第366話 『買うべきか買わざるべきか。大問題発生』

 慶応元年十一月三日(1865/12/20) 江戸城 御用部屋

『賠償金の総額が293万3千ポンドのため、残額は262万8千11ポンドとなった。正直なところ全額もらっても大村藩としては赤字である。大砲を製造して各所の台場に大砲を設置、同じく艦艇に搭載しているのだ。それだけで290万ポンドを超える』




 ……。

 江戸城での賠償金の割り振り会議の際に、こう発言した次郎であったが、実は正確な表現ではなかった。

 次郎はガウワーとの賠償金交渉の際、総額318万ポンドのうち大砲の製造と設置費用として410門分の287万ポンドを請求している。

 しかし江戸湾の防備は叱責しっせきを覚悟で後回しにしていた。実際に製造して配備した28センチクルップ砲は鹿児島が85門、下関が100門のみである。もしイギリス海軍が江戸湾に侵攻していたなら、早期警戒網で察知して大村海軍全軍で迎撃する予定だった。

 さらに江戸湾の大砲は総門数119門。

 内訳は80ポンド砲19門、36ポンド砲4門、30ポンド砲14門、24ポンド砲28門、12ポンド砲42門、6ポンド砲12門となる。合計が366万7千164ギルダー で30万5千597ポンド(76万3千992両5分)。

 鹿児島と長州の185門(@6万7千500ギルダー=5千625ポンド・1ポンド2.5両)を単価7千ポンドで計算すると129万5千ポンドである。単価は多めに算出していたので実際は@3,937ポンドであり、総額は72万8千345ポンドとなる。

 総合計は実質103万3千942ポンド(258万4千855両)。

 賠償金の金額交渉はもちろんだが、戦後の賠償金の内訳を決める会議においても、次郎は純顕以外には誰にも話さなかった。後で露見すれば、謀ったな? などと言われるかもしれない。しかし仮にそうなっても、ほとんどの戦費はわが大村家中が出したのだぞ、と突き通すつもりだったのだ。

 次郎が幕閣や雄藩を相手にウソをついてまで賠償金を欲したのには理由があった。

 理由のひとつはアラスカの購入である。

 155万ポンドの余剰金があるので十分に購入資金になるのだが、もうひとつの理由が深刻だったのだ。

 大村藩の財政状況は黒字ではあったが、ここ数年で収益を圧迫する歳出が増えていた。

 それは艦隊の維持費用である。

 イギリスから獲得した2隻をあわせて16隻。維持費用が年間148万両近くになっており、陸軍の維持費用も加えればさらに財政を圧迫している。

 だからぼったくった。

 ソルベー法による石けんの大量生産とマーガリンの製造を実用化して上海市場へ輸出しているが、歳入は多いに越したことはない。蝦夷地と樺太の開発で鉱物資源の収益化は目処もたっている。しかし不安要素は消しておきたいのが本心であった。

 アラスカは金の山。

 次郎は絶対に購入しなければならないと心に誓った。




「金銀をはじめとしてさまざまなる鉱物を産する金山かなやま、ならびに石炭に臭水くそうず(石油)、それらに付随する産物。くわえて海の幸に山の幸と豊かな資源にあふれております。これがアラスカの購入を勧める唯一無二のゆえにございます」

 万座がざわつき、次郎のさらなる説明を待った。

 金山の開発、石炭、臭水(石油)、そして豊富な海産物と農産物。もし次郎の言葉が真実ならば、アラスカはまさに宝の山だ。しかし、彼らには容易に信じられない。

 あまりにも話が上手すぎる。

 ……が、そんなことをして大村藩になんの得があるのだろうか?

「金銀に石炭、さらに臭水……にございますか。ではそれらがしかと産するといたしましょう。その証左やいかに?」

 質問者は板倉勝静かつきよ

 寺社奉行、奏者番、外国御用取扱と要職を歴任してきた板倉は、藩政においても質素倹約と殖産興業で財政再建を果たした実績を持つ。

 勘定奉行の経験はないが、その行政手腕は幕閣の中でも高く評価されていた。鋭い洞察力で次郎の言葉を吟味し、真意を見極めようとしている。幕府の財政が逼迫しているからこそ、慎重にならざるを得ないのだ。

 根拠がなければ信じるに値しない。板倉以外の幕閣たちは、次郎の言葉に耳を傾けながらも、次の発言を待っていた。

「証左に関しましては……わが家中が松前家中とともに樺太と蝦夷地の草分け(開発)を行いて十二年。いずれの土地からも石炭・臭水・金銀が産しております。加えて……」

「待たれよ! 今、金銀と仰せか? 安藤様、蝦夷地と樺太で金が出たなどと、然様な知らせは聞いておりませぬぞ」

 稲葉正邦が、聞き捨てならぬとばかりに大老の安藤信正に詰め寄った。

 当時の金・銀を含めた鉱山は幕府の直轄領とされることが多く、例外はあるがほとんどが天領となっていたからである。

「いや、その儀ははじめて聞いたが、蔵人殿、真か?」

「……はい、真にございます。然れど石炭や臭水に比べて産する量も少なく、いまだ知らせる要なしとしておりました。某の本分ではないと知りながらも、はばかりながら国事に奔走しておりましたゆえ、失念しておりました。この場を借りておわび申し上げます」

 次郎の発言に万座でざわめきが起きる。

 金鉱山発見の未報告。

 十数年前なら謀反の兆しありとして、改易されてもおかしくない事柄なのだ。




 しまった……言わなければよかったか?




 次郎はそうも考えたが、仕方がない。

 実はアラスカの金鉱脈の存在を証明するため、北海道産の砂金をアラスカ産と偽って幕閣に見せようと計画していたのだ。しかしこのウソには、金山発見の未報告とロシアへの無許可のアラスカ調査を疑われる、という二つの大きな問題があった。

 まず、一袋の砂金を見せて幕閣が納得したとしよう。

 その先は?

 どの程度の埋蔵量なのか不明なのだ。もちろん、見せ砂金の存在は幕閣の興味をそそるだろう。しかし現実には少し掘った(採った)だけで枯渇するのではないか? という疑問が残る。そのために鉱山技師の実績が必要なのだ。

 石油や石炭も山師(技術者)だが、産出する鉱物によって分野が違う。

 そこで『蝦夷地や樺太の~』との発言となった。

 蝦夷地と樺太に金脈を見つけた、と。

 もう一つは、無許可のアラスカ調査である。

 幕府に無断で渡航した上に調査したとなれば、間違いなく国際法違反だ。報告したとしても違反である。

 これまでさんざん国際法をたてにとって列強を相手取ってきたのだ。無断で資源調査など、言語道断である。ロシアの対馬事件より場合によっては悪質だ。

 しかし実際にやってはいない。

 ただし、証明させるために必要なウソなのだ。

 だからこそ、是が非でもアラスカの購入を決断させる必要がある。




「これは……由々しき有り様(事態)ですぞ、いかに蔵人殿、大村家中とはいえ、専横が過ぎるのではありませんか」

 稲葉の言葉が静かに響き渡った。

 砂金の現物を見せ、アラスカ調査の件を伝えた次郎に全員の視線が集まっていく。




 次回予告 第337話 『是非』

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