第334話 『最終決戦』

 元治元年四月十一日(1864/5/16) 蓋井ふたおい島東岸沖

「さーて、次郎様の言うとおりに……おお! あれは! どこの艦だ?」

「艦橋-見張り!  White Ensign! イギリス艦隊です!」

「よし来た!」

 佐賀藩艦隊旗艦である甲子こうし丸(鉄製500トン・360馬力・9㏏・68ポンド アームストロング砲×1・40ポンド アームストロング砲×2)艦上において、艦隊司令官の中牟田倉之助は両手をたたいた。

 佐賀藩では5年前から電流丸を購入して運用しており、機関の研究開発も同時に進めていた。中央の政治に関わらないというスタンスを崩すことなく、技術革新にまい進してきたのだ。

 そのため大村藩の炉筒煙管ボイラーには及ばないものの、独自に円筒ボイラーを開発して出力の向上をはかり、驚くべきことに艦載砲であるアームストロング砲は、その欠点である尾栓の|脆弱《ぜいじゃく》さも改良されていた。

 艦長は石井富之助、参謀は相浦紀道である。随伴の電流丸(木製)と皐月さつき丸(鉄製)は後方に控えていた。両艦とも機関、艦載砲とも換装済だ。




「バカな! こんなところで何をやっているんだ! ?」

 イギリス増援艦隊司令官のジョージ・キング少将は思わず声を上げた。民間の商船や漁船であれば放っておけば良い。しかし明らかに軍艦の体を成した艦影なのだ。

「どこだ? どこの艦だ? 見張り! 詳しく知らせ!」

 キングが艦長を通じて見張りに確認する。

「艦橋-見張り! 白地に対角線! 半分を黒く塗っております!」

「なんだ? どこだ? ええい戦時だ! 邪魔するようなら蹴散らせ!」

 キングの声が大きくなるが、続く見張りの報告でさらに大きくなる。

「艦橋-見張り! 白地に赤丸! 大村海軍と同じ、日本の軍艦です!」

「なんだと! ? 大村と薩摩と長州と、それ以外に艦隊を持つ領主がいるのか! ?」

 キングの声が艦橋に響き渡る。

 予期せぬ敵の出現に、キングの頭の中は混乱していた。

 しかし、判断は下さなければならない。いずれにせよ艦隊は満身創痍まんしんそういで、いくら佐賀海軍艦隊が小型艦艇で構成された小規模な艦隊とはいえ、ここで時間をかけることはできなかったのだ。

「全艦そのまま! 敵と応戦しつつ、北へ突破せよ!」

 佐賀藩艦隊は艦首を東に向け、イギリス艦隊の針路をふさぐ形で航行し、交戦の構えである。

 すでにイギリス艦隊は蓋井島の南端をとおりすぎようとしていた。キングは艦隊を面舵おもかじ転針させ、佐賀藩艦隊の東側を通り越して北へ逃げようとする。

「艦橋-見張り! 敵艦隊砲撃!」

「応戦せよ! ここが正念場だぞ!」

 キングも全艦に叱咤しった激励を送る。

「諸君、我々は世界最強の海軍だ。この程度の敵に怯むな! 全力で応戦せよ!」

 しかしキングの内心は絶望に近づきつつあった。大声を張り上げることで自らの意志を奮い立たせたのだろう。




 佐賀藩の68ポンド砲が次々と火を噴く。改良された尾栓機構により、発射速度は目覚ましいものだった。砲弾は轟音ごうおんとともにイギリス艦隊を目指して飛翔ひしょうする。

 イギリス艦隊も反撃を開始するが、既に多くの主砲が使用不能になっていた。旗艦チェサピークの甲板には複数の被弾箇所があり、至るところで火の手が上がっている。

 佐賀藩艦隊の砲撃は驚くほど正確で、改良された砲の性能と熟練した砲手たちの技量が相まって、イギリス艦隊に次々と命中弾を与えていく。

 キングは歯を食いしばった。

「なぜ極東の僻地へきちで、しかもこのような小規模艦隊に……」

「司令官、火災が拡大しています! 消火班は懸命ですが、制御は困難です!」

 副官が報告する。

「他艦の状況は?」

「コンカラー被弾! 主砲の半数以上が使用不能!」
「ワスプ、メインマストの補修完了、しかし帆走に難あり!」
「コケット浸水停止! しかし速度の復元は不可!」

 刻一刻と悪化する状況に、キングは焦燥感を募らせる。小規模ながら高い技術力と巧みな戦術で、佐賀藩艦隊はイギリス艦隊を圧倒しつつあったのだ。




 一方、甲子丸の艦橋では、中牟田倉之助が冷静に戦況を分析していた。

「艦長(石井)、参謀(相浦)、我らの出番だ。大村艦隊と挟み撃ちにする。イギリス艦隊を完全に包囲するぞ!」

「了解!」

 石井は力強く答える。

「全艦に指示! 全艦このまま単縦陣にて前進! イギリス艦隊の退路を遮断する!」

「佐賀家中ここにあり、敵味方全員に見せてやりましょう!」

 相浦が付け加えた。

 3隻の佐賀藩艦は、まるで獲物を追う猟犬のごとくイギリス艦隊に迫っていく。

「前後から挟まれるとは……!」

 キングは絶望的な状況に追い込まれ、苦渋の表情で周囲を見回す。

「艦橋-見張り! 両舷後方に大村艦隊! 近づいてくる!」

 見張りの報告と同時に大村第1、第2艦隊からの砲撃が始まった。

「命令は変わらん! このまま突破し、北へ抜けるのだ!」

 この状況では誰が指揮官でも決断は変わらないかもしれない。キングはさらに北へ向かう。

 だが、イギリス艦隊が北へ向けて動き出したその時、新たな障害が現れた。

「艦橋-見張り! 前方にロシア艦隊! 白地にブルークロス! 間違いありません!」

「はあ! ? ロシア艦隊がここで……邪魔するなと言ったはずだ! くそ!」

 キングは双眼鏡で確認する。確かに、ロシア艦隊の姿があった。

「司令官、ロシア艦隊は中立を表明していますが、彼らの艦隊が我々の針路を塞いでいます」

 副官が報告した。

 左前方からくる佐賀藩艦隊を避けるために面舵転針して北を目指したにもかかわらず、その前方にあるロシア艦隊のために、今度は取りかじをとって航行すれば、ロシア艦隊と佐賀藩艦隊に挟まれるような形になるのだ。

「くそっ! それでも、避けて通るしかないか……」

 針路変更は、佐賀藩艦隊への接近を意味する。既に損傷激しいイギリス艦隊にとって、これ以上の戦闘は致命的である。

「全艦、針路を北北西に変更!」

 苦渋の決断だった。

 イギリス艦隊が針路を変更する中、佐賀藩艦隊の砲撃は激しさを増していく。砲門数は少なくとも、確実に命中を重ねているのだ。

「コンカラー、主砲全損!」

 悲痛な報告が入った。

 キングは苦々しい表情で周囲を見渡した。旗艦は火災が発生し、主砲の多くを失っていた。他の艦船も大破し、まともに航行できる状態ではなかった。

 そして、最悪の事態が訪れる。

「司令官! 後方から大村艦隊さらに接近中!」

 大村艦隊の第一艦隊が左舷から、第二艦隊が右舷から迫ってきていた。完全な包囲態勢だった。イギリス艦隊の火力減少にともない、応戦しつつ距離をさらにつめてきていたのだ。

「全艦、態勢を……」

 キングの声は途切れた。これ以上の抵抗は無意味だと悟ったのだ。

 艦橋は重苦しい沈黙に包まれる。

「副官……」

 キングの声は低く、悲痛な面持ちであったが、ひとつの決断を下した。

「降伏の白旗を掲げろ」

「しかし、司令官……」

 副官は抗議しようとしたが、キングの表情を見て言葉を飲み込んだ。

「これ以上の犠牲は避けねばならん。我々はやるべきことをやった」

 キングの言葉には、悔恨と同時に部下たちへの深い愛情が込められていた。

 イギリス艦隊の各艦から、次々と白旗が掲げられていく。次郎の作戦は見事に成功し、佐賀藩艦隊との連携により、イギリス艦隊を完全に包囲することに成功したのだ。

「よし、鹵獲ろかく開始! 大村艦隊と協力して、イギリス艦を接収する!」

 中牟田倉之助は満足げにうなずいた。

 次郎も同様の指示を出す。

「全艦に通達! イギリス艦隊は降伏した! 不必要な砲撃は控えよ! 鹵獲に移れ!」




 数時間後、状況は一変していた。

 旗艦チェサピーク、コンカラー、ワスプは日本側に接収され、他の数隻も修理可能と判断された。しかし、ターターとコケットは損傷が激しく、沈没は避けられない状態だった。

 キングは甲板に立ち、静かに降伏文書に署名した。

 彼の目には悔しさがあったが、部下たちの命を守れた安堵あんどの色が浮かんでいる。

「キング提督」

 次郎はそう言ってキングに近づく。

「貴殿の勇気と決断に敬意を表します」

 キングは黙って頭を下げた。




「倉之助、見事な連携であったな」

 次郎は笑みを浮かべながら言った。戦闘終了後の甲子丸の艦上での会談である。

「いえ、次郎様の綿密な作戦があってこその勝利です。我らはその一翼を担わせていただいたに過ぎません」

 中牟田は謙遜して頭を下げた。

「ははは! 謙遜するな。どうせオレがいないところでは、してやったり! とでも言うておったのではないか? わはははは! いやいや、佐賀の技術なくしては、この勝利はなかったぞ」

 次郎は大声で笑いながらも真剣な表情で続けた。

「特に、改良砲の威力には驚いた」

 次郎は本当に驚いていた。

 まさか信之介率いる理化学研究所以外に、円筒ボイラーを開発し、アームストロング砲を改良するなど、想像の遙か上をいく結果を生み出しているとは夢にも思わなかったのだ。

 クルップ砲やアームストロング砲の貸与は間に合わなかったが、技術力では佐賀藩が日本で2番目なのは間違いない。

「はい、家中の技術者たちが昼夜を問わず研究を重ねた成果です。しかし、御家中のボイラーの性能もすばらしい」

「ははははは」




 ……実は、ボイラーに関しても大砲に関しても、完全な佐賀藩のオリジナルではなかった。

 15年前に次郎が海軍伝習所を創立して以来、佐賀藩からは大村藩以外では最も多くの伝習生を派遣していたのだが、その中で大村に残り、研究を続けた者がいたのだ。

 次郎もそれに気付いてはいたものの、海軍兵学校を設立してからは、初等の伝習課程以外は他藩の者の入校を許可していなかった。そのため佐賀藩の残りの者が藩内で理化学研究所に勤めていても、特に気にしていなかったのだ。

 その者が仮に佐賀に戻って同じことをやったとして、大村藩に追いつくとは考えにくい。

 だからこその驚きであった。

 今後はどうなるかわからない。しかし、こっちには天才(?)信之介擁する天才集団がいるのだ。一朝一夕で抜かれるとは思わない。次郎はそう考えた。

 水面下での技術競争も、激しさを増していく。




「バカな! あり得ん! 誤報に違いない!」

 ロンドンのエドワード・セント・モア海軍大臣のもとに敗戦の報が届くのは、2か月後のことである。




 次回予告 第335話 『鹵獲戦利品の分配と戦闘後処理』

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