第851話 『対スペインパルチザンと李化龍のあせり』

 慶長三年六月十八日(西暦1598年7月21日)

「直茂、ビルカバンバの皇帝に親書は届いておろうな?」

「は、そろそろかと存じます」

 今年の2月にインカ帝国の皇帝から親書を受け取り、正式に国交を樹立する旨の返書を送ったのだ。

 ただし、軍事支援は行うが、独立戦争はインカの国民自身が主体となって戦わなければならない。

 返書の内容は以下のとおり。




 ――インカ皇帝トゥパク・アマル陛下

 ご書簡、確かに拝読いたしました。貴国の独立に対する強い意志に、心から敬意を表します。

 わが国は貴国の独立を支援いたしますが、独立は貴国の国民自身が達成すべきだと考えています。

 そのため兵士は直接派遣せず、軍事訓練や武器の提供を通じて支援をいたします。

 イスパニアの動向については、わが国の使者が随時情報をお伝えするでしょう。

 また、交易に関しては周囲のスペイン勢力の監視があるため、慎重にかつ秘密裏に進める必要があります。

 我々は貴国の友人であり、支配する意図はありません。信頼関係を築き、共に歩んでいきましょう。

 貴国の平和と陛下のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

 肥前国王 小佐々平九郎純正――




 リマと外港のカヤオはスペインの支配下にあり、沿岸地域の安全性はあまり高くないと言える。

 公然と支援するとなれば、スペインとの大規模な戦闘が予想されるのだ。

 しかし駐ポルトガル大使である松浦親から、スペインの態度が軟化していると知らされた今、次の反応を見極める必要がある。

 肥前国がスペインと交戦中である事実は変わらない。

 もしスペインが何の反応を示さないのであれば、進軍するしかないのだ。

「殿下、北米のテノチティトランからの報告が届いております」

「読め」

「はっ」




 ――発 ア諜報 宛 情報省

 クイトラワクヨリ支援要請ノ打診アリ イスパニアニヨル徴用甚ダ厳シク 到底耐エ難シ

 支援アレバ速ヤカニ蜂起シ カツテノ王国ヲ取リ戻サント欲シケリ――




 うべな(なるほど)。ならばこちらも同じじゃ。武器弾薬を支援すると伝えよ。ただし、兵はやらぬ。訓練のための士官を数名送るのだ」

「ははっ」




 ■登州

 女真族の上陸攻勢が始まってから、すでに1か月がたとうとしていた。

 李化りゅうは威海衛の守備兵を呼び戻し、芝罘島対岸の守備隊との合流に成功した。しかし、兵の数は少なく、状況は厳しいままである。

 頼りにしていた火器の優位性も、肥前国の支援を受けた女真軍の前では圧倒的ではなかったのだ。

 三眼銃は簡単に言えば、三丁のマスケットを束ねて一丁にしている。

 そのため威力は3倍に達したが、装填そうてんにかかる時間も3倍となる。その間に機動力のある攻撃を受ければ、優位性はないのだ。

 明軍の基本戦術は、浜辺に迫る女真軍に対して大砲で威嚇し、さらに接近してくる敵への銃撃である。

 突破した女真軍との白兵戦になるが、その戦闘の勝敗は数によるところも大きい。

 つまり、物量によって勝利を収めるのは一つの戦略なのだが、明軍は劣勢にあるため、少数の兵力を生かした戦術を取るしかないのだ。

 対して満州国軍は昼夜を問わず兵士を交替させながら攻撃を仕掛けていたため、明軍は疲労が蓄積し、士気も低下する一方であった。

「おい、まだか! まだ朝廷からの文は届かぬのか? !」

 北京の部隊が南下を終えるまで、耐え抜かなければならないのだ。

「総兵大人、敵の動きに変化が!」

「どうした! ?」

 副官の声に、李化龍は城壁から目を凝らした。夜明け前の薄暗がりの中、沙門しゃもん島の方から大量の小舟が押し寄せてきている。

 その数は軽く百を超えている。

「ついに本格的な上陸作戦が始まるのか」

 李化龍はアゴに手を当て、状況をじっくりと分析した。これまでの小規模な上陸作戦は、明軍の防衛態勢を探ると同時に、彼らを消耗させるためだったのだろう。

「大砲の準備は?」

「はい! 海岸線に三十門を配置済みです」

 李化龍はうなずいたが、その表情には晴れやかさがなかった。砲弾の数が限られているためだ。

「良いか、敵が上陸するまで撃ってはならんぞ。一発たりとも無駄にはできん」

 その瞬間、海上に閃光せんこうが走った。続いて轟音ごうおんが響き渡り、防衛陣地の一部が崩れ落ちたのだ。

「何だこれは? 女真軍に大砲があるはずがない!」

 李化龍は目を大きく見開いた。

 まさか、肥前国から武器の支援を受けているのか?

 無関心を装い、不干渉を掲げていたのは嘘だったのか?

 実際には、嘘ではなかった。

 ヌルハチが使用したのは、肥前国ではすでに旧式とされていた大砲であり、今回の戦争のためではなく、女真族の統一を目的として貸与された大砲だったのだ。

 それでも、明軍の大砲よりもはるかに飛距離がある。

「総兵大人、このままでは……」

 副官の声が震えている。李化龍は歯を食いしばった。

 北京からの退却に関する連絡は、まだ届いていない。

 しかし、ここで耐えられなければ、明は存続の危機に直面するのだ。

「まだだ。もう少しだけ持ちこたえるのだ」

 李化龍の声が、夜明け前の闇に静かに溶け込んでいった。




 ■順天府 紫禁城

「申し上げます! 急報! 急報です!」

「何事か!」

 顧憲成は叫びながら伝令の報告を受け取った。

「寧夏軍、武装した寧夏軍がこちらに向かっています!」

「何だと?」

 顧憲成は瞬時に立ち上がり、周囲の文武百官たちも慌てふためいた。寧夏との同盟が実現しなかった件は理解していたが、まさか女真と手を組んで攻めてくるとは。

「どこからだ?」

「関平衛から南下してきております。数は三万とも! さらに宣府、大同よりも軍が動いているようでございます!」

 顧憲成は額に冷や汗をにじませた。

 これは、間違いなく北京包囲作戦だ。

 そもそも、寧夏に割譲し、天津を肥前国に割譲した時点で、有事の際には北京が孤立する可能性が考慮されていた。

 考慮されていたのだが、遷都には膨大な資金が必要であり、さらに北京は明朝の建国以来の首都である。すぐに決断ができないのも無理はなかった。

「どうしたのだ顧憲成、なぜ寧夏が攻めてくるのだ? 独立を認め、領土も与えた。やつらが攻めてくる理由などないではないか!」

 万暦帝は怒りをあらわにし、顧憲成は慌てて頭を下げた。

「申し訳ありません。おそらく女真と結託し、我が国の領土を分割して統治する密約を結んだのではないかと……」

「何を言う! 仮にそうだったとして、なぜそのような大事を事前に察知できなかったのだ!」

 万暦帝の怒声が大和殿に響き渡る。その声には怒りと共に、深い焦燥感がにじみ出ていた。

 全ての経費が削減され、その資金は国力の強化に充てられていたのだ。

 防衛は国家の基盤を支える重要事項であるが、明はそのために十分な資金を確保できていない。それほど肥前国との戦いや哱拝ぼはいの乱、楊応龍の鎮圧に多大な戦費が費やされたのだ。

「陛下、今は遷都を決断すべきかと……」

「黙れ!」

 万暦帝は立ち上がり、玉座から降りると、顧憲成に詰め寄った。その目は血走り、全身から怒りがあふれ出ている。

「この北京を捨てろというのか? 祖先から受け継いできた都を見捨てろというのか!」

「されど陛下、このまま籠城を続けても、先が見えません」

「く……」

「今、逃れれば、まだ勝機はあります。河南へ向かう途上で登州の李化龍と合流し、備えを整えて時を稼げれば、再び反撃の機会も訪れましょう」

「……」

 万暦帝は、究極の選択を迫られていた。




 次回予告 第852話 『決断』

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