嘉永二年閏四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門>
やっべ……重大な事を思いだした。
あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の爆上がりだよ。
お茶の国際的な需要に気付いた各藩や商人は、まだ乾燥が不十分なものや梱包不良、柳の葉やクコの葉を混入したニセ茶を輸出するんだ。
その結果大ひんしゅくをかって、日本茶の信用ががた落ちする。
そう考えれば、あの量も納得できる。いやいや、これじゃあいかん! 俺の、いや大村藩輸出お慶ちゃんブランドの確立と、製茶技術の確立を急がないと!
それから二千四百石船の建造見積もりを出した。
1万6千923両……まじか。
ちなみに人材の育成はなんとかなっている。深澤家の奴らが漁に出ない時期に、まったくの新人(希望者)に船の扱いを教えているし、スパルタのライケンの教えにもみんなついてきている。
ああ、そうだ。海軍兵学校(伝習所)をつくろう。四年制で考えれば、去年から勉強している人員は2年生となる。陸軍士官学校(調練所)は、秋帆先生に相談だな。
今は小さな帆船で武装も6門だけど、360トン級ができたらそっちで航海演習。ライケンにしてみれば、早く蒸気船が欲しいだろうな……。
それは俺も同じだ。
■江戸城
「申し上げます、エゲレス船が浦賀に来航し、測量を行っております!」
「なんと! ただちに人をやり止めさせるのだ」
老中首座の阿部正弘は頭が痛い。
幕府の財政の立て直しはもとより、国論の統一と来航する外国船をはじめ、外圧に対処しなければならなかったからだ。
■閏四月十日(1849/5/31)
「申し上げます! 浦賀代官に支度をさせ退去を命じましたが、いっこうに退く気配がございませぬ」
「なんと……無礼な! ……されど情けなし。して、今はいかがしておるのだ?」
正弘はめまいがしそうである。
「はい、浦賀から下田に移っては、同じように測量をしております」
「この江戸表で! あろうことか公方様のお膝元でかような事をいたすとは!」
正弘はなんとかして退去させなければならないと思い、誰か適任者がいないかと考えた。
「……おおそうだ! 太郎左衛門! 太郎左衛門を呼べ! あの者にエゲレス船の立ち退きを命じさせるのだ」
江川太郎左衛門英龍。幕末の歴史において知る人ぞ知る人物であるが、今世でも高島秋帆の同門である下曽根信淳と共に、海防掛として辣腕を振るっている。
■イギリス船マリナー号 艦上
江川英龍は兵士40名と共に、大筒(携帯用の小型)や鉄砲を携行して小舟でマリナー号へ向かう。その装いは越後屋に繕わせた蜀江錦の野袴を身にまとい、黄金の大小を差したものであった。
まずは見た目で相手に舐められないようにとの考えである。
身の丈6尺(180cm)の英龍がその格好をすると、まさに威風堂々であった。随行した家臣もきらびやかな装束に身を包んで乗艦する。
「人民十五万を治める官司である」
英龍はそう言い放った。声に張りがあり、自信に満ちあふれている。それを見たマリナー号艦長のハロランは、英龍をひとかどの人物だと思って対応をした。
英龍は相手の行いを非難するのではなく、敬意を表し、日本の祖法を尊重して帰ってくれと告げたのだ。その毅然とした態度でありながらも、相手を敬う姿勢にふれて、ハロランはその後退去する事となる。
「ミスター英龍、一つ聞きたい事があるのだが、よいかな?」
ハロランが会談も終わりに近づいた頃に聞いてきた。
「日本は清と明、そして朝鮮と琉球とのみ交易を行っている。これは私も知っているが、なぜ我らイギリスは交易を許されぬのだ?」
「それは……今ここで論ずる事ではないと存しますが、交易をするには互い信頼が大事かと存じます。イギリスを信用していない、という事ではございませぬ。アメリカもフランスも、ロシアもそうだが、信頼を築くのは簡単ではありません。ここ数年のお互いの諍いを見れば、わが国民の外国人に対する思いは良いとは言えないのです」
……。
「なるほど、交易に際して互いの信頼関係が必要なのは、良くわかります。それは私も同じ考えです。しかし、少し困った事が起きているのです」
「? 何でしょうか」
ハロランは続ける。それほど重大事というほどでもないようだが、かと言って取るに足らない事でもないようだ。
「ここ数年、オランダとの貿易の額、量が明らかに増えていますよね? ある程度制限を加えた貿易だったからこそ、わが国も黙認してきた部分もあるのですが、議会で問題となっているのです」
日本とオランダの貿易自由化がイギリス議会で問題とは、いったい何だろうか。
「それは……貴国の問題であって、わが国とオランダとの貿易と、いかなる関わりがあるのですか?」
ハロランは少し考えていたが、思いきって話し始めた。
「端から見ればそうかもしれません。しかし、ミスター英龍。貴殿はお茶を飲みますか?」
いったい何を言い出すのかと思えば。英龍は拍子抜けしたように返事をした。
「人並みに、嗜む程度は飲みますが……それがいったい何だというのですか?」
「実はわが国をはじめ、アメリカやフランス、欧米では茶を飲むことが流行しており、これまではほとんどを清から輸入しておりました」
「ふむ」
「それが……これは結果論なので、今さら言っても仕方ないのですが、清国の政情は不安定で、いつ革命が起きてもおかしくない状況です。そのような中、茶の生産も輸出も滞っておりまして、十分な量の茶が入ってこないのです」
英龍はようやく話が飲み込めてきたようだ。
「それでわが国と貿易をして、茶を得たいと?」
「半分はそれが理由です。もう半分は……」
ハロランは少し険しい顔をした。
「もう半分はオランダです」
「オランダ?」
「わが国は現在、オランダと戦争はしておりませんが、かつてはしておりました。ご存じの通り、古き時代には日本との貿易も邪魔をされ、正直なところ良好ではなく、可もなく不可もなくという状態なのです」
「なるほど」
「そのオランダが、希少な茶を清以外の国、日本から大量に輸入しはじめていると言うではありませんか。わが国は足りない茶を、オランダ商人から買い求めなければならない状態なのです。これはすなわち、オランダの利益であり、国力の増加につながっていくのです」
茶の売買において、オランダの国力を左右するほどの利益は正直でていない。しかし、今後も同じような状態が続けば、絶対にないとは言い切れないのである。
茶だけではない。生糸もそうである。
「なるほど。わが国からオランダに渡る茶が、貴国の利益を損ねている、すなわち比べてみれば、オランダの力を強めている、とこう言いたいのですな?」
ハロランが言ったことを、十分に理解し、間違いがないかと確認するかのように答えた。
「その通りです。これは貴殿一人の問題ではなく……我らはこれより帰りますが、十分に上の方にお伝えください」
「かしこまりました」
マリナー号はその後、トラブルを起こすことなく帰って行った。
■江戸城
「なんと! そのような事を言われたのか?」
正弘は直に英龍を江戸城に呼び、状況を聞いた。
「はい。いずれにしても、異国は和蘭のみにあらず、和蘭もまた他の異国との関係があるのでしょう。和蘭との貿易を自由化したのは、あくまでわが国を異国から守るため。それが逆に刺激するとなると……」
英龍の話を聞いて考え込む正弘であったが、いまさらどうにもできない。
「されど、和蘭にはすでに自由化の通達を正式に行い、技師の招聘をも行って居る。長崎奉行を通じて公儀の貿易も増え、益もでておるというのに、いまさら反故にできようか」
「難し事と存じます。さような事をなされば和蘭の信を失い、異国の技を盗むなど、到底叶わなくなりまする」
「されば……この儀は、あくまでエゲレスと和蘭との事、日ノ本は一切関わりなしと貫くほかあるまい」
「然に候。誠に遺憾ではございますが、鎖国の祖法を守りつつ、異国から日ノ本を守るにはそうするしか術がございませぬ」
「……うむ」
オランダとの貿易自由化が、思わぬ所から開国を早める事になるのであろうか……。
次回 第114話 (仮)『適塾の5人と賀来親子4人、そして前原功山』
-大村藩情報・開発経過-
■次郎
・海軍伝習所、陸軍調練所設立へ。
■精煉方
・電信機の距離延長研究。(コイル・継電器・絶縁体)
・電力、発電、蓄電、アーク灯……水力発電。
・ゴムの性質改善による品質向上。
・既存砲の更なる安定化とペクサン砲の開発。
・造船所(ハルデス他)建設地の造成。
・蒸気機関の性能向上と艦艇用の研究。
・ゴムの品質向上研究と生成したゴムによるゴーグルの製作。
・ソルベイ法におけるアンモニアの取得方法について研究。
・写真機の研究開発。
・魚油の硬化、けん化の研究
■五教館大学
・石油精製方法、焼き玉エンジンの研究開発。
・缶詰製造法の機械化。
■医学方
・下水道の設計と工事を行い、公衆衛生を向上させる。
■産物方
・石炭、油田の調査。
・松代藩に人を派遣し、採掘の準備に入る。(越後は価格交渉、相良油田はさらに調査)
・3万5千斤の仕入れ達成。残りは国内販売して、茶の増産と仕入れ先の全国的な確保。茶畑における改善はお里が既に実践済み。製茶工場と、全体的な機械化が課題。
・2,400石級の輸送船製造(1万6千923両)開始。
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