第734話 『北加伊道、小樽』 

 天正十六年三月十日(1587/4/17)北加伊道地方 小樽総督府

「寒い、寒すぎるな。まじで寒いぞ」

 もう26年いる純正でも、現代語がでてしまう時がある。いわゆる感情が高ぶった時やその逆の時だ。

 無意識なのだろうか、幼少時というか50才までの積み重ねは、この時代の26年間に勝っている。純正は転生人ゆえの言葉遣いや立ち居振る舞い、その考え方が当時とはかけ離れた部分が大いにあったが、だいぶ矯正(?)されてきた。

 しかし、心底、心のそこから叫んだのだ。

「寒い!」

 気温は2.2℃で、かろうじて氷点下ではない。風がないのも幸いしたが、小樽港は流氷こそないものの、周りは真っ白な雪景色で、コンクリートで造られた建造物も白一色である。

 コンクリートは低温下では施工ができない。

 しかし街道や港湾の整備は何年も前から行われていたので、主要部は既にできあがっている。
 
 現在進行中の工事は、途中で工事を止めるわけにはいかないので、おおよそ気温が5℃以下になる前に工事が終わるように、施工の工期を考えて行われていたのだ。

「さあ、どうぞこちらへ」

 夕方に小樽に着いた純正は、昼間に総督である松前慶広の挨拶を受け、近くの宿舎に泊まっていた。一般のホテル(旅館・旅籠)である。

 暑い地域は暑さ対策を、寒い地域は寒さ対策をスローガン(?)にしていた純正は、北の大地である北海道小樽においても、暖房設備の普及には力を入れている。

 そのため館内はいたるところにストーブ用の配管が張り巡らされ、各部屋はもちろんの事、玄関や廊下など客が使う部分にはふんだんに暖房設備が備わっていた。

「うん、まあこれなら、暮らせるな」

 小樽の開発は14年前の天正二年(1573年)から始まっているので、北方の地とは言え、北加伊道地方の中では十分栄えていた。蠣崎氏の本拠である松前より栄えているかもしれない。

 アイヌ交易における格差が如実にあらわれて蠣崎氏は純正の軍門に降った訳であるが、その時よりマシになったとは言え、急速に発展した小樽に松前は押されていたのだ。

 軍港としての価値もある。
 
 小樽では現在、蒸気機関搭載の戦列艦を造船・修理できるようにドックの増設を行っており、既存のドックも必要にあわせて拡張していたからだ。

 しかし、松前にはない。海軍の所管であるから、軍事戦略的に必要性がなければ軍港の開設はしないからだ。現在であれば海上自衛隊の大湊地方総監部や、旧海軍の大湊警備府にあたるものはない。

 人口も松前が1万人足らずだが、小樽は3万7千人程度とかなりの開きがあった。




 純正は長旅の疲れを風呂で癒やし、静や藤、そして子供達とのだんらんを楽しむ。父親の政種は60になり、この旅行(視察)は還暦祝いも兼ねていた。総勢で20名あまりの大所帯だ。

 純正の子供、といっても嫡男の舞千代は既に元服して平十郎純勝を名乗り、立派に領地を運営している。

 二男の豊丸は元服後に源十郎利純となり、藤との間の息子である松寿丸も元服している。隼人助正晴だ。正は純正からの偏諱へんきであり、晴は母方の父である二条晴良からとっている。

 元服している子供達はそれぞれに領地をもっているが、基本的には肥前国の官僚もしくは軍人である。ちなみに弟の太田和次郎正澄は海軍大佐となっていて、新鋭蒸気軍艦の艦長である。

 昇進が早いのは有能という事もあるのだろうが、周りが忖度そんたくしているのだろうか。しかし、純正の竹馬の友である勝行が艦隊総司令をやっているので、それはないだろう。

 勝行は総司令とは言っても人事にいちいち口を出したりはしない。

 海戦があるかもしれない、という兆候があれば、自ら足を運んでどんな人物か吟味をするし、必要があれば強権を発動して異動させる。そんな勝行が弟だからと忖度するとは思えないからだ。

 ともかく、家族は水入らずで楽しんだのだが、酒が入ればトイレが近くなる。




 どんっ。

 途中、かわや(トイレ)へ行こうと席を立ち、廊下を歩いている純正に一人の少年がぶつかった。

「あ! ゴメンナサイ! スミマセヌ!」

 片言の日本語でしゃべる10歳前後の男の子がぶつかってきたのだ。一見して、とても栄養状態が良いようには見えない。髪はボサボサで服装もだらしないというより、汚い。

 ? ……!

 純正は何かを感じ取ったようだ。

「ボク、お父さんとお母さんは? チチ、ハハはどこかな?」

 ニコニコ笑って警戒心を与えないように注意して聞く。

「チチ、ハハ、いない。オレ……ヒトリ。だから、ゴメンナサイ、スミマセヌ」

 口を開けば『ゴメンナサイ』や『すみません』ばかりである。

「謝らなくていいんだよ。そうだ、寒いだろう? 一緒にお風呂に入ろうか」

 痩せた少年の手はマメと傷だらけであったが、嫌な予感が純正はしたのである。




「おーい、女将! いるかぁ! ? 主人はどこだ?」

「はぁーい! ただ今~」

 純正は大きな声で宿屋の女将を呼ぶと、すぐに返事があって女将が近寄ってきた。

「これは関白様! なにか、あ! お前! この子が何か粗相がございましたか? 申し訳ありませぬ。キツく言って聞かせますので、どうかご容赦を」

 女将は男の子をサッと見るとそう言って平伏した。

「いやいや、そうではない。この子を見ていると昔を思い出しての……。少しの間、貸してくれぬか。どうであろう?」

「は……それは、構いませぬが、いったい何を……」

「なに、気にすることはない。ほれ、これはほんの気持ちじゃ」

 純正はそう言って懐から巾着袋を取りだしては、そのまま女将に渡した。

 女将はその中身を覗いてギョッとするが、純正が笑顔のまま右手で『どうぞ』と合図をすると、恐縮するように深々と挨拶をして去って行った。

「さあ、お風呂に行こうか。寒いから、温まるぞ」




 数分後、純正はもうないだろうと思っていた事が、この北の地で未だに行われていたことに、愕然がくぜんとするのであった。




 次回 第735話 (仮)「北加伊道は、まだ、蝦夷地なのか」

コメント

タイトルとURLをコピーしました