第12話 『転生者フレデリックと転生者オットー&コンパス・オブ・ディスティニー』

 1590年6月19日 オランダ ライデン

「ちょっと話がある、後で時間とれるか? お前も同じ転生者なんだろ? 日本人の(日本語で)」

 フレデリックはオットーの耳元でそうささやいた。

 オットーは瞬時に状況を理解したのか、短くうなずく。

「皆、静まるのだ。この者、オットー・ヘウルニウスは、私と兄の命により、新たな蘇生そせいの術をヨハネス・ヘウルニウス教授と共に研究していたのだ。よいか、これはその正当性の証明である。しかし、他言は無用だ。医学にはまだまだ深い奥義が存在するのだ。分かったな」

 周囲の生徒たちや集まった大人たちは、総督の弟であり、将来のネーデルラント総督候補であるフレデリックに対して敬意を表した。

 返事する者もいれば、会釈しながら立ち去る者もいる。

 溺れていた子供は無事で、意識もはっきりしており、特に障害は見られない。




「さて、話を聞こうか」

 フレデリックは、少し離れた川辺の森の入り口にある廃屋へオットーを連れて行った。

「その前に……お前何歳だ? どう見ても、あの溺れていた子供と同じくらいにしか見えないぞ。5歳か? 6歳か?」

 オットーは黙ってフレデリックの後をついて行ったが、周囲に誰もいないのを確認すると、強い口調で言い返した。

 う……。

 フレデリックの言葉が詰まる。

 確かにそうだ。

 傍から見れば、どうみても年少者が偉そうな態度を取っているように見える。

「ろ……6歳」

「6歳? ガキじゃねえか」

 ガキだと?

 その言葉に反応したのか、フレデリックの反撃は素早かった。

「いや、ちょっと待て、お前、転生者だろ? 前は何歳だったんだよ。多分、あの行動を見れば分かるけど、医者だろ? 何歳だったんだ?」

「え?」

 今度はオットーが言葉を失ってしまった。

「おい、正直に言えよ」

 交渉事は医者の仕事ではない。

 この時、たとえ嘘でもサバを読んでおけば良かったのかもしれないが、オットーは正直に話した。

「さ……36歳だ。外科医だ」

「なんだ、小僧じゃねえか!」

 さっきまでとは完全に立場が逆転した。三日天下ならぬ、何分天下である。

 オットーの前世の名前は菊池大輔で、年齢は36歳。

 フレデリックは51歳の元外交官であり、大使だ。

 二人の間に微妙な沈黙が漂っていたが、オットーの言葉がその静けさを破った。

「ま、まあ……前世での年齢はこっちの年齢と相殺って感じで、張り合うのはやめにしませ、しないか?」

「……そうだな。無意味だな。もっと大切なことがある。この世界は、オレたちが知っている世界とは違うんだ」

「大切な? 違うって何だ?」

 オットーはフレデリックの言葉に注意を向けた。

「おい、まさかドラゴンが空を飛んで、魔法が当たり前の異世界なんて言わないよな? そんなのあり得ないだろう」

「馬鹿たれ、違うわ! 真面目な話だぞ」

「お、おう……」

 6歳のフレデリックが12歳のオットーに向かって怒鳴り散らしている様子は、なんとも奇妙な光景だ。

 フレデリックは周囲を見渡し、声をひそめて話し始める。

「違うのは、オレたちが知っているオランダやヨーロッパ、世界の歴史が、この世界の歴史とは違うってことだよ」

 フレデリックの目は真剣だ。

 今まではたった一人の戦いだと思っていたのに、まさかこんなに近くに同じ転生者がいるとは。

 その興奮が真剣さに拍車をかけている。

「例えば、どんな風に違うんだ?」




 ・ネーデルラントは南北に分裂せず、連邦を形成。

 ・フランスのアンリ四世はすでに即位しており、スペインとの戦争中。

 ・肥前国の存在。




 フレデリックはオットーに歴史の違いについて話すが、オットーはピンときていない。

 大学入試に出題されるかどうか? の歴史的な知識である。仮にオットーが前世で学んでいたとしても、忘れていてもおかしくない。

 ただし、オットーは『肥前国』の存在については特に強い反応を示した。

「肥前国? なんだそれ? 確か……1582年が本能寺の変で、1600年が関ヶ原の戦いだから……。今は豊臣秀吉の時代だろ? ちょうど朝鮮出兵の頃か? よくわからんけど、何だよ肥前国って」

 フレデリックは頭をかきながら、口をへの字に曲げる。

 6歳とは思えない、まるでおっさんのような仕草だ。

「お前の知っている日本とは、もう全然違うんだよ。いや、世界全体が違う」

 オットーは眉を寄せた。

「どう違うんだ?」

「まず、本能寺の変は……おそらく起きていない。多分。いや、そんなのはどうでもいいくらいだ。肥前国を治めているのは、織田信長でも豊臣秀吉でも、ましてや家康でもないんだ。分かっているのは、代わりに沢森政忠っていう人物が今は小佐々純正と名乗って、日本を統一している」

「はあ? 誰だよそれ。日本史の教科書に載ってたか?」

 オットーは思わず立ち上がってしまった。

 あまりにも彼の想像を超えるフレデリックの言葉に、どうやら納得がいかない様子だ。

「いや、オレも知らない。調べてもわからない」

 座ったまま冷静に、ぽつり、とフレデリックがつぶやいた。

「でもな、ポルトガルは約30年前から肥前国と貿易している。この30年間で、肥前国は蒸気船や時計、鉛筆など、現代の技術を次々と生み出して、それでスペインの無敵艦隊を撃退したんだ」

「何だって?」

 オットーは思わず声をあげた。

「蒸気船や時計? まさか、オレは歴史に詳しくないけど、それって産業革命以降の技術じゃないのか? 18世紀以降の……」

「ああ」

 フレデリックは深くうなずく。

 厳密に言えば、ジョン・ハリスンがクロノメーターの試作品を作成したのは1737年であり、これは産業革命の後ではない。

 しかし、ここでの意味は、あり得ないオーパーツとしてである。

「間違いない。ポルトガルの大使館で直接確認してきた。それもすごく精巧な時計で、秒針まである」

 オットーは興奮して息が荒い。

 医者として、彼は正確な時間を計測する重要性を深く理解していた。脈拍を数える際や、投薬の間隔を設定する際には、正確な時計が欠かせないのだ。

「ちょっと待って。それが事実だとして、どうやってその肥前国は200年や300年の歴史を十分の一に縮めたんだ? あり得ないだろう?」

 再び、静寂が訪れた。




「転生者だ」

「転生者?」

「そうだ」

 フレデリックは小さく、しかし確信を持って言った。

「考えても見ろ。お前が人工呼吸と心臓マッサージをしたら、死人を生き返らせた! と騒がれたんだ。同じ出来事が日本で30年間も続いていたとしたら、どうなる? そう考えれば、全部辻褄つじつまが合う。肥前国にはオレたちと同じ転生者が存在する。そう考えるしかないんだ」

 廃屋の隙間から差し込む光がフレデリックの目に当たり、思わず目を閉じる。

 オットーは息をのんだ。

「確かにそうだな。オレも自分が転生した事実を受け入れるのには時間がかかったが、今日お前と出会って、ようやく確信を持てた。そうか……それなら、30年で200年分の技術革新が実現できた理由も納得できる。今さら二人も三人も変わらねえな」

「ああ。しかもその転生者は相当な知識を持っているに違いない。工学の知識はもちろん、政治経済や軍事、さらには医学に関する知識まで」

 実際には、どうなのであろうか。

 工学系・政治経済・軍事・医学の知識を持った人間など、現代にも存在するのだろうか。

「問題は、その転生者が何を目指しているのかだ。ポルトガルと同盟を結び、スペインと戦い、アラスカからアフリカに至るまでの広大な領土を支配下に置いている」

 フレデリックの言葉を受けて、オットーは床に座り込み、額に手を当てて考え込んだ。

「まさか、世界を征服するつもりなのか……」

「違うと思う……おそらく」

 フレデリックはすぐに否定した。

「もしそうであれば、すでにヨーロッパは肥前国の支配下にあるはずだ。蒸気船や精巧な時計を持つ国に、この時代の軍事力で対抗するのは不可能だろう」

 オットーは顔を上げる。

「じゃあ、何のために?」

「わからない。だが、オレにはある仮説がある」

 フレデリックは窓辺から離れ、オットーの前にかがみ込んだ。

「肥前国の転生者は、この世界を何らかの方向に導こうとしているんじゃないか?」

「何らかの方向?」

「そう、例えば……国連とか、世界政府とか」

「世界政府? ! でももし、そうじゃなかったら?」

 三度目の沈黙が訪れた。




「だから、最悪な事態を想定して、オレたちがオランダを強く、豊かに導いていかなければならない。オレはそのための準備を進めている」

 1590年5月12日の出来事であった。




 ■コンパス・オブ・ディスティニー

 日本語に直すと運命の羅針盤。

 秘密基地の名付け親はオットーだ。

 まるで中二病のような命名ではあるが、フレデリックはあえて反対せず、二人の秘密基地として定期的に利用されていた。

「確かに、ジャガイモは寒さに強いからいいな。冬場に食べ物が不足して命を落とした人々を何人も見てきた。石けんや塩はうまくいっているのか?」

 オットーは、まるで世間話をするかのようにフレデリックに尋ねた。

「ああ、心配ない。小規模だから費用もそんなにかからないし、兄貴からオラニエ=ナッサウ家の私費から出してもいいと言われているからね。このままうまくいけば、国家予算で大規模に実施できる。そっちはどうなんだ?」

「ああ、あれから親父にしつこく聞かれたんだけどな。必死に言いつくろったよ。魔術なんかじゃないって。まあ、魔術ってのは親父が医者だから論外だけど、ヒポクラテスやガレノスの教えを引き合いに出して、なんとか納得させたよ。したかどうかはわからんけどな。今のところ、追及はなしだ。それよりも……」

「どうした?」

「学校での評判が気になるな……」

「ああ、何となく理解できるぞ」




「失礼、フレデリック殿下はいらっしゃるか?」

 突然、はっきりとした声でフレデリックを呼ぶ声が聞こえてきた。




 次回予告 第13話 『シャルル・ド・モンモランシー』

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