第164話 『幕閣と親書の受領。至善丸へのスクリュー艤装』

 嘉永六年五月二十三日(1853年6月29日) 江戸城

「なんじゃと! ?」

 近習から書状を受け取り、読み上げた老中首座の阿部正弘は驚きの声を上げた。ペリー来航の知らせから城内は緊迫しており、そんな中で、幕閣を驚愕きょうがくさせる出来事があったのだ。

如何いかがなされた?」

 全員が正弘に詰め寄るように聞いた。

「メリケンの艦隊が浦賀に現れ、中島に続き香山栄左衛門が交渉に当たっているとは聞いておったが、なんと大村丹後守殿の……大村家中の、過日我らと話した家老の太田和次郎左衛門が、一緒に交渉に当たったそうにござる」

「太田和……次郎左衛門? 何ゆえ彼の者が交渉に加わっておるのだ?」

 正弘の言葉に幕閣たちは一斉に顔を見合わせた。全員が次郎の事を知っており、その才覚に驚きつつも、何か底知れぬ不安を抱いていたのだ。

「確かにひとかどの人物だとは思うが、交渉に加わることで何が変わるのか……」 

「いやいや、それよりもその行いが許される事ではないであろう! 公儀の許しも得ずに|然様《さよう》な事をするとは」

 松平乗全のりやすつぶやくと、松平忠固が吐き捨てるように言った。

「待たれよ、方々」と正弘が口を挟んだ。

「確かに次郎左衛門の行いは則に反する事やもしれませぬ。れどその果を見れば、浦賀の測量を止めさせ、七日間の猶予を勝ち取ってございます。その儀は称えねばなりますまい。果は我らに利のあるように働いたのですぞ」

 久世広周が静かにうなずく。

「然様。然れど此度こたびの行いが前例となり、他の者たちが勝手に動くことを許すわけにはいきませぬ」

「然に候。然りとて今は非常の時。次郎左衛門の才を大いに用うるべきではないでしょうか。その上で彼の者の行いについては、後に正せば良いかと存じます」

 内藤信親が慎重に言葉を選んだ。

「確かに、内藤殿の言う通りだ」と正弘が同意した。

「まずはこの七日間を十分に使い、次に備えようではありませぬか」




 七日後の嘉永六年五月二十七日(1853年7月3日)、久里浜にてペリーとの会見が行われ、親書が渡された。再来航は一年後である。




 ■川棚造船所

「これじゃ」

 象山は新たに改良して編み上げたパッキンを掲げた。

「麻縄を基本とし、獣脂を特殊な方法で染み込ませて柔軟性と耐久性を高めた。編み方も工夫し、密度を上げている」

 独り言を言う象山の元に、佐藤船長が再び作業場を訪れた。

「象山殿、進捗はいかがでしょうか」

「佐藤殿、ようやく見込みのある結果が出てきました。まだ試験段階ですが、これが成れば、軸からの浸水を大幅に減らせるはずじゃ」

「先生、ひとつよろしいでしょうか?」

「なんだ、東馬」

 助手の東馬の声に象山は振り返った。

「はい、僭越せんえつですが、この水漏れは……考えますに、またし(完全に)止めなくてもよいのではないでしょうか?」

如何いかなる事だ?」

 象山の目が鋭く光った。

「はい、またし漏れを防ぐのでは無く、如何にしても漏れるものだと考えて、その排水の仕組みを初めから備え、その上で如何に減らすかを考えるのです。各湊、各航海で排水や修繕をやるという前提の仕組みをつくるのです。これは我らというよりも、御家老様のお力にはなると思いますが」

 東馬の言葉に、作業場は一瞬静まり返った。象山は目を見開き、しばらく無言で東馬を見つめていた。そして突然、大きな声で笑い出した。

「! おお! さすがじゃ東馬! お主は天才じゃな! わしの次にだが! わはははは!」




 象山達スクリュー開発チームは、二ヶ月前の東馬の提案から完全な防水を目指すのではなく、許容可能な漏水量を定め、それを基準に改良を進めていった。
 
 同時に定期的なメンテナンス体制の構築や、各港での点検・交換システムの設計も始まっていたのだ。

 改良されたスクリューを至善丸へ艤装ぎそうする日を迎え、象山は造船所の隅で東馬に言う。

「東馬よ、お主の考えが我らの視野を大きく広げてくれた。これからの日本は、単に西洋の真似をするのではなく、我ら独自の方法を考え、良く改めていく事もやらねばならぬかもしれんな」

「ありがとうございます、先生。然れどこれは、皆の助けがあってこそ成し遂げられたことです」

 東馬は謙虚に頭を下げたが、その表情には誇りにあふれていた。

「そうじゃな。皆の力がなければ、ここまで辿たどり着くことはできなかったであろう。さて、至善丸の艤装の進捗を見に行こうではないか」

 象山は東馬と共に造船所のドックへ向かった。現場では職人たちが忙しく働き、象山と東馬が見守る中、手際よく作業を続けている。

 新たなパッキンがどのように機能するのか? 改良されたスクリューがどの程度の耐久性があるのか? 

 それは実際に至善丸が進水・就役してからでないとわからない。

 船大工たちもスクリューの改良が間に合った事に安堵あんどの表情を浮かべている。間に合わなければ至善丸は、完成してもこのドックに放置されたままになるからだ。

「これで我が家中の船は、さらに長き道のりを航行できるようになります。象山先生、東馬殿、心から感謝します」

 船大工の棟梁が言った。

「とんでもない。皆の者、我らもまだまだこれからじゃ。これを足掛かりにして、さらに改良を重ね、日本の技をより良くしていかねばならぬ」

 至善丸の完成までにはまだ一年の時間が必要であったが、今日のスクリュー改良の成功は大きな一歩となった。象山と東馬、そして職人たちの努力と知恵を結集してなし得たのであった。




 次回 第165話 (仮)『公儀からの質し状と登城命令』

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