第330話 『ロシア艦隊と』

 元治元年四月十一日(1864/5/16) 蓋井島沖

 -発 彦島信号所 宛 大村艦隊並前田台場

 敵小型艦海峡進入せり 水深測定ならびに周囲の偵察と認む-




「ふむ、やはり慎重策をとるか」

 次郎は長州藩に砲台の砲と艦載砲の変更と同時に電信網の敷設協力を依頼していた。艦隊が錨泊している蓋井島にも海底ケーブルを敷いて連絡が取れるようにしていたのだ。

 商業的には人口で考えても明らかに不採算なのだが、このためだけに依頼した。停泊中はリアルタイム(厳密には島とのカッターによる連絡の時間差はある)で意思の疎通が可能だが、出港してしまえば不可となる。

如何いかが思われますか、官太夫どの」

 次郎の問いに連合艦隊司令長官の江頭官太夫は、あごに手をやってさすりながら答える。

「そうですなあ……まずは敵も情報を集めてから、というところでしょう。なんの情報もなく突っ込んでくるのは、匹夫どころか愚か者の仕儀にござろう……ただ」

「ただ?」

「おそらくは情報を集めたとしても、敵は極東の野蛮人という考えがあるでしょうから、そこに油断が生まれるでしょう。わが艦隊の砲は火力・精度・射程において敵に勝っておりますが、そこに敵が油断してくれれば、勝ち筋はさらに高まるでしょうな」

「艦長は、どうだ?」

「は、僭越せんえつながら……」

 そう言って語り出したのは官太夫の嫡男である江頭隼人助である。順調に昇進し、旗艦『知行』の艦長となっていた。ちなみに弟の新右衛門は『大成』の艦長である。

「敵が慎重に事を運ぶのであれば、天の刻、地の利は我にあり。人の和は言わずもがなにございます。じっくりと待ってすべての敵艦が海峡内へ入ったところを封鎖すればよろしいかと。鹿児島と同じ策にございます」

「ふむ……。詳しく述べよ」

「は。敵が慎重に動いておるのは、海峡の岸に配された台場からの攻撃を恐れての事でしょう。確かにこれまでの長州の砲台では、イギリス艦の射程に遠くおよびませぬ。然れども対岸まで届くような狭き海峡では射程の利を得られませぬ。そのため時間をかけ、手前の……そうですね、彦島の弟子待台場から攻略していくものと思われます」

「然様か。ではわれらが黙っていたならば、弟子待の台場は如何あいなる?」

 次郎は単独でイギリス艦隊の砲撃を受けるであろう弟子待台場の損害を危惧しているのだ。

「は、弟子待には連城砲七門が配されていましたが、すべてクルップ砲に代えております。敵の射程外より攻撃能いますゆえ、敵は近寄ることすらできぬかと」

「では結局、敵艦隊は海峡内奥深くへは入ってこぬではないか」

「はい。敵の指揮官がどう考えるかによります。危険を顧みず海峡へ突入するか、それともいったん退き、極端にいえば……その極みは……上海へ帰るやもしれませぬ」

「ふむ……」

 次郎は考えた。

 この戦局、ただ単一の海戦として考えるのではなく、どんな結末がその後の日本にとって最適なのかを考えたのだ。




 1.完膚なきまでにたたきのめすか?

 2.損害を限定的にして生かすか?

 3.四か国艦隊を利用してイギリス艦隊に示威行為をするか?

 4.持久戦に持ち込むか?




 次郎が恐れていたのはイギリスの報復である。仮にこの増援艦隊を壊滅させたとしても、驚異的な造船能力がイギリスにはある。すぐに再建して再度攻撃に転じてくる可能性があるのだ。

 しかし、2~4にしても、結局イギリスは諦めないだろう。

 現政権が続く限り継戦するだろうし、そうなれば自分たちは勝ち続けられるか? という疑問が残る。




「あい分かった。では、敵艦隊が海峡に強行進入するならば封鎖し、撤退して持久戦の構えを見せるのならば……艦隊決戦もやむなしである」

「はっ」




 -発 次郎蔵人 宛 御公儀艦隊並長州艦隊

 先の報せのごとく、敵艦の偵察続きたり。両艦隊ともに待機せられたし-




 次郎が総司令(久光や敬親はいるが)であれば、本来『待機すべし』とするところを『せられたし』にしたのは、妙な摩擦を防ぐためである。彼らの主君は敬親であり、家茂だからだ。

 また、長州並御公儀ではなく、御公儀並長州とした。

 理由は言わずもがなである。




 ■イギリス艦隊

「ふむ……偵察情報もさして変わったものはないな。これならば最後の報告終了後に全艦海峡に進入し、最初の砲台(弟子待)を攻撃してもよかろう」

「はい」

 キングは偵察情報をまとめながら、弟子待砲台攻撃に向けての作戦を練っていた。




「艦橋-見張り! 艦籍不明! 距離3マイル!」

「なに! ? 敵か?」

「不明! ただし軍艦と思われる!」

「まさか? バカな! 大村艦隊か? いや、あり得ん……幕府か、長州の軍艦か? ……いや、ともかく全艦戦闘配置につけ!」

 キングは驚き、一瞬とまどったものの、全艦に戦闘準備が下令された。




「副官、これはいったいどういう事だ?」

「わかりません。ただ、今は動かず状況を見定めるほかありません」

 慎重にその艦隊の行方を追っていたキングであったが、見張りの報告により、より判断を狂わせる事となる。

「艦橋-見張り、目標の艦艇、ロシア艦と思われる。数6!」

「ロシア艦だと? なんだ! どういう事だ? なぜここにロシアの軍艦が現れるのだ?」

「北米に向かっていたポポフの艦隊かと思われます。おそらく南北戦争の動向が明らかになり、早めに帰国の途についたのではないでしょうか」

「何を言っている? ウラジオストクもニコラエフスク・ナ・アムーレも、はるか北ではないか!」

 ロシア帝国太平洋艦隊司令官A・A・ポポフ少将麾下きかの艦隊は南北戦争で南軍を支援しているイギリス(水面下で)・フランスを牽制けんせいするために北米西岸へ向かい、一定期間滞在して太平洋において訓練をしていたのだ。

 しかし、副官の予測通り太平洋艦隊は史実よりも早く帰還し、日英の開戦とロシアの立場を確認した上で南下してきたのである。

「司令官、いずれにしても我々の行動は他国に文句を言われる筋合いのものではありません。生麦事件がこの軍事行動の発端とは聞いていますが、その是非や責任の所在は、直接我々が考えることではありませんし、軍人の本分でもありません」

 フランスもアメリカもロシアもオランダも、部外者なのだ。それにこれは本国の政治家が考えることで、現場の軍人が考えることではない。

「しかしこの海域が戦闘海域であることは間違いありません。それを承知の上で航行しているか否か。このまま通過すれば良いですが、不必要に近づいて来ようものなら……」




「艦橋-見張り! ロシア艦近づいてきます! 距離2,000ヤード!」

「 「……!」 」




 次回予告 第331話 『フランス・アメリカ・オランダ艦隊』

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