第13話 『シャルル・ド・モンモランシー』

 1590年6月19日 オランダ ライデン

 背が高い。

 おそらく180cmはあるだろう。

 日焼けしたがっしりとした体格に銀髪を持ち、その中に貴族的な品位が漂っている。

「モンモランシー家の当主代理、シャルル・ド・モンモランシーだ。それとも、フレデリック君と呼んだ方がいいかな。以前会った時はもっと小さかった」

 シャルルは笑みを浮かべてフレデリックを見つめている。

「(おい、誰なんだ)」

 オットーは小声でフレデリックに尋ねた。

 しかし、フレデリックは信じられない出来事に直面し、ぼう然と立ち尽くしている。

「おい、聞いてんだろ! 何やってんだよ」

 オットーは思わず声を漏らした。

 その理由も納得できる。フレデリックの目の前に立っているのは、シャルル・ド・モンモランシーだからだ。

 その名前自体は知らない。

 しかし、フィリップ・ド・モンモランシーは知っている。

 ホールン伯。

 父であるオラニエ公ウィレムと共にオランダ独立戦争に参加し、処刑された男だ。また、ホールン伯には子供がいなかったはずである。

 その人物がまだ生きており、さらに子供もいるのだ。

 これは運命や転生の神様のいたずらなのか?

 フレデリックは、そう考えるほかに選択肢がなかった。

「シャルル……おじさんなのですか?」

「おお! 覚えていてくれたか! いやぁ、ずいぶんと背が伸びたもんだ」

「ははは、成長期なんです。……でも、おじさん、急にどうしたんですか? こんなところに来て、何か用事があるんですか? 兄上ならハーグにいますよ」

 フレデリックの言葉にシャルルは思わずニヤリと笑った。

 従者は同行していない。

 事実上の独立を手に入れたとはいえ、国の重要な人物が一人でこんな場所をうろついていいのか?

 マウリッツの親和政策により、カトリック教徒とプロテスタント教徒は共存している。

 しかし狂信的なカトリック教徒が存在しないとは言いきれない。

 史実では、政治家が宗教的な敵によって暗殺される事件がしばしばあった。

 父であるオラニエ公ウィレムも、その一人である。

「なに、今日はマウリッツに用があるのではない。そなたにだ、フレデリック」

「ぼくう?」

 僕、ではなくぼくう? だ。

 語尾が伸びて疑問形になるほど不思議だった。

 久しぶりに会って、しかもこんな子供に一体何の用があるのだろうか。

 フレデリックの疑問は尽きない。

「正確に言うと、その友人の金髪の君だよ」

「おれえ?」

 今度はオットーが、フレデリックと同じく間延びした声を上げた。

「そう、君だ。名前は何と言うのかね?」

「え? あの、オットー・ヘウルニウスです。父は……」

「知っている。ライデン大学のヨハネス・ヘウルニウス教授であろう?」

「は、はい……。父をご存じなのですか?」

 オットーはフレデリックとシャルルの顔を交互に見る。頭脳は明晰めいせきだが、状況を把握できていないようだ。

「実はな……」

 そう言ってシャルルは話を始めた。

「息子を死の淵から救ってくれた魔術師がいると聞いた。彼は見たこともない術を使って息子を蘇生そせいさせた、と」

「息子って……もしかして」

 フレデリックは思わず息をのんだ。

「そう。あの溺れていた子供は、私の息子のジャンだ」

 シャルルは柔らかな笑みを浮かべて、こう言った。

「何度感謝の気持ちを伝えても足りない。しかしな、気になる点が一つある」

 シャルルの表情が一変する。

 その鋭いまなざしは、まるで獲物を狙うたかのようだった。長身でがっしりとした体格に加え、軍人家系の嫡男としての風貌が、その鋭さを一層際立たせている。

「あの術は、一体何なのだ?」

 オットーは思わず後ずさりしたが、フレデリックは冷静さを失わなかった。

「おじさん、あれは医術です。僕も見ましたが、呪文を唱えたり特別な道具を使ったりしていません。魔術でも何でもないですよ」

「医術?  しかし、誰も知らない……」

「ヒポクラテスやアスクレピアデスの名前は古い文献に登場します。より新しい例としては、アブルカシスによる気管切開やパラケルススの呼吸補助、さらに……ヴェサリウスの心拍再開やブラッサボラによる気管切開による人命救助の事例があります。これらの事例は父から聞いた話です」

 オットーは瞬時に言い訳を思いつき、口を挟んだ。その内容のほとんどは事実に基づいているが、人工呼吸と心臓マッサージに関しては虚偽である。

 あくまでそれに関連する処置の事例であった。

 父の、と付け加えるのも忘れない。

 12歳の証言よりも、名声があり、教授である父親の発言の方が信頼性が高いからだ。

 シャルルは目を細め、疑念の色はその表情から消えない。

「本当にそうなのか? それとも……」

 シャルルは言いかけたが、やめた。何か別の意図が宿っているように見える。

「まさか、お前たちも……」

 数秒の沈黙は、フレデリックたちにとっては数分にも感じられたかもしれない。

「いや、それなら人工呼吸(日本語)や心臓マッサージ(日本語)ができるわけがないな。なあ、二人とも」




「 「! !」 」




 フレデリックとオットーは、驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 シャルルはそれを見て、確信する。

「君たち二人も転生者なのかな?」

 も?

 フレデリックとオットーは互いに顔を見合わせた。もはや隠し通せない。シャルルの鋭い洞察力の前では、どんな言い訳も通用しないだろう。

 フレデリックが話し始める。

「……はい、おじさん。私たちは転生者です」

「私もそうです」

 オットーは小さくうなずいた。

 シャルルは大きく息を吐き出し、明るく笑った。

「なるほど、やっぱりそうだったのか! これで私を含めて、この世界には転生者が三人いると証明された! 私一人だけではなかったんだ! わはははは!」

「え?  おじさんも……?」

 フレデリックとオットーは驚きを隠せない。なんと、モンモランシー家の当主代理であるシャルルも転生者だったとは。

「そうだ。私はもう十数年前にそれに気づいたが、君たちはいつ自分が転生者だと気づいたんだ?」

 フレデリックは昨年で、オットーは5年前である。

「そうか。フレデリック、マウリッツには?」

 フレデリックは静かに首を横に振る。

 自身が転生者だとは、誰にも知らせていないのだ。

「なるほど。しかしマウリッツは何と言っているんだ? 石けんやロウソク、塩の製造に、ビーツから砂糖を作る技術まで編み出したと聞いているが、ヤツは何も言わなかったのか?」

「え? おじさん、どうしてそれを?」

 フレデリックが驚くのも当然である。

 まだ規模は小さく、詳細は目の前にいるオットーにしか話していないからだ。

 石けんなどの生産においては、表向きにさまざまな言い訳を考え、不審に思われないように配慮した。現場で働く人々は、給料さえ支払われれば細かいことにはあまり気を遣わない。

 それなのに、なんで知っているんだ?

「テンサイからショ糖を作り、それを砂糖として販売しようなんて、今の時代の人には思いつかないはずだ。実は、私は前世で北海道の農家出身の大学教授だったんだよ」

 すべてに納得した。

 転生者でなければ知り得ない情報であり、さらに農業の専門家が転生したのであれば、納得がいく。

 転生の事実に納得、ではない。

 もはやそれはどうでもいいのだ。




「それで……あの、シャルル様?」

 シャルルの驚くべき告白を受けて、三人はさまざまな情報を交換しながら話を続けていたが、突然オットーが口を開いた。 

「その……シャルル様は、前世では何歳?」

「ん? ああ、68歳だ」




 フレデリック(51歳+6歳=57歳)

 オットー(36歳+12歳=48歳)

 シャルル(68歳+40歳=108歳)




「そうなんですか……じゃないかと思っていましたが、一応聞いてみました」

 シャルルの現在の年齢と、さらに前世が教授だったと聞いて、オットーはなんとなく感じていたことが確信に変わり、少し落ち込んでしまった。

「まあ、これからいろいろと考えなければならん。それにオットー。少し気になるうわさを耳にしたぞ」

「え? 何ですか?」

 二人はシャルルから衝撃的な事実を聞かされた。




 次回予告 第13話 『魔術師裁判』

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