

 キューパーは決断を下した。

「機関最大戦速! 海峡を突破するぞ!」

 命令一下、イギリス艦隊は海峡へ南へ進路を取った。ユーライアラスを先頭に、各艦が最大戦速で狭い海峡を突き進む。

「敵影見えず!」

 見張りの声が響く。今のところ薩摩藩の動きはないようだ。しかし、いつ攻撃を受けてもおかしくない状況に変わりはない。

「警戒を怠るな! 戦闘用意だ!」

 キューパーは緊張した面持ちで海峡を見つめていた。幸い海峡(早瀬瀬戸)の幅は約360m、深さは75mあって座礁の心配はなかったが、それでもキューパーは監視を怠らず、慎重な操艦を求めた。




 海峡を進み、出口に差し掛かったそのとき――

「司令官! 海峡出口に薩摩の蒸気船! 2隻確認!」

 見張りの緊迫した声が響き渡る。キューパーが双眼鏡を向けると、薩摩藩の蒸気船「|天佑《てんゆう》丸」と「永平丸」が海峡出口で待ち伏せしているのが見えたのだ。

「あの小賢しい船か……。まあ、来るだろうとは思っていたが……」

 キューパーは眉をひそめたが、予想しなかったわけではない。

 鹿児島湾突入前に出現した3隻は、奄美大島に出現した3隻と同じではなかった。まったくの無傷ではないものの、手負いのイギリス艦隊に攻撃を仕掛けることは十分に考えられたのだ。

「全艦、砲戦準備! 薩摩の2隻を蹴散らして突破する!」

 キューパーは叫んだ。




「ようし、お出でなすった!」
 
 永平丸艦長の大山彦助は飛び上がって喜んだ。




「まったく、彦助どんの勘はようあたっ。まあ、おいでんそうすっどん……武功をあげんなな」

 天佑丸艦長の松方正義は苦笑いして戦闘準備を命じる。




 海峡を出た瞬間、激しい砲声が響き渡った。

 イギリス艦隊は、天佑丸と永平丸に対して容赦ない砲撃を開始した。しかし天佑丸と永平丸もひるむことなく、海峡出口という隘路あいろを利用して必死の抵抗を試みる。

 天佑丸は小回りの良さを生かしてイギリス艦隊の砲撃を巧みにかわしていく。そして最大の標的である旗艦ユーライアラスに狙いを定め、至近距離から砲撃を浴びせた。

 一方で永平丸は外輪船アーガスに狙いを定めた。アーガスは他の艦に比べて速度も火力も劣り、格好の標的となったのだ。永平丸はアーガスの左舷に集中砲火を浴びせ、大きな損傷を与えていく。

「アーガスに敵弾直撃! 左舷に大穴! 浸水しているようです!」

 アーガスは急速に浸水し始め、傾斜していく。

「アーガス! くそう!」

 キューパーは苦渋の表情で叫んだ。

 アーガスを救いたいのは山々だが、今は海峡突破を最優先しなければならないのだ。

 イギリス艦隊も当然やられっぱなしではない。砲撃は激しさを増し、天佑丸と永平丸は被弾を重ねていく。

 黒煙を上げて炎上しながらも2隻は必死に抵抗を続けたが、多勢に無勢で次第に劣勢に追い込まれていった。

 天佑丸と永平丸はもはやこれまでと判断し、反転して湾奥へと逃走を開始した。

「敵艦逃走! 追撃しますか?」

「いいや! アーガスを救え! アーガスを見捨てるわけにはいかん!」

 キューパーは叫んだ。

 敵艦を追撃したい気持ちは山々だったが、今はアーガスの乗組員たちの命を救うことが先決である。指令のもとイギリス艦隊はアーガスに接近し、救助活動を開始した。

 しかしアーガスの損傷はあまりにも激しく、沈没はもはや避けられない状況だった。人間で言えば打ち所が悪かった、それにつきるのかもしれない。

「退艦! 全員退艦!」

 アーガスの艦長は苦渋の決断を下し、乗組員たちに退艦命令を出した。乗組員たちは次々と海へと飛び込み、イギリス艦隊の艦艇に救助されていく。

 キューパーは沈みゆくアーガスを静かに見守っていた。

「救助が終わり次第艦隊は南下し、この湾から脱出する!」

 イギリス艦隊はアーガスの沈没地点を後にし、速やかに鹿児島湾を南へと向かった。7隻いた艦隊が、いまでは5隻となっていた。

「司令官、あとは湾外にでるだけですね。湾外に出さえすれば、あとは大島でいったん休み、上海へ戻れます」

「……」

 キューパーの不安は拭えない。本当にこれで終わりだろうか。正直なところ作戦は大失敗だ。艦艇2隻を失った上に賠償金など望むべくもない。薩摩艦に打撃を与えはしたが、砲台や城下に対しては微々たるものである。

 ユーライアラス艦内、いや、他の艦も大同小異であったろう。医務室は負傷者であふれかえり、通路と居住スペースを使ってもまだ足りないくらいであった。

 どうかこのまま、このまま上海へ帰らせてくれ、そう全艦乗組員が願っていたとき、悪夢は訪れた。

 前方に大村海軍の14隻が、イギリス駐清艦隊を殲滅せんめつするべく横一線にならんでいたのだ。

 次回予告 第328話 『激闘! 鹿児島湾海戦! -地獄-』

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