第348話 『賠償金の多寡』

 元治元年十一月六日(1864/12/23) 会見終了後~

「では、今回の会談において決まった事をお知らせします」

 次郎はほぼ毎日記者会見を開いている。同時に会見で話した内容を記録し、それを各国の公使館へ配布することも忘れない。

 新聞記者は当初イギリスだけのものであったが、時期を同じくしてロシア・オランダ・フランス・アメリカの新聞社も記者を派遣して日本の情報を配信するようになってきたのだ。

 フランス:Journal de Shanghai・Courrier de Chine
 オランダ:Java Bode・Algemeen Handelsblad
 ロシア:Severnaya Pchela
 アメリカ:The North American Review・The New York Times・The Daily Alta California

 ・日英両国とも一切の戦闘行為を禁じる。
 ・イギリス海軍は本条約締結後、琉球王国および日本国の領海(沿岸より三海里)に一切の立ち入りを禁じるものとする。(本日より有効)
 ・日本国はイギリス海軍より拿捕した軍艦チェサピークを5年後、バロッサを7年後に返還するものとする。

「以上が会談で決まった内容です。では質疑応答を行います。挙手でお願いします」

 次郎は淡々と会談結果を読み上げ、それが終わると記者団に向かって告げた。生麦事件の時はイギリスの記者団だけだった会見が、いまではその倍以上にふくらんでいる。

 会見場に集まった記者たちの間で一斉に手が挙がった。次郎は冷静な表情を保ちながら、フランスの『Journal de Shanghai』の記者を指名する。

「拿捕した軍艦の返還期間が長期に及ぶ理由は何でしょうか?」

「……はい。これらの艦船は正当な戦利品です。返還自体が前例のない譲歩であり、この期間は日本の国益を守るために必要不可欠です」

 次郎が背筋を伸ばして堂々とした態度で答えると、続いてアメリカの『The New York Times』の記者が立ち上がった。

「この合意は日本の勝利を意味するのでしょうか?」

 次郎は表情を変えずに返答する。

「それは勝利とは何を持って勝利と呼ぶか。その定義で変わります。わが国としてはイギリスの海軍艦艇十五隻を撃沈もしくは拿捕し、イギリスからの攻勢がいままでになかったことで勝利と考えております。加えて講和のための会談をイギリス側が申し出てきた時点で、わが国の勝利だと内外ともに納得できるのではないでしょうか」

 その言葉に会見場は静まり返った。記者たちは驚きの表情を浮かべながら、急いでペンを走らせる。

「イギリス海軍の領海立ち入り禁止は、日本の主権を強化するものではないでしょうか?」

 オランダの『Java Bode』の記者が次の質問を投げかけた。

「強化ではありません。当然の権利である主権を、あらためて明記したにすぎません。通常は事前の通告があり、認められれば航行は可能ですが、イギリスの場合はその脅威を完全に排除するために永久に禁止としたのです」

 次郎は穏やかな口調で続ける。

「これは日本の安全保障を確保するための措置です。同時に、平和的な関係構築への意思表示でもあります。我々は対等な立場での外交関係を望んでいます。また公海……我々は領海外の海域をそう呼んでいますが、領海との区別が難しい公海については事前の通告を要することとしています」

「賠償金問題については進展がありましたか?」

 ロシアの『Severnaya Pchela』の記者が鋭い質問を投げかけた。

「賠償金問題についてはこれから協議します。この問題の解決なくして、外交関係の正常化や貿易の再開は困難でしょう。我々は公正な解決を求めています。また、生麦事件に関してはこの戦争の直接の発端ではあるものの、協議は別途行うこととなりました」

 本来は一連の事件であり問題でもあるのだが、それを加えると進展がないだろうと次郎は考えたのだ。戦闘を終わらせ、イギリスの脅威を排除してから、ゆっくりと交渉すればいい。

 アメリカの『The Daily Alta California』の記者が立ち上がって質問する。

「この合意が日本の国際的地位にどのような影響を与えると考えていますか?」

「この合意は、わが国が国際社会の一員として対等に交渉できることを示しています。我々は今後もわが国の利益を守りつつ、諸外国との友好関係を築いていく所存です」

 次郎は力強く答えた。

 その後も会見は続き、記者たちの質問が飛び交う中、次郎は常に冷静さを保ちながら応答を続けた。

 ■元治元年十二月二十三日(1865/1/20)

「ガウワー殿、一月もたつというのに、賠償問題については全く交渉が進みませんね」

 次郎は軽く机をたたきながら言った。

 その音は静かな室内に反響し、交渉の膠着状態を象徴するかのように張り詰めた空気を震わせている。窓の外は灰色の雲が垂れ込めているが、南国のために寒空というわけではない。

 ガウワーは、神妙な面持ちで答える。

「確かに、交渉は難航しております。しかしわが国も無条件に貴国の要求を受け入れるのは難しいのです。賠償金の額、拿捕した艦船の返還時期、今後の通商関係など、考慮すべき要素は多岐にわたります」

「返還の時期はすでに決まっており、締結されたではありませんか。今さら蒸し返されても困ります。それに通商関係とおっしゃったが、これも別問題。貴国とは国交が断絶しているのです。その状態から賠償問題も解決されていないのに、通商などできません」

 次郎の声は穏やかだが、正直なところ疲れていた。その疲れがイライラとなり、交渉の随所で言葉や態度に表れている。

 世界の大英帝国なんだろ?
 何百万ポンドだろうが、ちゃっちゃと出せよ。
 どう考えてもお前らが悪いんだから。
 停戦条約で軍艦の領海侵入を禁止したら、入ってきたら今度こそ悪いのはあっち。だから心置きなく強気で言える。

 ガウワーは言葉に詰まった。次郎の指摘は正鵠を得ており、反論の余地がないのだ。返還時期は既に決定事項であり、どう考えても通商関係は賠償問題解決後であろう。

 今この場で持ち出すのは適切ではない。

 しかしイギリスとしては賠償金の支払いを少しでも先延ばしにしたい思惑があり、交渉を長引かせるための口実を探していた。焦燥の色が滲むガウワーの額に、脂汗がにじみ出た。

「しかし……しかしですね、Mr.オオタワ。賠償金の額が大きすぎます。わが国といえども、即座にそのような大金を支払うことは困難です。どうか、その点をご理解いただきたい」

 次郎がイギリスに請求した金額は次の通りだ。

 台場大砲製造ならびに設置費用 2,870,000ポンド
 艦載砲製造ならびに換装費用 33,000ポンド
 艦隊運用費用 87,000ポンド
 台場損害回復費用(長州) 52,000ポンド
 艦船修理費用 53,000ポンド
 死傷者賠償金額(2+7)85,000ポンド
 総合計 3,180,000ポンド

 この金額をどうするかが、ガウワーの課題だったのだ。

(まあ全額とはいかんだろうが、これでアラスカ購入の支払いの目処は立つぞ……)

 次回予告 第349話 『賠償金、その基準は? 減額交渉とアラスカの購入費用へ』

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