第6話 『佐世保へ』

 2025/1/30(令和7年1月30日)佐世保港

 ミッドウェーから父島の海上自衛隊基地での補給を終え、佐世保へ帰港したのは十日後であった。

 艦橋には小松と石川が立ち、石川が入港の指揮をとっていたが、普段の護衛艦隊の入港とまったく変わらない光景である。

 強いてあげれば入港の日時が数日遅れた程度だが、さまざまな状況による入港の遅れは珍しくない。

 もちろん乗組員にとっては歓迎できないが、今回は状況が状況だ。

 岸壁には普段どおりに海上自衛隊員がいて、接近した護衛艦はタグボートに引かれている。




「あの赤|煉瓦《れんが》倉庫、まだ残っていたのですね」

「ああ、そのようだね」

 山口と加来は感慨深げに海上自衛隊佐世保基地や岸壁を見ていた。80年以上の時を経て街の様子は大きく変わっていたが、それでも昔の面影を残す建物が目に入ったのだ。

「あのあたりに、凱旋がいせん記念館があったはずですが……」

 加来の言葉に山口が目を凝らす。

「うむ、確かもう少し港の奥にあったと思う。今でも残っているのだろうか」

 2人はそう言いながら佐世保の街を見つめ続けた。

 80年後の未来は非現実的な現象だが、変わらずに残る建物たちは、彼らにとって唯一の故郷なのだろう。

 山口が目を細める。

「あの巨大クレーンも健在だな。まるで街の目印のようだ」

「ええ、確かに」

 加来はうなずいた。

「あれは大正2年に英国から輸入されたはずです。100年以上たった今も現役なのは驚きですね」

「我々の時代から変わっていない……何とも言えない安心感があるな」

 山口は感慨深げに続けると、『そうですね』と加来が同意した。

「あの大きな船は何だろうか。我々の知る空母とは随分と違う形をしているな。この艦、『いずも』に似ているが……」

「確かに。甲板が平らで、船体も四角いですね」

 山口の言葉に加来も注目した。

「ああ、あれは強襲揚陸艦です」

 艦長の石川は接岸の指揮をとっていたので、隊司令の小松が説明を加えた。

「上陸作戦用の艦艇で、ヘリコプターや上陸用舟艇を運用できる多目的艦です。米軍の艦艇ですね」

「米軍の?」

 山口と加来は驚いた表情を浮かべた。

「はい、そのとおりです。現在佐世保には米海軍の基地があります。日本と米国は同盟国として、この港を共同で使用しているのです」

「なるほど」

 山口がつぶやく。

「我々の時代の神州丸やあきつ丸の発展型が、米軍の艦艇として佐世保に停泊しているのだな……」

「技術の進歩がめざましいですね。我々の時代の特殊船が、ここまで進化するとは」

 加来がうなずく。

「……」

 小松は2人の会話には入らなかった。

 厳密に言って揚陸艦=陸軍特殊船で、それが進化して現在の揚陸艦になったかどうかは重要ではない。

 いちいち説明して2人の世界に介入するのもどうかと思ったのだ。

「しかし、米国と同盟国だと?」

 山口の表情が引き締まった。

「はい」

 小松は静かに答えた。

「戦後の日本は、米国との同盟関係を軸に安全保障政策を展開してきました」

「では、我々の知る佐世保鎮守府は?」

「鎮守府は戦後解体されました。しかしその施設の多くは海上自衛隊や米軍によって引き継がれ、今も使用されています。組織的に言えば佐世保地方総監部がその任にあたっています。空襲で被害を受けましたが、正門は今も残ってますよ」

 小松は言葉を選びながら説明するが、あ! と気まずい思いになった。

「空襲……。佐世保は空襲を受けたのだな……」

 山口は深いため息をついた。




「山口少将、加来大佐、もうすぐ接岸します。準備をお願いします」

 はじめは山口に対して司令官、加来に対しては艦長をつけて呼んでいた。しかし冷静に考えてみれば空母『飛龍』もここにはなく、山口が司令官を務めた第二航空戦隊もないのだ。

 海上自衛隊における司令でもなければ艦長でもない。

 残酷なようだが、受け入れなければならなかった。

 2人は我に返ってなずく。

 過去と現在が交錯する不思議な感覚の中、彼らは新たな時代への第一歩を踏み出そうとしていた。




 通常の入港業務がすべて終わるといずもの乗組員には上陸が許可された。厳重な箝口かんこう令が敷かれたのはもちろんだが、全員に上陸前に一筆書かせる一手間が加わったのだ。

 いわゆる秘密保持契約書だが、違反した者には厳しい罰則がある。

「時任士長、なんですかこれ? オレ早く上陸したいんですけど……」

「松岡、そりゃオレだって面倒くさいさ。でもな、異常事態が起きただろ? オレたちは人命救助をしたけど、それをしゃべったら日本中がパニックになるじゃないか。自分より年上の子供や孫がいる可能性だってあるんだ。バタフライエフェクトってやつだな」

 正確にはバタフライエフェクトではない。しかし当たらずとも遠からずの感はある。




 艦が完全に接岸すると岸壁から金属音が響く。係留作業が始まった。

「これからは上陸のうえ、われわれの上司、上官となる方々と会っていただきます。今後の皆さんの処遇をどうするか、状況が状況なので、前例のない会議となります」

 小松が山口と加来に告げると、しばらくして護衛艦『いずも』の舷梯げんていが岸壁に架かった。
 
「おい、あの2人……見たことあるか?」

 山口と加来が降り立つ瞬間、近くで作業していた整備員たちが手を止めた。

「いや、誰だ? 何かの訓練で乗艦したんだろうか」

「わからん……。まあいいや、これで今日の入出港は終わりだ。仕事終わったら飲みに行こうぜ。ライオンタワーにいい店見つけたんだ」

「好きだな~。ライオンタワー」

 談笑する作業員たちの会話がつづく。




 200メートルほどある海上自衛隊の立神岸壁の桟橋を歩くと、さらに800メートルほど港湾施設が建ち並んでいる。

 小松はどうやって山口と加来を総監部まで連れて行こうかと考えていたが、結局はシンプルイズベストという結論にいたった。

 いろいろ考えた結果、海上自衛隊の制服を着てもらって乗車、そのまま向かう事になったのだ。

 山口と加来は事前に準備された海上自衛隊の制服に身を包み、小松と共に車に乗り込んだ。立神岸壁から総監部への道すがら、2人の表情には複雑な思いが浮かぶ。

 80年以上の時を超えて来た彼らにとって、この光景は懐かしくも異質なものだったのだ。

「この街も随分と変わりましたね」

 加来がつぶやいた。

「ああ。しかし、変わらぬものもある」

 街路樹の緑が鮮やかに目に映るが、佐世保川までの道の右側は海上自衛隊か米軍の施設である。軍港に違いはないが、かつての面影とは随分違っていた。

 小松は突如として未来の世界に投げ出された2人の戸惑いと、それでも冷静さを保とうとする姿勢に敬意を覚えずにはいられない。

「総監部に着きましたら、状況説明の後に今後の処遇を話し合います」

 小松が静かに告げた。車内の空気が緊張感に包まれる。

「わかりました。我々にできることがあれば、何でも協力します」

 山口が毅然きぜんとした態度で応じた。その声にはいかなる状況下でも責任を全うしようとする、軍人としての矜持きんじが感じられる。

「ありがとうございます。お二人の経験と知識は、現代の自衛隊にとっても貴重なものになるはずです」

 小松の言葉に、山口は静かにうなずいた。




「はじめまして、防衛大臣の中川亘です」

「内閣官房副長官の佐藤美智子です」

「サイバーセキュリティ・情報化審議官の中村です」

「内閣法制局首席調査官の鈴木健一です」

「防衛省大臣官房長の田中裕子です」

「海上幕僚長の斎木鎮幸です」

「佐世保地方総監の田原川宗男です」

「海上自衛隊首席法務官の渡辺祐二です」

 背広組5人と制服組3人のお出迎えである。




「第二航空戦隊司令官、海軍少将山口多聞です」

「空母飛龍艦長、海軍大佐加来止男です」

 小松と石川は通例に従って敬礼したが、山口と加来も迷った結果、旧海軍での階級と役職名を名乗った。

 現在は2025年、令和7年であり、昭和17年ではない。

 しかし彼らのアイデンティティを示すには、それしか方法がなかったのだ。




 次回予告 第7話 『情報統制と非公式法整備』

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