第361話 『市中引き回しの上磔・獄門。そして減額交渉』

 ~慶応元年八月十八日(1865/10/7)

「さて皆さん、こちらの御三方ですが、どうすべきでしょうか? もし日本の法でとなると、市中引き回しの上はりつけか獄門になるでしょうなあ……」

 次郎は笑うでもなく淡々と話し、オランダ・フランス・アメリカ・ロシアの代表に、国際的なルールではどうなるのかを尋ねた。

 もちろんやりたくはない。野蛮な国だと思われるだけだ。

「ひえええっ! た、助けてくれ! オレはただ人を探しただけじゃないか!」

「濡れ衣だ! 不確かなのに認めていればよかったのか? ! 頼む、助けてくれ! 全部悪いのはオールコックじゃないか!」

 通訳から『市中引き回しの上磔か獄門』の意味を聞いたニールとパークスは、顔面蒼白そうはくとなって叫んだ。一方オールコックはブツブツと独り言を繰り返し、まるで別人だった。

「国際法上、外交官の不正行為に対する処罰は、本国への送還と職務からの解任が一般的です。ただし重大な犯罪の場合は、本国で裁判を受ける場合もあります」

 オランダ総領事のポルスブルックがせき払いし、静かに口を開いたが、そんなことは当然だと言わんばかりの日本側である。

 フランス公使のレオン・ロッシュが続く。

「わが国でも同様の対応をとるでしょう。ただし、国家間の関係悪化を避けるため、慎重な外交交渉が必要になると思われます」

「確かに外交官の特権を考慮すべきですが、この事件の重大性に鑑みると、単なる送還では済まされないかもしれません。本国での厳正な処罰を求める声が高まるでしょう」

 アメリカ代理公使のアントン・ポートマンは首をかしげながら発言すると、ロシアエ領事のエヴゲーニイ・ビュツォフは冷ややかな表情で続けた。

「わが国では、同様の事態を引き起こした外交官は厳しい処分を受けるでしょう。しかし国際的な体面を考慮すれば、公開処刑など野蛮な方法は避けるべきです」

 各国代表の意見を聞きながら次郎は深く考え込んだが、心は決まっていた。隣の川路に相談する。

(江戸城にて謝罪文を読み上げさせ、市中引き回しの上、~でいかがでしょうか)

(それは面白い)

 川路は次郎の提案に声を上げて笑った。

「皆様のご意見、ありがとうございます。では市中引き回しの上、処罰といたします」

 刑の詳細は各国代表とガウワーには知らされたが、三人には知らされなかった。




 ■慶応元年八月十八日(1865/10/7)

 特に日取りを決めることもなく、三人の登城は決まった。

 謝罪文は次郎が目を通し、問題がないと判断した上で登城させ、読み上げさせたのだ。

 三人はその後、後ろ手に拘束される。

 馬に乗せられ罪状を書かれた札を掲げられながら、小塚原刑場へ向かった。

『生麦村にいて異国の蛮行を煽動せんどうしたる罪』

 オールコックの罪状はそう書かれ、ニールとパークスは協力罪と書かれた。生麦事件を引き起こした犯人を見ようと、街道には大勢の町民が押し寄せている。

 三人とも気が気ではない。それどころか半狂乱に近い状態だ。

 やがて刑場に着き、刑が執行される。

 三人並んで木製の椅子に座らされ、身動きができないように、さらにきつく縛られた。それぞれの後ろには刀を持った死刑執行人が合図を待っている。

 ……見聞人の合図で刀が振り下ろされた。




 ……が、三人はまだ生きている。

 執行人は寸止めで刀を納め、かわりに髪の毛を切って燃やしたのだ。

 断髪である。

 命の代わりに髪の毛を切って証とした。

 欧米人にとってあまり意味はないのかもしれないが、日本人、当時の武士にとっては誇りでありアイデンティティである。それをもってケジメとしたのだ。

 もっとも三人には処刑される寸前の恐怖を味わわせた。

 次郎は立ち会っていない。悪趣味だし、どうでもよかったからだ。

 執行後三人はしかるべきルートで出国し、二度と日本には関わらなかった。




 ■イギリス公使館(仮称)……国交はないため仮称。

「さてガウワー殿、生麦の賠償の件ですが、お約束どおり請求いたしません。三人には個人的に謝罪していただきましたが、国として謝罪していただきます。あとは治療費さえもらえば問題ありません」

 次郎はガウワーと戦争賠償金の減額交渉をしていた。

「ありがとうございます。Mr.オオタワ、感謝に堪えません。では……具体的な交渉に入ってもよろしいですか?」

「ええ」

「ではお伺いします。前回の経済復興支援金は318万ポンドで決まっていました。単刀直入に申し上げますと、どのくらい減額していただけるのでしょうか」

 エイベル・ガウワー(前駐日イギリス長崎領事)は意を決して切り出した。




 台場大砲の製造ならびに設置費用 2,870,000ポンド

 艦載砲の製造ならびに換装費用 33,000ポンド

 艦隊運用費用 87,000ポンド

 台場の損害回復費用(長州) 52,000ポンド

 艦船修理費用 53,000ポンド

 死傷者賠償金額(2+7)85,000ポンド

 総合計 3,180,000ポンド




「ふむ……。それは、貴国がどれほど希望されるか、ですな。こちらはそれをのむか、のまないか。それだけです」

 次郎としては交渉をするつもりはない。

 すでに何を免除するのかを考えていたからだ。

 ガウワーは深呼吸し、次郎の言葉の意味を考えた。イギリス政府としてはできる限りの減額を望んでいたが、日本側の態度次第では、交渉が難航する可能性も考慮しなければならない。

「Mr.オオタワ、我々としては可能な限りの減額を希望します。具体的には、総額の半分程度、つまり約160万ポンドの減額を提案いたしたいと思います」

 次郎は無表情のままガウワーの提案を聞いていた。

「半分ですか。なるほど。ではその根拠はなんでしょうか?」

 交渉する気はないが、一応だ。

 ガウワーは次郎の鋭い質問に、一瞬たじろぐ。

「根拠としましては、第一に、生麦事件の責任が明確になった点です。オールコック卿らの関与が証明され、イギリス側にも非があった事実が判明しました。これにより、賠償金の一部減額は妥当であると考えます」

「なぜ? なぜ妥当なんですか?」

 短いが的を射た次郎の返答に、ガウワーは言葉に詰まった。

「それは……」

 必死に言葉を探しながら続ける。

「わが国の過失が明らかになりましたので、全額の賠償を求めるのは適切ではないと考えたためです。また、両国の今後の関係を考慮すると、ある程度の譲歩が必要だと判断しました」

 次郎はため息をつく。

「あの、今後の両国の関係とおっしゃいましたか? まさかすぐに国交が回復するとでも思っていらっしゃるのでしょうか? だとすればずいぶんと甘い。それに貴国の過失が明らかになろうがなるまいが、貴国がなさった事実は変わらない。ゆえに本来は賠償金は変わらないのですよ」

 ガウワーは顔を硬直させた。




 なんだ?

 なぜ私はここにいるんだ?

 こんな交渉など無理ではないか……。

 切れるカードがひとつもないのだ。

 どうやって交渉すればいいのだ。




「Mr.オオタワ、おっしゃるとおりです。しかし、我々としては……」

「なんでしょう? 私は減額しないとは言っていません。しかるべき根拠をしめしてください」

 次郎は冷ややかな目でガウワーを見つめた。

 その瞬間ガウワーは理解したのだ。

 この男には減額する気などないのだ、と。

 正確に言えば、減額はするが(ツートップを証人喚問に呼んだので)条件はのまない。

 表向きは交渉の体を装ってはいるが、金額は最初から決まっていたのだ。

 茶番である。




 結局、死傷者への見舞金と台場・艦船修理代・艦隊運用費用が減額され、賠償金は2,903,000ポンドとなった。




 次回 第362話 『アラスカと万博』

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