慶長二年十二月二十日(西暦1598年1月27日)
純正が転生してから36年が経過したが、肥前国では蒸気船をはじめ、さまざまな分野で研究・開発が盛んに行われている。
軍事分野では管打式小銃の実用化が進み、炸裂弾や榴弾といった新型兵器も開発され、戦術に大きな変化をもたらした。
海軍では最新鋭のスクリュープロペラ推進艦が就航し、従来の外輪船を凌駕する速力と航行性能を発揮している。
商業用として蒸気機関を搭載した外輪船が普及し、国内の物流は飛躍的に発展していたのだ。
肥前国の発展は、軍事面にとどまらない。
純正が構築した教育・研究・開発の仕組みは、人々の生活に大きな変化をもたらしていたのだ。
医療の分野では天然痘ワクチンが開発され、長年人々を苦しめていた病の脅威が大幅に減少している。
また、衛生面においても上下水道が整備されており、伝染病の流行が抑制されていた。
教育面では初等教育機関が整備され、各地で読み書きやそろばんを学ぶ子供たちの姿は、もはや珍しくない。
さらに、高等教育機関としては純アルメイダ大学の分校が各地に設立され、医学、薬学、物理学、数学など様々な分野の研究・開発が進んでいた。
街のあちこちにガス灯が設置され、都心部や主要街道では夜の闇を明るく照らしている。
■科学技術省 電力電気開発部
「ガス灯で十分ではありませぬか! 維持費も安く、明るさも申し分ない」
会議室では、ガス灯の専門家である村瀬威廉(ガス灯研究開発促進課)が声を荒らげていた。ガス灯は彼によって17年前に開発され、実用化されている。
今やガスマントルを用いた白熱ガス灯が実用化され、より明るく広範囲を照らしていたのだ。
「否、炭素灯こそが未来の光です。炭素灯はガス灯の十倍以上の明るさを持ち、風にも強い」
アーク灯の開発を担当する半藤大輝(炭素灯研究開発促進課)が反論した。
「されど、アーク灯は非常に危うい。強い光は目に悪影響を及ぼすやもしれません」
「加えて、炭素棒の交換が頻繁に要りまする」
村瀬の部下たちも次々と意見を述べた。
「加えて、その明るさを成すには膨大な電力が必要でしょう? いかしにて保つのですか?」
村瀬である。
肥前国ではライデン瓶を参考にして電池(ボルタ電池)が発明された後、改良を重ねて持続性の高い新型電池(ダニエル電池)も実用化の段階にあった。
しかしアーク灯を点灯させるには膨大な数の電池と持続的な電力供給が必要である。
実際、最初の実験ではボルタ電池が2,000個必要であり、現在でもその問題は根本的に解決されていない。
「それを言ったら村瀬殿、ガス灯にも致命的な欠点があるではございませぬか。工業用としては明るさが不足し、爆発の恐れもある。室内で使えば壁が黒くなり、異臭のせいでめまいや頭痛の症例は多数ありますぞ」
半藤も負けてはいない。
肥前国では産業革命により夜間の電力が必要とされていたが、ガス灯ではその要求を満たせなかった。
そのためアーク灯には期待がかかっていたが、同時にいくつかの弱点も存在したのである。
・アーク灯は1つごとに発電機が必要であり、広範囲への電力供給や集中管理ができなかった。←電力供給システムが必要。
・アーク灯は手軽に点灯・消灯ができない。個々の住宅や商業施設など、頻繁に点灯・消灯が必要な場所には不向きだが、ガス灯は個別に制御できる。
・アーク灯は非常に明るいため、街路灯や広い場所の照明には適しているが、家庭用としては明るすぎて適さない。←現状では、公園や公共施設、重要施設付近の街灯にのみ利用可能。
・放電による騒音やちらつき。
「だからこそ、新型発電機と蓄電池の開発をあわせて進めているのです。よろしいですか? これからはガスではなく、電気の時代です」
半藤はそう言って、新型発電機(イェドリクのダイナモ)と鉛蓄電池の設計図を広げて見せた。
「良いですか、これが完成し、高出力の電力供給が広き範囲に能えば、間違いなく電力がガスよりも有用である証となります」
ガス灯研究開発促進課のメンバーは顔を見合わせていた。
アーク灯を含む電力分野が研究開発の途上にあるのは、技術者たちには当然理解できる。
理解はできるが、それが果たしてガス灯よりも有用であるかどうかは、別の問題なのだ。
「されど」
村瀬は腕を組みながら続ける。
「費用の問題をいかに解決するのですか? 電池の代わりに発電機を使い、電力を供給したとして、いかほど賄えましょう。間違いなく広範囲に供するには、膨大な設備投資が要りますぞ」
「ご覧ください。この発電機は従来よりも出力が高く……」
村瀬の意見はもっともである。
半藤は図面の一部を指差しながら反論した。
「待たれよ。先ほどは新型の発電機は開発中だと仰せであったのに、なにゆえ出力が高いと言いきれるのですか。仮の話では議論になりませんぞ」
半藤は村瀬の指摘に一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直した。
「開発中なのは確かですが、これまでの実験結果から、従来の発電機に比べて少なくとも三倍以上の出力が見込めまする」
彼は懐から実験データの記録を取り出し、机の上に広げた。そこには日付と共に、細かな数値が丁寧に記されている。
「わはははは! 従来の発電機とは、二十七年前に忠右衛門様が発明した静電発電機ですかな?」
「いえ、それだけではございません」
半藤は冷静に答えた。しかし、その目に浮かぶ熱は隠しきれない。
「忠右衛門様の発電機から始まり、我らは数々の改良を重ねてまいりました。特に最新の発電機は、磁石と導線コイルの相互作用を利用した画期的な……」
「おお、それは面白い」
突然、穏やかな声が響く。
振り返ると、そこには純正の姿があった。村瀬も半藤も思わず背筋を伸ばし、直立不動の状態で一礼する。
「殿下!」
慌てて平伏した二人に、純正は手を振りながらゆっくりと歩み寄った。
「よいか、忠右衛門や源五郎とも話したが、ガス灯とアーク灯にはそれぞれ一長一短があり、今後の発展の余地もある。いがみ合うのではなく、互いに情報を交換し、切磋琢磨していくのだ」
「ははっ」
■科学技術省 大臣室
「父上、会議室では連日ガス灯派と炭素灯派が議論を交わしているようですね」
「うむ、良い事じゃ」
純正の叔父であり科技省大臣の太田和忠右衛門政藤と、その息子源五郎政秀の会話である。
「その昔、いつであったかの。そなたとわし、加えて一貫斎や他の技術者たちも共に議論しておったろう? あの時も殿下の一言で意思の疎通が滑らかになり、部門の垣根を越えて研究に幅が出たではないか」
「ははは、然様なときもありましたね」
2人は昔を懐かしんでいた。
「然れど源五郎、忘れてはならぬぞ。わしは大臣、そなたは顧問になって久しいが、共に研究している電信だけは、先んじて実用に耐え得るようせねばならぬ」
「はい。領土が広がるにつれて、情報伝達の遅れが統治の足かせとなっています」
源五郎は机上の地図を指さした。
肥前国の統治領は、北はアラスカやアメリカ西海岸から、はるかインドやアフリカにまで及ぶ広大な範囲に広がっている。57本の電線で、この広大な領域を結ぶのは維持管理の面から見て現実的ではない。
「腕木通信網の補完として始めた研究だが、今やその能うる性(可能性)は逆になりつつある。電気による通信の方が、はるかに多く能うるであろうとの考えが多いからの」
忠右衛門は深いため息をついた。
電気信号による通信は、風雨に左右される腕木通信の弱点を克服できる。しかし、57本の電線はそれぞれが一つの文字に対応する原始的な方式だったのだ。
「五十七本の電線で一文字ずつ送るのでは、あまりにも単純すぎる。もっと……」
源五郎は図面に向かって眉をひそめた。視線の先には文字盤と電線を結ぶ複雑な回路が描かれている。
「そうだ!」
源五郎は突然立ち上がると、隣の実験室から紙と筆を持ってきた。そして机の上で素早く図を描き始める。
「父上、これはいかがでしょうか。57本の電線を使うのではなく、二本の電線で……」
源五郎は興奮した様子で説明を続けた。
「二本の電線で短い信号と長い信号を組み合わせれば、あらゆる文字を表現できるはずです」
忠右衛門は息子が描いた図に目を凝らした。そこには点と棒を組み合わせた文字の一例が示されている。
「うべな(なるほど)……これなら維持管理も容易になるわけじゃな」
忠右衛門の目が輝く。
「はい。さらに受信側では、電磁石を用いて信号を機械的に記し能うかと」
源五郎は新たな図面を広げながら説明を続けた。その図面には、電磁石を用いて硬めの細長い紙テープに凹凸を付ける装置のラフスケッチが描かれている。
「うむ、さっそく詳し設計と製造に入るがよい」
電信の発明にはまだ時間がかかると思われるが、可能性としての道筋は見えてきたようである。
次回予告 第846話 『哱拝の死』

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