第809話 『イングランドとフランスとネーデルランドの使者』

 文禄四年一月七日(1595/2/15) 諫早城

「さて、本来なら個別に面談するところだが、ポルトガル以外の国とは国交がない。ゆえに同時に挨拶となりました。失礼をご理解いただきたい」

 純正は向かって左からイギリス・フランス・オランダの使者の顔を順に見ながら言った。イギリスの使者であるジェームズ・ハリントンは厳かな表情を崩さずに一礼し、落ち着いた声で答える。

「とんでもない、殿下。このような機会をいただけたこと、光栄に存じます。効率的でもありますし、我々も喜んでお受けいたします」

「殿下のお計らいに感謝いたします。こうして3国の代表が一堂に会するのも、またとない機会。各国の魅力を一度にご覧いただけるのも、殿下にとって有益かと存じます」

 続いてフランスの使者ピエール・デュボワが優雅な身振りで応じた。オランダの使者、ヤン・ファン・リーベックの発言は最後であったが率直な口調で答える。

 3国ともお互いのおもわくがあるのだろうが、ここでは表には出さない。

「ありがとうございます。国交樹立に向けて、具体的なお話に進めさせていただければ幸いです」

 なるほど、と純正は笑顔で3人の使者の顔と立ち居振る舞いを見て、考えながら告げる。

「方々のお考えは分かりました。わが国と国交を結び、交易をして平和的に親交を深めていきたい、と。これでよろしいかな?」

 肥前国は世界2大強国のうちの1国であるポルトガルとは安全保障条約を結んで盛んに交易をして親密ではあるが、もうの1国であるスペインとは事実上の戦争状態にあり、いつ戦闘が起こってもおかしくはない。

 ポルトガルにしてもスペインとの関係は冷え切っている。

 しかしカナリア諸島はポルトガルにとってのアフリカ航路に、アゾレス諸島やマディラ諸島はスペインにとっての新大陸航路に、不可欠である。

 そのため通航は可能だが、肥前国籍の船舶はカナリア諸島を通過せず、アゾレスもしくはマディラ経由でポルトガルへ向かっているのだ。3国と国交を結べば、通行量は間違いなく増える。

「そのとおりでございます、殿下。イングランド王国は貴国との友好関係を深め、互恵的な交易を切に願っております。貴国との交易は大きな利益となるでしょう。そして、わが国の優れた技術や文化をお伝えすることで、貴国のさらなる繁栄をお約束いたします。同時に、貴国の豊かな文化や資源から学ばせていただければと存じます」

 ジェームズ・ハリントンは整った顔立ちに誠実さをにじませながら、にこやかにうなずいた。その立ち居振る舞いからは、外交官としての確固たる自信と、穏やかさを兼ね備えた人物像がにじみ出ていた。

 フランスの大使ピエール・デュボワは優雅な笑みを浮かべながら語りかける。

「フランスは芸術と文化の国でございます。貴国との文化交流を通じて絆を深め、互恵的な通商関係を築けることを楽しみにしております。また、最新の科学技術や軍事技術を必要とされる際には、喜んでご提供いたします。フランスの洗練された文化、芸術、そして美食の数々が、貴国に新たな彩りを添えることでしょう」

 ネーデルランドの使者、ヤン・ファン・リーベックは、商人出身だけに他の2人とは対照的である。

 落ち着いた様子で真摯にうなずいて2人に続く。

「殿下のおっしゃるとおりでございます。実りある貿易協定を締結し、両国にとって互いに栄える関係を築きたいと考えております。我々が持つ航海技術や造船技術を提供し、そして北欧各地の珍しい品々と貴国の品々とで交易いたしたく存じます」

 ヤンは小脇に抱えた帳簿を軽くたたき、実務的な姿勢を崩さなかった。




「うべなうべな(なるほどなるほど)。……ではお伺いしたい。『わが国の優れた技術や文化をお伝えする』とハリントン殿はおっしゃり、『最新の科学技術や軍事技術を提供』とデュボア殿はおっしゃった。ヤン殿は『我々の持つ航海技術や造船技術を提供』ですな? おい! 贈答の品を持て!」

 純正はそう言って、各国の使者に贈るための贈答品である精巧な時計と六分儀、望遠鏡や顕微鏡、アラスカからポルトガルまでの地図、蒸気機関の模型などの機械類を持ってこさせたのだ。

「さて、これらの品々はわが国では当たり前のように使っているものであるが、あなた方の優れた技術や航海術というのはどんなものか、教えていただきましょう」

 純正の言葉と、目の前に並べられた贈答品を見て、3人の使者の表情が一瞬にして変化した。驚きと戸惑い、そして興味が入り混じった複雑な表情である。

「殿下、これらの品々は実に驚くべきものでございます。特にこの時計の精巧さには目を見張るものがございます。わが国でも時計の製造は進んでおりますが、これほどの精度と美しさを兼ね備えたものはありません」

 ジェームズ・ハリントンは落ち着きを取り戻そうと深呼吸してから口を開き、慎重に言葉を選びながら続ける。

「わが国の誇る技術といたしましては、例えば織物業における技術革新が挙げられます。高品質の毛織物の生産や、新しい染織技術の開発などが進んでおります。また、造船技術においても、より大型で丈夫な船舶の建造が可能となっております」

 フランスのピエール・デュボワは、六分儀を手に取りながら語り始める。

「これは……航海器具のようなものですか? フランスでも航海術の発展に力を入れておりますが、似たようなものは見たことがありますが……このような測定器具は見たことがありません。それにこの望遠鏡? 顕微鏡? というのですか……」

 純正は適度に相づちをうつ。最後に、ヤン・ファン・リーベックが蒸気機関の模型を興味深そうに眺めながら話し始めた。

「……この機械の模型はいったい……? 港でみたあの船の……?」

「そのとおりです」

「すばらしい! このような貴国の蒸気船技術とわが国の造船・航海技術とあわせれば、さらなる発展をとげることは間違いありません」

 3人の使者は純正が示した贈答品の高度な技術に驚きを隠せない。

 どれも自国では見たことも聞いたこともない技術と品々なのだ。しかし、驚いてばかりもいられない。




「……では、参りましょうか」

 純正は笑顔で立ち上がり、3人を誘うようにして領内の見学に同行させた。

 純正の提案に、3人の使者たちは驚きと期待を隠せない様子でうなずいた。彼らは純正の後に続き、諫早城を出て、肥前国の工業地帯へと向かう。




 最初に訪れたのは大規模な織物工場だった。工場に足を踏み入れた瞬間、3人の使者たちは息をのむ。目の前には、多数の織機が整然と並び、熟練の職人たちが効率的に作業をしていたのだ。

 織機の音が工場中に響き渡り、様々な種類の高品質な織物が次々と生み出されていた。

 ジェームズ・ハリントンは、目を見開いて言う。

「これは驚くべきものです。わが国でも織物業は盛んですが、これほどの規模と効率性は……」

「わが国の織物技術は、様々な素材に対応できる柔軟性が特徴です。綿、絹、羊毛、どの素材でも高品質な製品を生み出せます」

 経産大臣の岡甚右衛門は笑顔で説明した。羊毛はオーストラリア・ニュージーランドで産出している。

 ハリントンは続ける。

「確かにイングランドでも織物業は重要な産業ですが、まだ多くは家内工業的な生産方法です。このような大規模な工場での生産は、わが国でもまだ一般的ではありません」

 次に訪れたのは染め物工場だった。そこでは、鮮やかな色彩の布が次々と生み出されている。ピエール・デュボワは、色とりどりの布を見て感嘆の声を上げた。

「この色彩の豊かさ、そして均一性は驚くべきものです。フランスでも染色技術は発達していますが、これほどの規模での生産は見たことがありません」

「わが国の染色技術は、伝統的な技法と新しい方法を組み合わせたものです。色の鮮やかさと耐久性を両立させることに成功しています」

 甚右衛門の答えを聞いてデュボワは興味深そうにうなずいた。

 造船所では大型の船舶が建造中だった。

「ネーデルランドも造船技術では負けぬ自負がありましたが、これはあまりにも……これほどの大型船を効率的に建造する技術は驚くべきものです」

「わが国の造船技術は、速度と積載量のバランスを重視しています。また、航海の安全性を高めるための様々な工夫も施しています」

 ヤンの特に強い関心に甚右衛門が説明を加えた。




「次はこちらです」

 そう言って純正が一行を案内したのは、光学機器の製造工場と天文台である。

 一行はまず、蒸気機関を動力源とする水圧システムを備えた光学機器工場へと案内された。

 工場の中央には大型の蒸気機関が設置され、轟音ごうおんを立てて稼動しているが、研磨室は驚くほど静かだった。蒸気機関の動力は、まずポンプを駆動し、高圧の水を生成するために使われていたのだ。

 その高圧の水は天井に張り巡らされたパイプを通して工場全体に送られ、各研磨機に設置された水圧シリンダーを動かしているため、ボイラー室のような振動や騒音とは無縁である。

 熟練工たちは水圧で精密に制御された研磨機を用いて、レンズや鏡を磨き上げていた。

 その滑らかで正確な動きは三人の使節にとって驚異的な光景であり、彼らが故郷で見たことのある単純な人力による研磨とは全く異なる、まるで魔法のような技術だった。

 ジェームズは、職人が磨き上げたばかりのレンズを恐る恐る手に取った。

「これは……一体、どのような仕掛けで動いているのでしょう? 水の力でガラスを磨く? そんなことが可能なのでしょうか? イングランドでは、熟練の職人が何日もかけてレンズを磨きますが、これほどの滑らかさや透明度は……まるで神の御業のようです」

「……レンズの中に小さな生き物がいるのでしょうか? まるで魔法のようです! これは……少し恐ろしいです……フランスのどんなレンズよりも鮮明で、微細な部分までくっきりと見えます。(悪魔の技でしょうか? それとも神の奇跡でしょうか?)」

 ピエールは顕微鏡をのぞき込み、拡大された微細な世界に息をのんだ。

「これは……望遠鏡の一種でしょうか? ミデルブルフの眼鏡職人が発明したという実物を見たことがありますが、雲泥の差です。あれは筒を通して景色がぼんやりと大きく見える程度でしたが、これは驚くほど鮮明に見えます。まるでそこにいるかのように。一体どのような魔法を使っているのでしょう?」

 ヤンは望遠鏡を手に取り、遠くの景色を眺めた。




 夜になり、最後に一行が訪れたのは肥前州立(国立だが便宜上州立)天文台である。

 夜のとばりが降りて星々が空を埋め尽くす頃、一行は小高い丘の上にそびえる肥前州立天文台へと到着した。内部からは暖かな灯りが漏れ出ている。

 中に入ると昼間とは異なる静かな空気が一行を包んだ。

 巨大な望遠鏡は闇の中で鈍く光り、その存在感をさらに増している。壁には精密な天球儀や地球儀、詳細な星図が飾られ、机の上には見慣れない計算器具や記録用具が整然と並んでいる。

「久しいな九十郎、来客だ」

「は、殿下。お越しいただき光栄にございます」

 天文台所長で天文学者でもある沢村九十郎政秋は、純正の従兄弟である。

「ようこそ、天文台へ。本日は特別に、夜間の観測をご覧に入れましょう」

 政秋は静かにほほえみながら言った。政秋の傍らには日本に永住を決めて天体観測を続けているティコ・ブラーエと、ヨハネス・ケプラーが客員教授として付き添っていた。

「こ、この御二方は……どうみてもわれらと同じヨーロッパ人だと思いますが?」

「いかにも。国交はなくともポルトガル経由で学問を学びたいという者は多く、百や二百ではございません」

 ジェームズが聞くと純正はそう言って笑い、天文や数学、科学などの様々な範囲で留学生を受け入れていると伝えたのだ。

「なんと……」

 ピエールとヤンも驚きを隠せない。肥前国には驚かされる事ばかりであった。




 一行はその後地動説や天動説でちょっとした議論にはなったものの、翌日は軍需工場を視察することで彼我の技術力の違いをまざまざと見せつけられることになる。




 次回予告 第810話 『フランスとオランダ』

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