第328話 『激闘! 鹿児島湾海戦! -地獄-』

 文久四年(元治元年)四月六日(1864/5/11) 鹿児島湾口

「8……9・10……13・14……敵艦14隻! 前方に単縦陣で、東西に待ち構えています!」

 キューパーはその報告を信じたくはなかった。現実逃避とはこの事を言うのだろう。世界に冠たる栄光のロイヤルネイビーが、なぜ極東の島国の、しかも一地方政府の海軍に劣勢なのだ?

「司令官! さらに左舷前方、砲台発見!」

「なに? 進入の際はなかったではないか!」

 薩摩側の偽装工作であった。

 もともと島津軍は射程を短く見せる戦術をとっていたし、弁天台場周辺が主戦場になるとの予測のもと、大隅半島側の大砲まで手の内を明かす必要がなかったのだ。

「敵艦! 旗艦級と思われる艦艇、鋼鉄艦! 繰り返す、鋼鉄艦と思われる!」

「なに! ? そんな馬鹿な事があるはずがない。船体を鉄で覆った軍艦など……ウォーリアとブラックプリンス、フランスでさえグロワールやマジェンタなどしかないはずだ! オランダか? それにしても2隻など……」

 キューパーは頭を抱えた。

 絶体絶命、万事休すである。

「司令官! 敵艦よりカッターが降ろされ、こちらへ向かってきます!」

 恐らく降伏の使者だろう。キューパーはそう直感し、全艦に攻撃を禁止して、伝令を受け入れた。

「大英帝国、東インド・清国駐留艦隊司令官、オーガスタス・レオポルド・キューパー少将殿……」

 なんと、通信にやってきた士官は流暢な英語を話すではないか。

 まずキューパーはそれに驚いた。

 大英帝国東インド・清国駐留艦隊司令官、オーガスタス・レオポルド・キューパー少将殿

 貴下ならびに貴艦隊の勇気ある戦いに敬意を表します。しかしながら貴官麾下の艦隊は、今まさに我々日本国、薩摩藩及び大村藩連合艦隊の包囲下にあります。

 貴官の勇敢な奮戦ぶりは賞賛に値しますが、もはや勝敗は明らかです。これ以上の抵抗は、徒に貴官と部下たちの尊い命を危険にさらすのみであり、全く無意味であります。

 よって、貴官に降伏を勧告いたします。

 我々は武士道の精神に基づき、貴官と部下たちの生命と名誉を尊重することを誓います。速やかに白旗を掲げ、武器を放棄して投降されるよう勧告いたします。

 もし貴官が我々の勧告を拒否し、戦闘を継続するならば、我々は全力を挙げて貴官の艦隊を撃滅いたします。その結果、貴官と部下たちの生命は保証されません。

 賢明なる判断を期待いたします。

 元治元年四月六日
 1864年5月11日

 日本国大村藩陸海軍最高司令官 太田和次郎左衛門(花押)

「……わかりました。では部下と協議したいので、正午まで待っていただけますか?」

 キューパーは降伏の勧告文書をしっかりと読み、ゆっくりと深呼吸をして伝令に告げた。正午までに降伏が決まれば全艦白旗を掲揚し、そうでなければ即時戦闘開始となる。

 カッターが大村艦隊へ向かって行くのを見送った後、キューパーは重苦しい雰囲気の艦橋で全士官を集めた。

「諸君、降伏勧告を受けた。状況は見たとおりだ。意見を聞こう」

 キューパーは疲れ切った声で言った。

 艦長(元航海長の海軍少佐)が口を開く。

「司令官、このまま降伏など出来ません! 我々はロイヤルネイビーです。最後まで戦い抜くべきです!」

 それに対して新しく就任した航海長(元航海士の海尉・大尉)は反論した。

「……降伏するしかありません。これ以上抵抗しても無駄死にです」

 他の士官たちもそれぞれの意見を主張し、艦橋は騒然となった。徹底抗戦を主張する者、降伏を勧める者、意見は真っ二つに割れて白熱の議論が続いている。

 キューパーはしばらく沈黙して腕を組み、両者の意見に耳を傾けていた。

「……諸君、双方の意見はよくわかる」

 キューパーは静かに口を開いた。

「ではこうしようではないか。我々は最後の突撃を行う。しかし、その中で私を含む上位指揮官が戦死した場合、次席指揮官に判断を委ねる。もし降伏を選択するなら、それに従うと約束しよう。どうだ? 序列のどこで降伏論となるかわからないが、少なくとも旗艦の上位指揮官が死亡となれば、艦隊も相応の被害があるということ。継戦はできまい?」

 キューパーの折衷案に士官たちの間に緊張が走った。それは死をも覚悟した司令官の言葉だったのだ。

 艦長が答える。

「わかりました、司令官。そのお言葉しかと承りました」

 航海長もうなずき。他の士官たちもそれぞれの思いを胸に秘めながら同意した。

「よし、では作戦だ。正午の八点鐘とともに面舵一杯! 全速で薩摩半島沿いに南下し、敵艦隊の包囲を突破する! この戦いで我々の誇りを見せつけるのだ!」

 ■大村艦隊旗艦 知行 艦上

「官太夫どの、敵は降るでしょうか?」

 次郎は艦隊総司令長官の江頭官太夫に聞いた。

「わかりませぬ。敵には騎士道なるものがあるようですが、それがわが国の武士道と同じなれば、全滅覚悟で攻めてくるやもしれませぬ」

 官太夫の返事に次郎は気が重い。

「然れど、勝ち筋がないことくらい、相手の指揮官もわかるのではありませぬか? 無駄死にとなりますぞ」

「然に候わず。勝てぬとわかった相手でも正々堂々と戦いを挑み、散ることこそ潔い、という考え方は……」

「……分かり申した。然れど官太夫どの、わが軍では絶対に、万が一然様な事とあいなっても、無駄に死を選ぶような事は許しませぬぞ」

 次郎のいつにない真剣な顔つきを察したのか、官太夫はニコリと笑い、答える。

「ご安心を。この官太夫麾下の将兵には然様な事はさせませぬ」

 フラグではない事を祈りつつ、次郎は正午を待ったのであった。

 ■正午

 カーンカーン……カーンカーン……カーンカーン……カーンカーン……。

 八点鐘と同時にイギリス艦隊は動き始めた。

「面舵一杯! 最大戦速!」

 キューパーの号令が響き渡り、ユーライアラスを先頭に残存するイギリス艦隊5隻は薩摩半島沿岸へと突進した。

「艦橋-見張り! 敵イギリス艦隊移動! 薩摩半島へむけて航行中!」

「何! ? くそう、やはり降伏はしないか!」

 次郎は叫び、艦隊運動を指示する。

 祥鳳以下800トン級は陣形を整えつつ迎撃、これだけで大小合わせて100門の火力である。残る大型艦はイギリス艦隊を包み込むように取り舵、北上航行して包囲殲滅する。

 イギリス艦隊が動き始めてすぐに艦隊運用を開始したので、祥鳳がユーライアラスを射程内に捉えるころには、ほぼ包囲が完了する流れとなった。ちょうど指宿の南、山川の港の沖合である。

「撃ち方始め! 目標、敵旗艦!」

 知行の15センチクルップ砲が轟音と共に火を噴くと、続いて大成ほかの艦からも一斉に爆音とともに砲撃が開始された。すでにイギリス艦隊は祥鳳ほか7隻の射程内である。

 雨のように砲弾が降り注ぎ、近づけば直射の弾道となり損害も大きくなる。

「被弾! 左舷に被弾!」

 ユーライアラスの艦体に、砲弾が次々と命中する。前方からの砲撃に側面からの砲撃。もはや応戦というよりも、ただ突っ切って突破するだけしかイギリス艦隊に残された道はないようにも思えた。

 数発応戦で撃ち返すも大村艦隊の砲撃で無力化され、あるいは浸水し、あるいは誘爆する艦もあった。

「ひるむな! 突撃を続けろ!」

 キューパーは叫ぶが、その声も砲撃の轟音にかき消される。

 次の瞬間祥鳳からの9センチ砲弾が艦橋を直撃した。

「司令官!」

 キューパーは爆風で吹き飛ばされ、即死した。

 危うく難を逃れた艦長が問いかけた矢先、烈鳳の砲弾が間髪入れずに直撃。指揮を引き継いだその艦長も、爆発の衝撃で飛び散った木材に体を貫かれ、戦死した。

 ……艦橋は壊滅状態となり、指揮系統は完全に崩壊した。

 混乱の中航海長が立ち上がり、周囲を見渡した。艦橋は炎上し、甲板は血の海と化している。夥しい数の兵士が死傷し、もはや戦闘継続は不可能な状態だった。

「……司令官……艦長……」

 航海長は戦友たちの死に言葉を失ったが、今は悲しみに暮れている暇はない。生き残った乗組員たちの命を守るため、決断を下さなければならなかった。

 航海長は深呼吸をし、力強く叫んだ。

「私は航海長、海尉のホレイショ・ネルソンである! 司令官、艦長戦死のため、これより私が艦隊の指揮をとる! 全艦、攻撃をやめ白旗を掲揚せよ!」

 この海戦の結果、イギリス艦隊はパールが沈没(降伏後ユーライアラスも沈没)、コケットは大破着底、パーシュースとハボックも辛うじて浮いている状態であったが、修復不可のため爆破撃沈された。

 一方、大村艦隊は損傷といえるものはなく、けが人もごくわずかであった。

 次回予告 第329話 『捕虜と馬関』

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