第5話 『山口多聞と飛龍乗組員』

 2025/1/20(令和7年1月20日) 夜

「おお! 副長! それに攻撃隊の君たちもあの渦に! いや……しかしよかった。生きてまた会えるとは、夢じゃあないだろう?」

 そう言ってニコニコ笑う山口多聞司令官の横で加来止男艦長が、やれやれ、とジェスチャーをしている。

「司令官! 艦長! ご無事だったのですね!」

 鹿江と3人の士官は2人に駆け寄ってマジマジと見た。

「ご無事で、ご無事でなによりです……我々はもう二度とお会いできないかと……」

 4人とも抱きつきこそしなかったが、感涙にむせび泣いた。




 山口は穏やかな笑みを浮かべながら周囲を見渡す。

「皆、我々は帝国海軍士官であり、飛龍の乗組員である。敵の攻撃にあい総員退艦を命じたところ、なぜかこの『護衛艦いずも』に救助された。これまでは同じ認識だと考えている。間違いないか?」

 山口の質問に鹿江は落ち着いて答える。むせび泣いた涙を拭き取り、凜とした顔立ちだ。

「はい司令官。その認識で間違いありません。総員退艦の後に異常な渦に巻き込まれ、この場に至った次第です」

 山口は鹿江の言葉を静かに聞きながら、再び周囲を見渡した。

 部屋には『いずも』の医療機器が整然と並び、現代的な照明が柔らかい光を放っている。その光景は、昭和17年の彼らが知る艦内とは全く異なっていた。

 山口は立ち上がり、小松と石川に正対する。

「我々を含め、飛龍の乗組員を救助していただいたと聞いています。本当にありがとうございました」

 そういって深々と2人に頭を下げた。

「とんでもありません。シーマンシップにのっとり、人命救助の理念のもと行動したに過ぎません」

 なぜか背筋が伸び、山口に対して敬礼する2人である。

「……階級章で、よろしいのかな? おそらく大佐相当とお見受けするが、この艦の責任者でしょうか」

 山口の質問に小松が答える。

「はい、私が第一護衛隊司令の小松一佐で、こちらがいずも艦長の石川一佐です」

 小松の言葉に山口は軽くうなずいた。

 彼の目は小松と石川の制服を注意深く観察している。現代の海上自衛隊の制服は、昭和17年の帝国海軍とは大きく異なっていた。

「一佐……それに司令と艦長が同じ階級なのですね。興味深い。我々の時代とは随分と変わったようです」

 山口は静かに述べた。

「司令官、我々がいるこの時代について、詳しく教えてもらいましょう」

 加来が山口の横から声をかけた。

「……そうだな。これまでの話からおおよその見当はついている。しかし我々全員で同じ認識を持っていなければならんからな」

 自分の頭の中で出した結論と現状をすり合わせ、全員と共有しようとしたのだ。山口は再び小松に向かい言う。

「小松一佐、いえ小松司令、現状で判明していることを教えていただけませんか?」




 小松は語り始める。

「現在、私たちがいるのは令和7年1月20日、西暦2025年です。皆様がいらっしゃった昭和17年から83年後の未来になり、この護衛艦いずもは、日本の海上自衛隊に所属する艦艇です。私がいずもが所属する第一護衛隊司令を務め、石川一佐が艦長を務めています」

「なるほど。この艦の装備や技術を見る限り、我々の知る時代から大きく進歩しているのは一目瞭然だ。だがそれ以上に、この83年間で日本がどう変わったのか、それを知る必要がある」

 山口はその説明を静かに聞きながらうなずいた。

「はい。現在の日本は平和国家として憲法に基づき……」

「待て、……いや、待ってください」

 山口は小松の説明を遮った。
 
「83年後なら、戦争は終わっているのでしょう? 皆さんが我々と同じ日本人なのは間違いない。となればわが国は、帝国はこの戦に勝ったのか……?」

 そう言って山口は小松の目を見据え、言葉を続けた。その目にはどんな結果でも受け入れる覚悟が見て取れる。

「厳しい戦いになると予想はしていた。帝国は米国と早期講和に持ち込むことができたのだろうか? それに皆さんは海上自衛隊であり海軍ではないと言う……。階級も含めていろいろと様変わりしている。これはいったい……なぜでしょうか」

 小松は山口の鋭い問いに対し、一呼吸おいて慎重に答える。

「司令官、率直に申し上げます。大東亜戦争、現代では太平洋戦争と呼んでいますが、日本の敗北で終結しました。1945年、昭和20年8月15日、当時の日本政府はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を決断したのです」

「なっ!」

「まさか……」

「ばかな! 帝国が……」

「……」

 小松がその言葉を発した瞬間、部屋の空気が一変した。鹿江や他の士官たちは息をのみ、加来も静かに目を閉じる。山口は動揺を見せず、小松の目をじっと見据えたままだった。

 山口はいわゆる上級指揮官であり、加来も海軍大学校を卒業している。ある意味理解ができたのであろう。あのまま戦争を続ければ早期講和以外には敗戦しかないと、どこかで予感していたのかもしれない。

 鹿江は感情と理性のはざまで揺れ動いていた。

 若いパイロット、飛行隊の隊長たちは純粋である。日本の勝利を疑わず、ただ単純に負けた事実を飲み込めないでいた。

「敗北……そうか」

 と山口は静かに言葉を発した。

 その声には怒りや悲しみではなく、むしろ冷静で現実を受容する様子がうかがえる。

「それで、日本はどうなりましたか? 敗戦して大日本帝国がなくなり、帝国海軍が消え、海上自衛隊に置き換わったのでしょうか?」

「はい、そのとおりです。8月15日に天皇陛下から国民に向けて終戦の詔書が放送され、その後日本は大きく変わりました」

 小松は静かにうなずいた。

「日本は連合国軍の占領下に置かれ、新しい憲法が制定されました。この憲法第9条では、戦争放棄と戦力不保持が明記されています。そのため、帝国海軍や陸軍などの軍事組織は解体されたのです」

 山口は腕を組んで、『平和憲法……戦争放棄ですか』とつぶやいた。

 その表情には複雑な思いが浮かんでいる。

「しかし、その後の国際情勢の変化に対応するため、1954年に自衛隊が創設されました。海上自衛隊は、かつての帝国海軍の役割を引き継ぐ形で設立されたのです」

「自衛隊……」

 山口はその言葉を頭のかなで繰り返した。

「つまり帝国は、いや、日本は戦争を放棄してはいるが……軍隊ではない自衛隊が国防を担っているのですか」

「そのとおりです」

 加来や鹿江は黙って小松と山口の会話を聞いているが、飛行隊長3人は理解が追いつかない部分も多い。




「|角野《かくの》さん、戦争ってのは国同士の戦いでしょう? その戦争を放棄して、武力を持っていないのに、どうやって国を守るんですか?」

 橋本は至極当然の質問を、先輩大尉の角野に投げかけた。

「うん、確かにそうだ。しかし二人も見てのとおり、これは空母だ」

 角野は医務室の壁を指で指し示して『いずも』の存在を指摘する。

「艦内の用語や文字は我々帝国海軍と酷似している。これが軍隊でないならば、いったいなんだ?」

「それを私は聞いているんです」

「ああ、そうだったな」

 角野はすまんすまんと、笑いながらごまかした。

「もしかして、敗戦と関係あるんでしょうか。米国の影響を受けたとか……。そうでもしないと、憲法を変えるなんて一大事ですよ。それに、どうみても海軍なのに海軍じゃないなんて……」




「いい質問です。それに本質を言い当てていますよ」

 3人の会話を聞いていた小松が言った。山口は3人を見ると、遠慮なく聞け、とでも言いたげな素振りを見せる。

「戦後の日本は、連合国軍の占領下で大きな変革を経験しました。その中で最も重要な変化が日本国憲法の制定です」

 小松が前に進み出て説明を始めると、橋本は身を乗り出して尋ねる。

「それは米国が作った……のですか?」

「その認識は当たらずとも遠からずです。当然ですが、はじめは日本人の手で新憲法を制定すべく進めていたのです。しかしその都度却下されました。敗戦国ゆえにあらがえず、最終的には占領軍の指示で作られた憲法で日本は戦争を放棄し、軍事力の保持を禁じました。しかし冷戦と呼ばれる国際環境の中で、日本の防衛力強化が必要となったのです」

「……冷戦? 冷戦とはなんでしょうか。とにかくそれで、自衛隊ができたのですね」

 今度は角野が質問した。

「はい。冷戦はソ連と中国を中心とした共産主義陣営と、アメリカを中心とした自由主義陣営の、武力衝突のない戦いです。1954年に設立された自衛隊は、専守防衛を基本方針として、日本の平和と独立を守ることを任務としています。また冷戦はソ連の崩壊とともに終結しました」

 ソ連とはソビエト連邦で、現在はロシア連邦となっている。中国は中華人民共和国で、第二次世界大戦時の国民党政府(中華民国)は共産党政府(中華人民共和国)に敗れて台湾に逃れた。

 3人はそれらの説明を受けたが、橋本は納得がいかない様子で問いかける。

「しかし、これだけの装備を持っているのに軍隊ではないと言うのですか?」

「自衛隊は国際法上では軍隊として認知されていますが、国内法では違います。攻撃的な兵器は持たず、必要最小限の防衛力のみを保持しています」

 小松は穏やかに答えると、山口が3人の会話に耳を傾けながら、静かにうなずく。

「つまり、形を変えながらも、国を守る本質は変わっていないのですね」

「おっしゃるとおりです」

 小松は笑顔で答えた。

「専守……防衛、とはなんですか?」

 3人の質問は続く。重松だ。

「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて、防衛力を行使する戦術です。その態様も自衛のための必要最小限にとどめる防衛戦略を指します」

 小松は重松の問いに向かい、姿勢を正した。

 重松は眉を寄せる。

「つまり、先制攻撃はしない、と?」

 そう問いかけた重松の表情は険しい。

「おおむね正確です。日本は攻撃的な兵器は持たず、あくまでも防御的な装備と体制で構成されています」

 と小松は説明した。

「バカな!」

 黙って聞いていた角野は声を荒らげる。

「飛行甲板が攻撃されたら、攻撃したくてもできないではないか! 飛龍が敵に発見されても、なおかつ攻撃されるまで待てと? そんなバカな話があるか!」

 ケガをしている足がうずいたのか、角野は苦痛に顔をゆがめた。しかしその語気は衰えない。『飛龍』はとっさに出てきた言葉であった。

 小松は角野の激しい反応が、自分に向けてではないと知っている。

 すぐに冷静さを取り戻して『ご指摘のとおり、実戦では難しい面もあります。しかし、これは憲法に基づく日本の基本方針です』と言った。

 山口が静かに口を開く。

「角野大尉、落ち着きなさい。我々の常識では理解しがたい部分もあるだろうが、まずは話を聞こう」

 角野は山口の言葉に従って黙り込んだ。

「ですが、近年はその専守防衛の在り方に疑問を投げかける声も多く、憲法の改正をふくめて議論されているところです」

 石川が小松を補足すると、気のせいか角野の表情が和らいで見える。

「では、この護衛艦いずもは防御のための艦なのでしょうか」

 橋本が様子をうかがいながら尋ねた。

「この艦は多目的運用艦として建造されました。災害派遣や国際平和維持活動など、様々な任務に対応できる艦艇です」

 小松が艦内の壁に目をやり答えると、重松が『災害派遣とは?』と問いかけた。

「地震や台風などの自然災害で被災した国民の、救助活動をしています。離島からの緊急患者の搬送など、平時における活動も自衛隊の重要な任務となっているのです」

「平和国家として歩む道を選んだのですね。しかし、それでも国を守る必要があるのは変わらないのでしょう」

 山口は部下たちのやり取りを聞きながら、静かにうなずいた。

「はい、そのとおりです。自衛隊は日本の平和と独立を守るため、日々訓練に励んでいます」

 小松は真剣な表情で答えた。




「司令官、そろそろ」

 加来が横から山口にささやいた。

「小松司令、我々のほかに救助されたのは何名ほどでしょうか?」

「……約300名です」

 総員退艦の際の正確な人数は正直なところわからない。しかし、1,500名搭乗可能な飛龍で300名のみ救助されたとは、なんとも言えない感情が全員にわき上がった。

 これは多いのか? 少ないのか?

「小松司令、動ける者だけを……そうですね、飛行甲板か格納庫へ集めることはできますか。皆にもこの状況を説明し、少しでも安心してもらわなければならない。それは指揮官としての役目ですから」

「はい、可能です。すぐに手配します」




 1時間後に格納庫へ集合した飛龍乗組員に対して、山口は説明をはじめた。




 次回予告 第6話 『佐世保へ』

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