天正二年五月二十三日(1573/6/22) 肥前 川の近く 某所
ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。
水車を動力とした大型切削機械が二つ並んでいる。
ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。
「先生、やはり垂直型より水平型の方が安定していて、誤差も比較できないくらい少ないですね」
「うむ。発想の転換というものが大切じゃという事がよく現れておるな。旋盤と同じ機構でこうも精度が違うとは」
助手の言葉に一貫斎はため息をもらす。しかし、水平型ドリルは垂直型ドリルのデリケートで時間がかかるという欠点を、補って余りある性能であった。
「先生! 完成しました!」
別の助手の声が響く。
「そうか。うむ。試射まではまだはっきりとは言えぬが、これを『一貫斎一点五貫(1.5貫)砲』と名付けよう」
約12ポンド(約5.4kg)の大砲規格の誕生である。
『一貫斎一点五貫(1.5貫)砲』:諸元
重量 880 kg
銃身長 229 cm (7 ft 6 in)
要員数 砲手15名、馬6頭
砲弾 118.1 mm
口径 121.3 mm
有効射程 900~1,000 m
砲弾の直径と口径にわずかに3mmほどの誤差があるが、それでも有効射程が900から1,000mなら飛躍的な伸びである。
海戦において船体の揺れや敵針敵速の計算はあるが、仰角計算が不要になるのだ。
一頭あたり150kgの重さを引く事になるが、純正は永禄六年(1563年)の八月にアラブ種を輸入してから馬の交配を命じていた。
そのため軍馬・砲兵用としてもたり得る種ができあがっていたのだ。
陸軍砲としても、街道の整備や敵地での運搬に重量は大きな課題であったが、この大砲の規格化と軽量化によって大きく改善されるだろう。
射程に関しては大阪城攻城戦において使用された家康のカルバリン砲が、14kg(30ポンド)の砲弾で6.3km飛んだと言われている。
しかしそれは射程であり、有効射程は500m前後と考えるのが現実的だ。
純正も仰角を与えて射程を伸ばす曲射を試みていたが、城塞戦ならともかく、海上戦ではその照準の難しさを思い知らされている。
スペインの大砲が直射であるかぎり、これで優位を保つ事ができるだろう。
また、すでにヨーロッパで開発されていたぶどう弾の改良にも取り組み、軍艦の索具類破壊と人員殺傷を目的に製造されたのだ。
射程はおよそ半分になるものの、それでも500m~700mである。
この大砲は数日後の試射の後、純正臨席での公式試射が行われ、正式に小佐々軍に採用されることになった。
■同じ頃 肥前 某鉱山内
太田和忠右衛門藤政の次男であり、純正の従兄弟である源五郎秀政は、緊張した面持ちで見守っている。
ガコンガコンガコン、ガコンガコンガコン……。
定期的に奏でるその機械音は、秀政が作製した蒸気機関が正常に動いている事を証明していた。
永禄十二年(1569)十月に初期の蒸気機関を発明してから4年の歳月を経て、ついに坑道内で実用可能な蒸気機関を開発したのだ。
「源五郎、見せたい物とはこれか」
「はい。やっと、やっと……」
秀政の顔は涙ぐんでいる。
「見事じゃ! さすがである! 大儀であるぞ!」
純正の感動もひとしおである。
鉱山での排水問題の解決にとどまらず、この機関の発明は、蒸気船や蒸気機関車、その他の動力を駆逐して産業化を促進させる。
性能の改善や機能の向上を考えればまだまだかもしれないが、ようやく実用化の目処がたったのだ。
この装置は蒸気を閉じ込めたシリンダーの下端に、蒸気の入口と冷水の噴射口を備えている。
冷水を噴射して中の蒸気を凝縮させることで真空を作り出し、その結果ピストンを動かして水をくみ上げる仕組みである。
装置自体は今までに発明された部品を組み合わせて作られているが、蒸気の凝縮や冷水の直接噴射、弁の自動開閉など独自のアイデアも取り入れたものだった。
昨年試作した機関とは違い、蒸気の圧力を利用せずに真空を作り出す点や、ピストン・シリンダーを用いてポンプを駆動する点で大きく異なっている。
「して源五郎、これはどのくらいの力があるのだ? 性能というか水のくみ上げ能力だ」
性能とか能力という言葉は純正や科学者の周辺では既知の言葉である。現代の言葉に近づいてきているのだ。
「はい。シリンダーの直径が19.4ポレダガ(21インチ・533mm)、長さ1.09ブラサ(2.39m)の物で、毎分12行程で動作します。1行程あたり32.26カナダ(45.5リットル)の水を深さ21.18ブラサ(46.6m)の坑道からくみ上げます。約五と二分の一馬力でございます」
純正が困惑したのは日本の尺貫法と、それから彼らはポルトガル留学組なので必然的にポルトガルの慣用単位になることである。
いい加減なんとかしないとな、と思った。
「そうか、これは重力、じゃない……なんだ? 大気圧とやらであったか。それに関係なく、深い坑道でも使えるのだな?」
「はい。大気圧という自然の力ではなく、蒸気をおこして使うという人の力でくみ上げておりますゆえ、深さには関係ありません」
「そうかそうか! して、先日船を蒸気で動かしたであろう? あれに載せれば、いかほどの早さとなるか?」
「は、しばしお待ちを……」
秀政は傍らで何やら計算を始めたが、純正に尋ねた。
「これは、船の大きさによっても変わってまいりますが、いかほどの船にございましょうや」
「ふむ、そうであるな。例えば二百石船(30トン)でいかがじゃ?」
「は、少々お待ちを」
そう言って秀政はまた計算を始めた。
「はい、おおよそではございますが、半刻(1時間)で二里と二十八町ほどにはなろうかと」
「おお! そうか。やっと船に荷をのせて運べるな」
「は、されど蒸気機関の重さと石炭の重さも考えれば、二百石は積めぬと存じますが……」
「よいよい。それは以後の改良の課題であるが、今は喜んでもよいであろう! わはははは!」
時速6ノットの計算ではあるが、30トンの船である。
軍艦に載せると補助動力にしかならない。
二気筒三気筒など改善が必要ではあるが、多分……幕末の佐賀藩の凌風丸が10馬力だから、なんとかなるか?
後日、秀政や忠右衛門、一貫斎を含めた開発者と盛大な宴会が催された。
次回 第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題
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