天保八年 二月二十八日(1837/4/3) |玖島《くしま》城
「鷲之助、少し前より気になっていたのだが……」
「なんでございましょう?」
玖島城内で、藩主を除いた会議が行われていた時の会話である。
「お主、近ごろ、なにやら良い香りがするが、なにか朝夕に変わった線香でも焚いておるのか?」
家老の渋江右膳が、くんくんと鼻を鳴らしながら鷲之助に聞いてくる。
「ああ、これですか。これは『石けん』にございます。妻が好んで使っておりまして、衣を洗う時にも使いますので、自然とこのような香りになるのかもしれませぬ」
「なに? 『石けん』とな? はじめて聞く名だ。それは、その、実はわしも妻が気にしておってな。なにやら女連中の中で噂になっておるようなのじゃ。いずこで売っておるのだ? わしも所望したい」
「それはようございました。然れど、未だ|市井《しせい》(市場・町中)には出回っておりませぬ」
鷲之助はニコニコ笑って答えた後に、残念そうな顔で言った。
「なに? 売っておらぬと? さればなにゆえそなたは、そなたの妻は使う事が能うのだ?」
「それは、それがしが殿の命により、さるところから手に入れているからにございます」
「なに? 殿の命じゃと? いったい誰じゃ、誰がこの『石けん』なるものを作って売っておるのだ」
右膳は、石けんが欲しくて欲しくてたまらないらしい。奥さんにせっつかれているのかもしれない。
「太田和次郎左衛門にございます」
「なに? ……次郎、左衛門? 太田和次郎左衛門じゃと? ……はて、誰であろうか」
鷲之助は心の中でため息をついた。やはり名門意識というのは消えないのだろうか。
「外海、太田和村にて二百九十石取りの郷村給人、太田和次郎左衛門にございます」
鷲之助は領地、知行高、家格もあわせて説明した。
「……ああ、以前殿に人払いを願いでておった、あやつか。その後も何度か殿と謁見をしておるようだが、その中身を殿は話してはくれぬのだ。まさか、この『石けん』なるものの造りを命じておったのか?」
「さようにございます」
「……さようか。では……良い。忘れてくれ」
「は? それはいかなる意味にございますか」
「言葉の通りである。五郎兵衛様(一門、大村五郎兵衛昌直)も仰せであったが、そのような下賎の、先祖の忠孝のみで家禄をはんできた者どもの造りし奇異なるもの、要りはせぬ」
「さようにございますか。ではそれがしからは、何も申し上げることはございませぬ。御家老、ではこれにて」
「……」
鷲之助は違和感を感じていた。良いものは良い、なぜわかろうとしないのだろうか。
確かに、新しきものは古きを壊す力を持っている。しかし、だからと言って頭ごなしに認めぬのは、すべての停滞のもとである。
鷲之助はそう感じたのだ。
……ああ、そうであった。先代純昌公の改革の際も、こういう家臣の反対があったのだった。
■太田和村 次郎武秋
「おい信之介、お主も少しは手伝わぬか!」
俺たち7人が今日も石けんづくりにいそしんでいた時、馬のいななきとともに、見覚えのある顔が視界に入った。
……あ、面倒くさいやつがきた。
俺と信之介は作業をやめ、馬の方を見て深々と一礼する。一之進とお里は平伏し、その隣の助三郎と角兵衛、十兵衛も平伏している。
一之進とお里は町民であり、他の3人もほとんど平民の下級藩士(待遇)である。
「おぬし、昨年城であったであろう。次郎左衛門とやら、覚えておるか」
渋江右膳は馬上のまま、俺に聞いてきた。ムカッときたが、ここで怒っても話にならない。令和ではないのだ。令和でさえ、車の中から挨拶する。
あれ? それはちょっと意味が違うか。
車高の高い車じゃなきゃ、目線は下だ。例えば……いや、もういいや。車とは関係なく、威圧的な態度にムカついているんだろう。
「むろんにございます。御家老のお顔を忘れるなど、ありましょうか」
「ふん、まあ、殊勝な心がけと取っておこう。今日来たのは他でもない、石けんの事じゃ」
右膳は、仕方なく、別にまったく関心はないけど、仕方なく……という雰囲気を醸し出していた。
「いかがなさいましたか?」
「一つ、所望したい」
「おお、左様でございましたか! であれば、わざわざこちらまでお越しにならなくとも、城中ならば、城代の鷲之助様にお伝えいただければ済みましたのに」
なんだ、買いにきたのか? もうそこまで噂が広まっていたんだな。でも、なんでわざわざ来た?
「う、うむ。まあ色々とあるのだ。兎に角、在庫はあるのか?」
「ございます。どうぞこちらへ」
俺は信之介とお里を伴って倉庫へいく。右膳はその場待機だ。
「一個って言ってたから、梱包前のやつを一つ持ってきて、別で包もう。お得意さんになるかもしれないからね」
「うん、わかった」
俺は素直に、城の上層部の1人に認められた事が嬉しかったんだ。
お里がテキパキと動いて、適当な大きさの箱を持ってきては包み、箱に入れる。
「お待たせいたしました。こちらになります」
俺は軽くお辞儀をしつつ、両手で渡す。
「ほう、クロモジであるか。うむ、邪魔したな。礼を言う」
軽く匂いを嗅いだ右膳は、そのまま帰ろうとした。
「あ! お待ちください、御家老様!」
「……なんじゃ?」
右膳は馬を止め、俺の方を向いて言った。……じゃねえよ! 大事なもん、忘れてるじゃねえか!
「あの……申し訳ございませぬ。その……まだ、お代をいただいておりませぬ」
「なに? お代とな? その方、このわしから金を取ろうと言うのか」
びっくりした。何を言ってるんだこの男は。
「いえ、物にはすべて値がございます。霞から出来たわけではございませぬゆえ、一つ四百文いただきます」
「よ、四百文だと! 馬鹿を申すな! たったこれしきの物、四百文もの値打ちがあると申すのか?」
「ございます。価値や値打ちと申しますか、その値を払っても欲しいと仰せの方がたくさんいらっしゃるのです。それがすなわち値打ち、値となるのでございます」
「ば、馬鹿な! それならばいらぬわ!」
右膳は持っていた石けんを地面に投げ捨てた。
「何をなさいますか!」
俺は投げ捨てられた石けん箱を拾い、泥を払った。
「ははは、その振る舞いは、まるで商人や百姓ではないか。そのような者が藩士など、わが藩の名に泥を塗るのも同じ事。まったく殿は何を考えているのやら」
そう言い捨てると、右膳は馬を走らせ、従者とともに去って行った。
「大丈夫か次郎」
全員が心配そうに駆け寄ってきた。
「ムカついたけど問題ない。奴には売らないだけの話だ。さすが江戸時代、時代錯誤……いや、錯誤じゃないか。どっちにしても面倒は避けたい。だから、何にもしない。するとしても力をつけてからだ」
■三月三日 玖島城
「尤以来存心之儀者、連々可申付候間、小事タリトモ聊無疎意、忠貞之心得肝要之事に候」
(特に礼儀正しく振る舞うことが重要であり、連絡を取り合う際には、些細なことでも気を抜かずに、忠誠心と真摯な態度が大切な要素となります)
純顕はそう家臣に訓示し、当面は先代の純昌の方針を踏襲するも、幕末の困難な政情にあって、逐次必要な政治改革を行っている決意を表明した。
その一つが、馬廻り以上の蔵米知行(知行地ではなく米を支給)の家臣団に対して、請地二十石を給与した事である。
さらに、二十石に満たない地方知行の家臣に対しても、二十石になるように措置したのだ。
これは蔵入地(直轄地)を管理耕作させ、年貢の向上を図るとともに、困窮していた家臣団の救済を行い、藩政に寄与させるためである。
ここでも武士が百姓の真似事を、という批判もあったが、かといって代案もない。事実困窮している藩士は、藩に貢献したくてもできないのだ。
まさに、衣食足りて礼節を知る、である。
礼節というのは言い過ぎかもしれないが、藩のために奉公したくても、借金が増えるばかりでどうにもできない、というのが実状であったのだ。
この改革は、史実では天保八年の八月に行われた。
歴史が少しだけ変わり、三月に実施されたのである。
次回 第13話 『二十四歳、肥前佐賀藩、十代藩主鍋島直正という男』
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