第204話 『サー・タンゴノカミの実力』

 安政三年九月十五日(1856/10/13) ~の半月前 江戸城

「な、なんだこれは……」

 老中首座を退いたとは言え、いまだ幕閣の中で発言力のあった阿部正弘は目を疑った。

 確かに、意見は聞いた。幕政の参考にと、聞きはしたのだ。




 立秋の候、伊勢守殿におかれては益々ご清栄の事とお慶び申し上げ候。

 て、此度こたび未だ申し通せず候といえども(文を交わしたことはないが)、国家火急のみぎりにて、これにて意見申し上げたく存じ候。

 然れば(という訳で)近日、異国の四箇国の兵船団、我が国へ来航せんと聞き及び候間(聞いたので)、然らば(それなら)必ず談合とあいなると考え候。

 しこうして(だから)この談合においては、何卒大村丹後守殿並びにの郎党、特に太田和次郎左衛門が同席したしと願いでてきたならば、お許し頂きたくお願い申し上げ候。

 彼の者の談合における実力は聞き及び候間、の上は更なる異国との談合にいて、万全を期してのぞむべきと存じ候。

 恐々謹言。

 八月二日

 徳川権中納言(慶勝) 花押

 松平左近衛権中将(春嶽) 花押 

 島津薩摩守(斉彬) 花押

 伊達侍従大膳大夫宗城 花押

 山内侍従土佐守豊信(容堂) 花押

 阿部伊勢守殿




「なんと、伊勢守殿(阿部正弘)へも届いたのでござるか?」

「……? では堀田殿……にも、斯様かような文が?」

 阿部正弘は堀田正篤にも同じような書状が届いたと聞き、驚きを隠せない。

「……して、如何いかがいたそうか」

「……然様ですな。確かにこの文にあるように、次郎左衛門の功は無視できませぬ。更には御三家筆頭の尾張殿と、越前の松平に薩摩守殿まで……公儀が考えを求めた前例がある以上、無視はできますまい」

 堀田正篤の問いに対して阿部正弘は目をつむり、首をかしげながらも答え、続けた。

「全権としてではなく、前回と同じように丹後守殿も次郎左衛門も、見聞役という形であれば、体裁が整いましょう。あくまで決定は公儀が行うという」

「うむ、先日から登城を許すよう求めが来ておりましたが、これならば同席を許すという返事のみでよろしいですな」

「そういたしましょう」

 二人は先日からあった純顕の登城要望を許可する代わりに、交渉の同席を認めるとの返信を送ったのだ。




 ■了仙寺
 
「見ましたか、ハリス殿。沖の軍艦は我らの国の軍艦ではない。全ての艦の艦尾に、白地に赤丸の旗を掲げているではありませんか。しかもすべて蒸気船です。これはいったい、どういう事ですか?」

 フランスのグロ男爵は、自分が収集していた情報が間違っていた事に驚きを隠せない。

 アメリカをはじめロシアもイギリスも、和親条約は結んだものの、それは和親であって通商ではない。そのため頻繁に日本に外国船が来航することはなく、情報収集はもっぱら上海でのオランダ経由だったのだ。

 フランスにいたっては条約すら結んでいない。情報が少ないのは当然であった。

「グロ殿、それを私に聞かれても困りますよ。アメリカが条約を結んだ際は、4隻でした。それでも驚きましたが、わずか2年でまさか倍の8隻になっているとは思いもよりませんでした」

 グロの問いにそう答えたハリスも、情報が古いのか、それとも日本の発展が早いのか。願わくは前者であってくれと願っている。




「さて、説明していただきましょうか、クルティウス殿。これはいったいどういう事ですかな?」

 落ち着きを装い、今度は自前の紅茶を飲みながら、イギリス全権大使のブルースはクルティウスに詰め寄る素振りを見せる。

「……どういう事とおっしゃっても、答えようがありません。私は今回、4か国の連合で艦隊を派遣して日本に通商を求める件では、皆さんが聞いてきた事には答えたつもりです」

 3人全員がクルティウスを見る。

「……では、この現状をクルティウス殿は当然知っていたと?」

「……はい。それに、沖にある船の中で2番目に大きい船のうちの一つは、わが国が寄贈した船です」

「なんと!」

「馬鹿な!」

「あり得ぬ!」

 ブルースが驚きの声を上げるのとほぼ同時に、グロが声をあげ、ハリスも続いた。『あり得ぬ』というのは表現がおかしいが、ハリスの驚きはそのくらいであったのだ。

「で、では貴殿はその事実がありながら、我らに黙っていたと?」

「黙るというか、先ほども申し上げましたように、聞かれませんでしたので。それに、寄贈したのはもう2年も前の話ですよ」

「「「な!」」」

 3人は言葉がでない。しばらくの後、ブルースがクルティウスに確認した。

「大使、貴殿はこの交渉にあたり、我らに協力するという事で来ているのではないのか? そのような重要な情報を、黙っているのは、いかがなものかと思うのだが……」

「大使のお気持ちもわかります」

 クルティウスは短く答え、続けた。

「確かに、私にできる事なら協力するといいました。しかしそれは、皆さんも同じでしょうが、国益に反しない限りにおいてです。おわかりでしょうが、日本は諸外国と国交を結んでおりません。わが国でさえついこの間まで、通商はするが国交はない、という不思議な状態だったのです」

 3人は黙ってクルティウスの話を聞いている。

「そのような関係の中で、日本の国内事情をべらべらとしゃべり、わが国に対する日本の心証を悪くして、対日関係が悪化したならばどうするのですか? 私の外交官としての役割に反します」

 クルティウスの発言はさらに続く。

「例えばわが国とイギリス、アメリカ、フランス、どの国も同じですが、国交がすでにあり、通商も盛んであれば、外交上知り得た情報ならば良いでしょう。しかし日本には大使館はおろか領事館さえないのです。わが国でさえ、首都から600マイルも離れた西の果てに商館があるのです。日本人はこの件に非常に繊細で、一歩間違えば私の首が飛ぶ可能性だってあるのです」

 クルティウスは大げさに言ったが、当たらずとも遠からずである。




「ではクルティウス殿、これから質問するので、可能な範囲で情報を教えていただきたい」

「わかりました」




 ■安政三年九月十五日(1856/10/13)

「Welcome to Japan. There are about 20 warships anchored offshore. It looks as if we are at war with somewhere. Ha ha ha! I don’t think you are here to go to war with our country. Well, let’s start with this one. I wonder if it’s to your liking. Would you like tea or coffee? If you need milk, please let me know. 」

(ようこそ日本へ。沖には軍艦が20隻ほど停泊してますね。まるでどこかと戦争でもするみたいだ。ははははは! まさかわが国と戦争をしに来たのではないでしょうから、さあ、まずはこちらをどうぞ。お口にあいますかどうか。紅茶とコーヒーはどちらが良いですか? ミルクが必要な場合は仰ってください)

 次郎は挨拶を済ませるとにこやかに言った。

 もちろん、日本側には知らせている。

 次回 第205話 (仮)『交渉開始』

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