第384話 『出るわ出るわ』

 慶応二年十月十七日(1866年11月23日)

 次郎の横には勝海舟、薩摩の川村純義、佐賀の中牟田倉之助、長州の来原良蔵がいる。

 目の前には万博参加の各藩の艦長または責任者が神妙な面持ちで並んでいた。




 ・土佐藩の後藤象二郎の横に国沢新九郎(名代・山内豊範)。

 ・宇和島藩の梁川荘左衛門(名代・伊達宗孝)。

 ・福井藩の塚本桓輔(幕臣・名代は松平茂昭、補佐は橋本左内)。

 ・加賀藩の岡田雄次郎(名代は前田慶寧よしやすで家督相続前)。

 ・仙台藩の三浦乾也(名代は伊達茂村もちむら)。




 すでに寄港から七日が経過している。

 本来ならバタヴィアにいなければならない航程だ。

 次郎は南海丸の修理と同時に、嫌な予感を払拭すべく、各艦の整備状況や練度、士気、その他の問題はないか、入念な検査をした。

 各種機関の整備状況や、船体・帆装具の点検をして、安全に航行できるか確認したのである。

 残念ながら、その結果は惨たんたる有り様だった。

 日英海戦に参加した幕府と長州、薩摩は及第点であり、自藩で蒸気船を建造している佐賀藩にいたっては大村藩に準ずるレベルである。

 しかし、仙台藩に関しては右舷灯が切れており、加賀藩は機関室の配管から蒸気が漏れ、宇和島藩は水兵が手旗を理解していなかった。

 福井藩にいたっては、艦内の衛生状態が劣悪で、乗組員の中には軽い腹痛を訴える者もいた。

 次郎は即座に開成丸の右舷灯を交換し、李百里の配管は修繕して漏れがないように改善させた。

 天保録てんぽうろくの水兵にはこの一週間で徹底してたたき込んだのである。福井藩(八雲丸)には医療品を配布した。

 結局、大村海軍技術者総出で点検整備を行ったのである。




「勝殿、いかがいたそうか? 正直なところ、それがしは不安で仕方がないのですが」

 勝は腕を組み、目を細めて考え込んでいる。この状況は彼にとっても予想外だった。

「ご懸念ごもっとも。されど、ここで引き返すわけにも参りますまい」

「然りながら……うーむ。梁川殿、かような儀を聞きたくはござらぬが、障りなかろうか」

 梁川は一瞬たじろぎ、次郎の鋭い視線に押されるように目を伏せた。

「面目ございませぬ」

 面目がないのは分かった。

 次郎が聞きたいのは、このまま航海を続けても問題ないか、なのだ。

「いや、宇和島家中だけの問題ではないのですぞ」

 次郎は静かに、他の加賀・仙台・福井藩の面々の顔を見た。全員が伏し目がちである。

蔵人くろうど様」

 中牟田倉之助が口を開いた。

「このまま平行線では決まりませぬ。整備が障りとなるならば、次のバタヴィアでもレユニオン島でも、リオデジャネイロでも総出で点検いたしましょう。航行中に障りが起きたならば、最善を尽くし、それでも無理ならば最寄りの港に寄港して、修繕ならずば致し方なしでは御座りませぬか」

 要するに、言っちゃ悪いが、足手まといを面倒見ながら航海して、どうにも無理なら切り捨てる。

 そんなところだ。

 次郎としては藩の内情に突っ込んだ話はしたくない。

 余計に面倒になる。

 ただでさえ艦長たちの面目がないのに、大村藩ではこうだああだ、幕府海軍ではああだこうだと、内輪でうらやましがっても仕方がないからだ。

 それに切り捨てるにしたって、バタヴィアからレユニオン島までは約3,700マイル(約6,692km)で5ノットで30日かかる。

 途上でトラブったらどうするんだ?

 ディエゴガルシア島はイギリス領だぞ。

 その他も同じ。

 周りはイギリス領でしかも遠い。

「勝殿、いかがかな? それから与十郎(川村純義)に良蔵はいかがか?」 

「まあ、中牟田殿の言うとおりでしょう」

 勝はゆっくりと答えた。その表情は複雑だ。

「蔵人殿の懸念はごもっともです。されど、ここで引き返すわけにも参りますまい。各藩の面目にも関わることですし」

 幕府としては、日本の体裁も大事だが、各藩の体裁も大事にしなければならない。ここで船を引き揚げて、荷物のような形で運ばれては、後々諸藩とのあつれきにもなりかねないのだ。

 勝は勝で、胃が痛そうである。

 川村純義は首をかしげて中空を見つめながら考えていたが、すっと目を下ろして右から左へ見渡す。

「薩摩としては、このまま続行に賛成です。ただし、各艦の点検は必須。バタヴィアでも徹底的に行うべきでしょう」

「長州も同意見です。大村家中の技術者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ここは一つ、お力添えを」

 来原良蔵もうなずきながら静かに意見を述べた。

 さながら仙台・加賀・福井・宇和島・土佐の面々が詰問を受けているような構図である。これも物議を醸しそうではあった。

「……では、バタヴィアならびに寄港地にて徹底的な点検をする。これでよろしいか」

 全員が深々と頭を下げた。




 数日後――。

 次郎の不安を払拭するような快晴のもと、サイゴンを出港した日本艦隊だったが、雲行きが怪しくなってきた。

 次郎は艦橋から空を見上げる。水平線のかなたに、黒々とした雲が立ち昇っていた。

「隼人助、あの雲は……スコールか?」

 次郎は英語由来のスコールと言ってしまったが、隼人助は? の顔をしている。

「? あれはwolkbreuk(ヴォルクブレーク、雲の破裂=豪雨)でしょう。harde windstoot(ハルデ・ヴィンドストート、強い突風)も伴っていれば、いささか厄介でございますね」

 江頭隼人助は落ち着いた様子で答えた。荒天での航行は初めてではない。

「では各艦に警戒信号を」

「はは」

 信号旗が次々と掲揚される。各艦からも応答の旗が揚がった。

 大村藩はもちろんだが、幕府も各藩も、イギリスやフランスの影響を受けてはいない。フランスは確かに影響力を強めているが、史実ほどではない。

 イギリスはいわずもがなだ。

 したがって陸海軍の制度自体は、オランダ式である。

 日英戦争がなければ海軍はイギリス式になっていた可能性が高いが、現在では完全にオランダ式に大村式を加えた形である。

 そのとき、突然の暗転と共に、ごう音が響き渡った――。




「来たか……」

 艦隊は暴風雨の中を進む。




 次回予告 第383話 『バタヴィアでの決断』

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