第46話 『顚末』

 2024年11月30日 SPRO内

 昨日の騒然とした状況が、まるで幻だったかのごとくSPROは平穏を取り戻し、通常の業務が展開されていた。各部署では職員がそれぞれの持ち場につき、キーボードをたたく音や控えめな会話がオフィスに響く。

 槍太そうたは救出後すぐに詳細な身体検査を受け、拉致中に投与された薬物の特定が進められた。

 検査が終わると同時に張り詰めていた糸が切れたのか、眠りに落ちたまま今も起きる気配はまったくない。

 既に時刻は正午を過ぎている。

 医務室では、比古那が結月から槍太の容態の説明を受けていた。
 
「投与された薬物は意図的に記憶を呼び覚まし、精神を不安定にする効果があるようです。自白剤に近い成分もありますが、幸い後遺症がでる可能性は低い。しかし精神的なケアは必要でしょう」

 実際、救出直後の槍太はブルブルと震えていた。

 いったい何をされたんだろう?

「記憶を呼び覚ますって、忘れていた記憶を? 可能なんですか?」

「……いいえ、不可能です。記憶のメカニズムは非常に複雑で、まだ完全には解明されていません」

「え? じゃあなんで?」

「失礼、さきほどの答えは誤解を招いたようです。あくまで~ではないか? ……推測でしかありません」

 結月はモニターに脳を領域別に色分けして表示させた。

「なんらかの薬物を海馬やその他の組織に投与して、複雑な脳の記憶のメカニズムにアクセスしようと試みたのでしょう。ですが現代科学・医学ではいまだ成功した実例はありません」

 結月の説明を聞きながら比古那は眠る槍太に視線を向けた。IIAが槍太に何をしたのか、想像するだけで胸が痛む。

「どうだ、槍太の容態は?」

 容態を確認にきた修一はベッドに近づいて聞くが、槍太はただ眠っているだけに見える。

「結月さん、あなたは専門でしょ? 槍太はどうなんですか?」

「生体指標には全く異常はありません。心拍や血圧、体温、呼吸数、酸素飽和度など全て正常値です。血液検査、尿検査、脳波検査でも異常は見られません。まるで健康な人が眠っているだけです」

 結月は少し困った顔で眉をひそめた。

「脳のMRIとCTスキャンも撮影しましたが、器質的な異常も認められません。薬物も既に代謝され、体内からは検出されていないんです」

「つまり、何も問題ないのに、目覚めないってことか?」

 修一は腕組みをして考え込む。比古那も不安そうに槍太の寝顔を見つめていた。

「ええ、医学的には昏睡こんすい状態ではなく、自然な睡眠状態と変わりありません。ただ、これだけ長時間眠り続けているのはレアなケースではありますね」

 結月はモニターに表示されている規則正しい脳波のパターンを指差した。

「通常、睡眠中はレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返しますが、槍太くんの場合はノンレム睡眠の状態が続いています。深い眠りについているようですが、外部からの刺激には反応します。例えば名前を呼んだり、軽く身体に触れたりすると、眉をひそめたり寝返りをうったりするんです」

「じゃあ、なんで起きないんだ?」

 修一は苛立ちを隠せない様子だ。

「原因は不明です。もしかしたら、精神的なストレスが原因で、一種の防御反応として眠り続けているのかもしれません。あるいは、投与された薬物がまだ微量に残っていて、脳の特定の部位に作用している可能性も否定できない。ただ、いずれの場合も今の医学では明確な原因の特定が難しいですね」

 結月は続ける。

「今は槍太くんの身体が自然に目覚めるのを待つしかないと思います。水分と栄養は点滴で補給していますし、定期的に身体を動かして床ずれなどを予防しています。何か変化があればすぐにご連絡します」

 千尋は眠る槍太の手にそっと触れた。

 いつの間にか全員が集まって、槍太の容態をうかがっている。

「槍太……早く目を覚まして」

 その声は小さいが、強い願いが込められていた。

 修一は何も言わず、ただじっと槍太を見つめている。SPROに戻ったとはいえ、まだ安心できる状況ではなかった。




 ブーッブーッ。

 突然館内電話がなり、結月がそれを受けて修一を呼ぶ。

「中村先生、学術文献チームの人が呼んでいるそうです。第一研究室まで向かっていただきますか?」

 修一はベッド柵を握る手に力を込めた。爪先まで神経が張り詰める感覚が、金属の冷たさを皮膚を通して伝える。

「分かった。すぐに向かう」

 治療室を出る際に振り返った視線の先で、壱与がかすかにうなずいた。イサクは入り口に直立し、護衛の姿勢を崩さない。




 学術文献チーム。

 SPROで収集した古代の文献や全世界の遺跡に残った古代人の痕跡を、歴史学的見地から推測・解読するチームである。そのチームが槍太の所持品から何やら発見したようだ。

 学術文献チームの研究室では、槍太が携行していた石板の高精細スキャン画像が3Dホログラムで浮上していた。

「これは……ホツマ文字? ……いや、違う。発見されたホツマ文字にはない……これは母音か?」

 ホツマ文字。『ホツマツタヱ(秀真伝)』と呼ばれる文書とともに50年前に発見された、1775年に編纂へんさんされた書物である。その文書には横に漢文での訳文も添えられている。

 古事記や日本書紀といった『記紀』と同じく、古代の日本の国造りを描いたものとされる。しかし、古代の母音は現代より多いとの批判もあった。

 このため定説では、ホツマ文字は後世の創作とされている。

 古事記や日本書紀より古い歴史書としては、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』など複数が発見されている。しかしいずれもその内容は懐疑的な見方しかされていない。

 ホログラムに浮かぶ石板の文字列が不規則に輝く。修一がモニターの波形パターンを凝視すると、魏志|倭人《わじん》伝の文体とホツマ文字の母音構造が脳内で立体的に重なり始めた。  




「母音記号の配置……五音節ではなく七音節で成り立つ。これは古墳時代前期の九州王朝系金石文の特徴だ」  

 修一の指先が空中をなぞると、陳列されてある『三国志』倭人条の写真と、ホログラムの紋様が突然同期して回転した。  

 首席研究員が呼吸を整えながら報告する。 
 
「放射性炭素年代測定で紀元250年前後と判明。狗奴国くなこく関連遺跡から出土した『日出流ひいずる王碑文』との文字構成が78%一致」  

 石板中央の太陽紋が明滅し、まるで脈打っているかのようだった。

「ヒミコノミコト……アメノウズメノカミ……」  

「表面の亀裂部分に新たな文字列!」  

 研究員の叫び声でホログラムが更新される。

八咫鏡やたのかがみハ時ヲ穿うがツ鍵ナリ 狗奴国王くなこくおうニ渡スベカラズ》  

 八咫鏡? 三種の神器じゃないか。
 
 修一の脳裏に狗奴国将軍・熊襲帥の存在がよみがえった。

 ……弥馬壱国(邪馬台国)は狗奴国と戦争状態で、修一が壱与と一緒に飛ばされたときは膠着こうちゃく状態だった。決して停戦でも終戦でもない、緊張した状態だったのだ。




 もしかして狗奴国が弥馬壱国を狙っていたのは、大陸との交易ではなく三種の神器を奪って時を操るためか? 時を操って自らが世界の王になろうとした……。

 そうなれば辻褄つじつまがあうが……いや、突拍子もないか?

 でもIIAがそれを狙って槍太をさらい、過去へ行く謎を解き明かして奪ったなら?

 これからの未来を改変するような大事件になる!




 次回予告 第47話 『解読の連鎖』

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