永禄五年 四月末 横瀬浦
来た! きたきたきたきたきた! ! !
史実より、3ヶ月早い! 横瀬浦にルイス・デ・アルメイダが到着した。いわゆる下見? なんだろうか。で、文献通りその数日前から船も停泊している。
この時のために、できる限り整備をしていた。
もちろん事故が起きない様に、周辺には警備兵をおき、何が起きても対応できる様にしたのだ。
ポルトガル人が泊まる宿舎には、くみ取り式のトイレを設置して、臭いを出さない様に水で流せる簡易的な設備を設置している。
幸い余剰分の薪や木炭、それから石炭もあったので、大きめの風呂を用意して、毎日入れる様にした。全く同じではないが、前世の記憶をフル動員したのだ。
ドアノブや引き戸、ガラスは自作できなかったので、障子の窓をたくさんつけて採光をよくした。
山葡萄でつくったぶどう酒で接待もした。納得してちゃんと飲める味まで、試行錯誤したのだ。
そして最終的に出されたポルトガルの条件は、10年間の船舶の停泊料、その他租税免除、そして横瀬住民の改宗、村の半分を教会の知行とする事などであった。
大村様は無条件でのもうとしていたが、「ちょっと待って」と俺はストップをかけた。もちろん立場上強く言えるわけではないんだが、何事も強制はいけない。
税金はいい。別にそれで儲けようとは思わない。おそらくその程度はどこの港もやっている事だろう。半分の知行も、まあいい。
港にさえ、ポルトガル以外の船も寄港できれば。ただ、無理に改宗させたら一時的には強制力があっても、反発が生まれる。
あくまでも任意で、本人が望んでいないとダメなんだ。
大村様は若干、ほんの少しだけイラッとしているようだった。面目をつぶされた様に感じたのだろう。しかし、何でも最初から相手の言う通りはよくない。
次回からこちらの無理が通らなくなるのだ。
大村様には(心配しなくても、改宗に理解のある領民を移住させますから!)と伝え、納得してもらった。(じゃあ別にYESでも良かったんだけどね)。
ポルトガル側も即決はできないらしく、教区長? 責任者であるトーレス神父の判断待ちになった。
さて、どうなるか。こちらとしては出せるカードは全部出し切ったぞ!
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