永禄四年(1561年) 五月 岳の城 沢森利三郎政直
どたどたどたどたどた!
忠右衛門と二人で主殿に向かう。なんでまた、いきなりなんだ?
「殿!」
「殿!」
主殿の下座には先日家督を相続したばかりのわが殿、平九郎様がいらっしゃった。我らが中に入ると、あぐらのままくるりとこちらを向き、にこにこしながら声をかける。
「やあ、忙しいのに悪いですね、叔父上たち」
恐縮した我々は、殿に立っていただくよう促しながら、上座を勧めた。殿から向かって右に私、左に忠右衛門が座る。
「叔父上たちはやめてください。あなた様は沢森の当主なのです。われわれも平九郎様ではなく、殿と呼んでいるのですから、殿も我々を利三郎、忠右衛門とお呼びください」。
「うーん、そういうの、ちょっと苦手なんだよねえ。でも、なるべくそうするよ」
苦笑いしている。こうしてみると、まだほんの子どもだ。さきの戦の時とはまるで別人。
「して、こたびはどのようなご要件でしょう」
「うん、これからの事だ。父にはさきの戦の前に話していた事なんだが、沢森は海上権益で力を維持しているとはいえ、永遠ではない。松浦の襲撃もそうだが、常に備えておっても戦が起きる」
「はい、左様にございます」
「だから皆が安心して暮らせるためには、もっと強くならなくてはならない」
殿の言葉を注意深く聞く。
「そこで大村との盟、ならびに横瀬浦での南蛮との交易、それによる利益で兵力の増強を図る。同時に周辺の国人領主と誼を通じ、調略をもって松浦、後藤、龍造寺の脅威に備える」
驚いた。もうそのような事を考えているのだろうか。
「兵力の増強には金がいくらあっても足らぬ。そこで産業を起こし、産物を作り、交易によって財を成す」
忠右衛門と顔を見合わせる。
「大名や領主が交易などと、そう思うかもしれない。しかし豊後の大友を見よ。松浦を見よ。奴らが力を持ち勢力を拡大しているのは、他国を攻め取って、その年貢で兵を養うのではなく、銭で力をつけているのだ。いい前例があるではないか。沢森はそのさらに上をいく」。
お怪我をされた時はどうなる事かと思ったら、もうすっかり立派な当主ではないか。幼き頃より聡明な方であったが、なき兄君に勝るとも劣らない。
「いかがかな?」
「は、誠にその通りにございまする。殿のご慧眼、まさに千里先を見通すかのごとく」
「その世辞、素直に受け取っておくとしよう。そこで、だ」
「利三郎には外交方として、対外的な折衝全般をやってほしいのだ」
「それがしが、でございますか?」
「そうだ。以前から評定の内容を聞いて思っていたんだが、利三郎の理路整然とした外交戦略眼は家中一だ。ぜひ、頼みたい」
「ありがとうございます。して、まずは何を?」
「うむ。これは忠右衛門の仕事とも関わってくるのだが、波佐見の内海政道と福田丹波に会って、『ねばつち』を採る事の了解を得てほしい。もちろん人となりを見極めて、盟の話もな」
「その代わりに、これを格安で融通する、と伝えてくれ。そうだな、ひとつ15文でいい」
ひょいっと、石けんを投げる。
「これは?」
「しゃぼんだ。南蛮商人やバテレンが持ってきた物で、衣を洗ったり、手や体を洗うと汚れがよく落ちる」
「日の本にはごくわずかしかない貴重な品だ。欲しい者からみれば百文でも二百文でも売れよう。その代わりが何の変哲もないただの泥なんだから、断るまい。使い道や作り方を聞かれても絶対に話すでないぞ、教えるのではなく、卸すから意味があるのだ。いつでも止められる」。
その泥で何をつくるのだろうか?
「それからその足で、佐志方城の佐志方杢兵衛と会って、我らにつく利を、それとなくといてまいれ。佐志方は大村、後藤、松浦とその時によって主を変えておる。針尾氏と島の覇権を巡って戦っておったが、松浦の助力を得てもなし得ておらぬ。条件次第ではこちらに取り込めよう」。
「は、ではそういたします」
私は言葉少なにうなずいた。
「忠右衛門じゃが」
「は」
ふむふむ、と我らの話を聞いていた忠右衛門が殿の方に意識を集中する。
「天久保村に職人たちを集めて、やってほしい事がある」
「何なりと」
忠右衛門の眼が輝く。忠右衛門は細かい手作業が得意で、武士としての能力にも秀でているのだが、どちらかと言えば内政向きであろう。
「一つはさっきのしゃぼんだが、『ねばつち』が手に入ったら鉛筆を作ってもらう。作り方は教えるゆえ、試行錯誤して種類の違う物をつくるのだ」
「えんぴつ、でございますか? それはどのような?」
「墨のいらない筆だ。墨をする必要もなければ持ち歩く事もないので、便利だぞ。間違いなく売れる」
殿がものすごく悪い顔をしていらっしゃる。忠右衛門と顔を見合わせる。
「それから二人共、父上が発明した縦帆と木綿帆は知っているな?」
「はは、存じておりまする」
と私と忠右衛門は答えた。
「ではそれを忠右衛門は管理し、可能な限り作付面積を増やして量産に努めよ。帆の開発改良も忘れるな」。
あとは……いっぺんにやっても人が足りない。殿はそう考えているようだった。
「銭が必要なら言うてこい。できるだけ融通する。では、今日はこれまで」
殿はすっと立ち上がり、一段落ついた感じで、満足そうな表情をしていた。
「利三郎、見送りはいらぬ。さっそく準備にとりかかってくれ。忠右衛門、途中まで共にまいろう」
殿はそう言って主殿を出ていった。
さあ! これからが大変だ。やりがいあるぞ。
■沢森忠右衛門藤政
「忠右衛門、実はもう一つやってほしい事がある」
殿が私をそばに呼ぶ。
「なんでしょうか?」
「これはその方と、作業する人員のみにしか絶対に知らせてはならぬ。利三郎にもその方の家族にもだ。固く口止めして、作業場の出入りも監視するのだ」
いったい何であろう。殿は周りをみて、誰もいないのを確認して静かに言った。
「硝石をつくる」
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