第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

 嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門>

 お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないことだ。

 人。

 人との関わりが世界を変える。本来会わなかった俺たちに会った偉人達。その偉人達に会うはずだったちょっと後の偉人達。この連鎖はずーっと続くから、常に気をつけなくちゃならない。

 もちろん完全には無理。全員を網羅するなんて無理だから、せめてウィキに載ってくる人くらいは、幕末のソフトランディングに悪影響を及ぼさないようにしなくちゃならない。

 誰がいる? 

 あ! そんなこと考えていたら万国博覧会の事を思い出した。今はまだ無理かぁ……。渡航禁止だもんな。現状世界に誇れる技術があったとしても、国として無理なんだから。こりゃまだ先の話か……。

 江戸表だと、高島先生に長英さん。そして象山さん。

 こんなかで一番影響があるのが象山さんだ。江戸で開塾して、その門下生がうようよいるからな。誰がいたかな……?

 小林虎三郎……うーん、攘夷じょうい派! って訳じゃないからいいか。

 吉田松陰……はい大物! いつ江戸に行くのかな。確か虎三郎の少し後だから、来年か再来年。どうしよう? 象山さんうちいるし。ん、でも松陰は無闇矢鱈むやみやたらに攘夷をさけんじゃいなかった……。

 いやいや、でも教え方というかその門下生が攘夷に走っちゃったから、思想を完全に洗脳、いや教育、いや、なんというかより柔らかくしなくちゃいけない。

 大村に来て貰ったほうがいいか……国許に手紙を書いておこう。確か来年平戸藩にいくはずだ。良かった平戸藩と仲良くしてて。次は誰がいるかな?

 勝海舟! これも大物! 確か象山さんの勧めで西洋兵学を勉強するんだ。蘭学らんがくの知識はすでに得ている。今はちょうど……『ドゥーフ・ハルマ』を翻訳中か終わった頃のはず!

 幕臣だけど、うーん、大村に呼ぶか? どっちにしても、このままじゃまずい気がする。象山さんを江戸に戻すか、いや、戻らんだろうな。じゃあ呼ぶしかないかな。期間限定で。……うん。

 えー次は、宮部鼎蔵。うん、知る人ぞ知る尊皇攘夷家だな。肥後の人だけど松陰と知り合って江戸に行くんだよね。で、最後は池田屋で殺される。

 攘夷の人がみんな大攘夷ならいいんだけどな。どうしようか。うーん、松陰とセットだから、誰かにどこで何してるか探させよう。

 次! 河井継之助。うーん、渋いねえ。この人は……いいか。攘夷派でもないし。それに、後から長崎にくるしね。あとは……加藤弘之。この人もいいかな。幕府寄りだし。

 ただ、こう考えると幕府に仕えた人、象山さんの門下生が多い! 大丈夫かなとも思いつつ、次に進む。

 坂本龍馬、橋本左内、真木和泉、三島憶次郎……。多い! 坂本龍馬は象山さんの門下生だけど、松陰の密航事件連座で象山さんが投獄されるから、直接はあんまりない。いいか。

 橋本左内は……うーん、この人も有名人だけど、大丈夫かな。

 あとは真木和泉。この人は10年くらい蟄居ちっきょくらうんだよなあ。どうしたもんか。象山さんに会っても会わなくても的な感があるから、どうしようもないか。

 三島憶次郎、この人も長岡藩士。継之助や虎三郎と同じ。

 まあ、こんなもんかな。

 江戸表では勝海舟に会いに行こう。




 ■武蔵国高麗郡平沢村

「御免候! 御免候!」

「はい、どなたですか?」

 出てきたのはまだ二十歳手前の少年で、十七、八歳くらいだった。

「こちらに小久保健二郎殿はいらっしゃるか?」

「? ……御武家様、健二郎は私ですが、何か御用でしょうか?」

「え?」

 しまった! と次郎は思った。さすがに生年までは覚えていない。この時はまだ医学の勉強中で、知る人ぞ知るもいいところである。貧しい農家に生まれ、苦労して医学を勉強しているようだ。

 しかし、日本茶の未来を変える人物だ。そして製茶機の開発が出来れば、川越は茶の産地でもあるし、生まれ故郷にも貢献できるはずである。しかし、問題はどう説得するかだ。

 いきなり見ず知らずの人間が来て、話を聞いたからといって、はいそうですかと納得するはずがない。

 ……。
 
 考えても思い浮かばない! 次郎は真っ向勝負でいくことにした。

「それがし、肥前大村家中、家老の太田和次郎左衛門と申します。実は人材の育成と合わせて、諸国をまわり、優れた人材や若者を探しては招聘しょうへいしているのです。ここ平沢村に秀才の誉れ高い人材ありと聞き、ぜひにと思い訪ねて参りました。どうか、それがしと一緒に肥前に来てはいただけませんか?」

 健二郎は、農民に対して妙に腰の低い次郎に対して怪訝けげんな顔をしていたが、少し考えて言った。

「私一人では決められませぬ。少しお待ちください」

 そう言って家の奥に入っていった。何やら家族らしき人と話しているが、どうやら難航しているようだ。

「もし……なにか不都合な事があれば、仰ってください。それがしに能う事なれば、いたしまする」

 ……。

 どうやら金の問題らしい。貧しい農家に生まれて、生計を立てるために医者を志し、その金も爪に火をともす様に両親が用立てたのかもしれない。

 それがどこの馬の骨かわからない人間が来て、いきなり肥前に来いっていわれても、信じる方がおかしい。

「その……御武家様。次郎左衛門様。あの、申し上げにくい事なのですが、私は医者を志して学んでいる最中なのです。そしてゆくゆくは家計の足しになればと考えておりました。ですから……」

「わかりました。それがしに出来る事で安心いたした。されば、こちらにいらっしゃる間の給金は先払いいたします。信用はできないでしょうから、数日お待ちいただければ、一年分の給金を江戸の藩邸より届けさせまする」

 二人の顔が急に明るくなった。
 
 やはりそれが心配だったのだろう。次郎は彼らを責める気にはならない。当然だ。衣食足りて礼節を知る。金の事ばかり言うのはがめつい、などと言う者は、金に困った事のない人間だ。

「それでは、それがしはこれにておいとまいたします。藩邸より使者が参りましたら受け取られ、身支度がお済みになりましたら、江戸の藩邸にお越し下さい」

 そう言って次郎は村を後にした。




 ■石川郡大野村(現金沢市大野町) <隼人>

「帰ってくれ。わしは富や名声に興味はないんじゃ。金儲けのためにやっておる訳ではない」

 門前払いをくらった俺は、途方にくれていた。

 なんで? 生きるためには金が要る。守銭奴ではないが、それを求めて何が悪い? 解せぬ。




 翌日

「御免候」

「なんだ、またお主か? 行かぬと言うたであろう」

 弁吉のおじさんはまた戸を閉めようとする。

「お待ちください! 先生の清貧の志はよくわかりました。それがし、それの是非がどうかなどと、論じるつもりは毛頭ありません。ただ先生の、先生のお力をお借りしたいだけなのです」

「なに?」

 よし! 来た!

「先生は以前、それがしと同じ齢の頃、長崎にて蘭学を学んだと聞き及んでおります。それは何ゆえにございましょうや?」

「それは世のため人のため、学んだ事を役立てようと思ったからに他ならぬ」

 何を当たり前の事を、というような顔をしているな。

「なればこそ! その才を、世のため人のためにお使いください!」

「面妖な事を申すでない。わしがお主について行く事で、なんで天下国家のためになるのじゃ?」

 食いついてきた食いついてきた。

「されば、我が兄次郎左衛門は肥前大村家中の家老にて、この先日本に必要なのは人材であると仰せになり、それがしに日本中を回って天下の才を集め教えを請い、力を借りよとお命じになりました。そうして大村の地には、高島秋帆先生をはじめとした……」

「なに! ? 今なんと申した?」

「ですから天下の才を集め教えを請い……」

「違う! 最後じゃ」

「最後? ……高島秋帆先生をはじめ……」

「秋帆どの、高島秋帆殿が、その、お主のいる大村に行っているのか?」

 なんだ、どうした? 先生と知り合いなのか?

「はい。大村にて大砲の鋳造や新しき洋式の兵の調練を研究され、実践されております」

「わかった。行こう」

「え?」

 え? 何がおじさんの心を動かした? 秋帆先生がいるからか? ……まあ、よくわからんけどやったぞ。なんとかなった。

「その代わり、わしはさきほど申したように、華美な生活などは求めて居らぬ。それだけは心得ていてくれ」

「はは。ありがとうございます」




 隼人の旅はまだまだ続く。




 次回 第120話 (仮)『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』

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