嘉永三年五月十三日(1850/6/22) 佐賀城
「なに? そんな馬鹿な? そのような物、見た事も聞いた事もないぞ! ……いや、待て。待て、待て……」
佐賀藩主、鍋島直正は考えている。
佐賀藩が今製造して改良中の反射炉を、大村藩ではすでに仕上げているとする。大砲の鋳造が成功しているのは勿論の事、西洋の技術をさらに取り入れている事は、十分に考えられるではないのだろうか?
その疑念が頭から離れない。
『蒸気船』という風も使わず櫓も櫂も使わず進む船が、本当にあるのだろうか。
「これ、支度せよ」
「は?」
「は? ではない。忍んで大村まで行く故、支度せよと申したのだ」
直正の決心は変わらない。決して家臣の報告を信じていない訳ではないが、なにかこう、体の中のもやもやを、どうしても拭い去ることが出来なかったのだ。
■大村藩 次郎邸 <次郎左衛門>
「そんで、みんなどうなん?」
俺は冷えたビールを、と言いたいところだが、隣にお里がいるのでアルコールはやめて冷たいお茶にした。ああ、早くコーヒーや炭酸飲料が飲めるようにしたい。
各方面の報告は随時聞いていたが、こうやってみんなで集まって報告を聞くのも、生の声が聞ける。
「下水道に関しては、1858年は間違いないだろうな?」
「間違いない」
一之進の言葉に俺は即答する。
「高炉セメントの開発次第だけど、出来なくてもポルトランド? セメントで造るから間に合うそうだ。そこは精煉方頼みだな。それより次郎、金は大丈夫なのか? 予算がないとか言うなよ」
「馬鹿たれ、誰に言ってんだ。毎年黒字だっつーの!」
本当はお茶の増収がなければ厳しい所だけど、石炭の値が上がるのはもう少し後だ。北海道やその他の炭鉱も目星はつけて交渉中だけど、領内の炭鉱で実績が出てからの方がいいかな……。
魚油の製造量、つまり漁獲量も増やしたいところだし、石油に関しては油井の数を増やすしか現状では手がない。早く精製法が発明されて欲しいものだ。
「殺鼠剤は猫いらずがあるから大丈夫だろう。子供が間違って食べないように厳重注意が必要だが」
あとはゴーグルだな。ゴム手袋やゴム靴も必要だ。
「精煉方は、どうなんだ?」
とみんなに聞かれて信之介は困った顔をしたが、すぐに元に戻って答える。
「範囲が広すぎて、何を聞きたいのかわからん」
確かに範囲が広い。一言でいうのは難しいだろう。
「しいてあげれば、全部、順調に進んでいる。程度の差はあるがな。例えば電信は、今のままだと3kmが限界だ。それ以上だと信号の減衰が激しくて使い物にならん。継電器が必要だ」
「それ、伝えた?」
「いや」
ええー、という一之進とお里。
イネはよくわかってないが、なんとなく必要な事を教えていないんだろう、的な感覚でうなずく。
「次郎には言ったが、後進の育成のためだ」
信之介が俺を見るもんだから、三人に簡単に説明した。
「心配するな。具体的な事は教えていないが、ヒントはやった。そのうち解決してくれるさ」
そうであって欲しい。3年後にサスケハナ号に乗り込んで、『知ってるよ。使ってる』と言いたい。
「ペクサン砲も、榴弾は問題ない。砲の問題や危険性を完全に解消できるまでには時間がかかりそうだ。最悪は、ペクサン砲の研究を続けつつ、アームストロング砲へ進まないといけないかもしれない」
「うん。わかった」
信之介と俺以外はピンときてないようだったが、仕方ない。
「ねえ、ちなみにというか、全く関係ないけど、この冷えたお茶、冷蔵庫はどうやって動かしているの?」
お里が言う。
「これ? 手動ポンプ使ってるよ」
「手動で?」
「そう。定期的にポンプを押して氷をつくりながら、冷やしてる」
「なんで? 蒸気があるんだから、それ使えば良いのに」
「いや、うるさくないか?」
「やってみれば?」
「う、うん……」
「おお! 皆様方、ここにいらっしゃいましたか!」
そうやって五人の前にやってきたのは、写真機の研究開発をやっている上野俊之丞と杉亨二だ。二人ともブルークから写真技術を教わって、俊之丞はダゲレオタイプ、杉亨二はカロタイプの研究開発を行っていた。
すでに発明後の開発で、ブルークから教えてもらっていたので時間はかからなかったが、その後の経過を報告にきたのだ。
俊之丞はダゲレオタイプの銀板写真を手に持ち、その技術の精緻さと耐久性を強調する。
「御家老様、ご覧下さいませ、この細部まで克明に写し取られた画像! この写真は永遠に保存できるのです」
隣にいる杉亨二は、カロタイプの紙写真を手にしていた。
「確かにダゲレオは精密かもしれませんが、カロタイプは量産が可能です。しかも、柔らかな描写で人々の表情をより自然に捉えることができます。俊之丞様の技術は素晴らしいですが、実用性に欠けます」
亨二は、祖父の友人であり奉公先の主人でもあった俊之丞に対して、一定の敬意をはらいつつも自らの成果を主張する。
俺たち五人は真剣に二人の言葉を聞き、どっちの技術がより自分たちの生活に役立つかを考えながら、目の前の展示物を見比べた。
「俊之丞、ダゲレオの写真は誠に永遠に持つのであるか?」
「失礼致しました。永遠は言い過ぎでございましたが、銀板に刻まれた画像は変質しません。百年、二百年と、この時を印し残すことができます」
一方、おイネは亨二に尋ねた。
「カロの方はいかがですか? 紙だから、時間が経つと傷みやすいのでは?」
亨二は微笑んで答える。
「確かに紙は銀板ほどもちはしませんが、正しく保管すれば何十年も持ちます。それにこの技は同じ物を何枚も複製できるのです」
信之介は興味津々で二人の説明を聞き、しばらく考えた後に言った。少し前まで二人して質問攻めだったのだ。感慨深いのかな?
「どちらの技術にも、それぞれの強みがありますね。永久保存が必要ならダゲレオ、たくさんの人に見せたいならカロ、という感じかな」
「みなさん、写真とりませんか?」
おイネが唐突に言ったが、不思議とすぐに全員意気投合し、ダゲレオタイプとカロタイプ、両方撮影するようになったのだった。
■川棚村
「な、なんじゃあこれは……」
次回 第126話 (仮)『直正の苦悩と斉彬の決断』
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