第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

 嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日) 

 現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。

 零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。
 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)……至善丸建造。
 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)弐(半分)……修理用。
 弐号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱・弐(半分ずつ)……修理用。
 参号ドック(ポルトランド・長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)……造成中。
 四号ドック(ポルトランド・長さ158.4m幅37.8m深さ12.36m工期4年半)……造成中。

 零号ドックと壱号ドックの半分を修理用と商船造船用に残し、弐号ドックで二隻の新鋭スクリュー推進船を建造しようという計画である。

「十万両を超えるのですぞ! いかに筆頭家老とはいえ、あまりに大き費えにございましょう。荷船も多く造っておるのです。これ以上は家中の勝手向きに悪しき影響を残しませぬか?」

 純顕は目をつむりながら聞いていたが、やがて開いて次郎を見る。次郎はニコニコと家老の渋江右膳に語り出す。

「渋江殿、ご心配はご無用にございます。昨年度までの我が家中の蓄えは、二十万一千三十七両ございます。加えて貯蓄は八万両ございました。今年度も増える見通しにございます。また、我が家中の物言いや立ち居振る舞いは、日ノ本一の軍艦を持って初めて成せるので御座います」

「な!」

 普段から気にして調べていなければ、勘定奉行とその配下くらいしか知らない内容である。誰も、何も言えない。かくして、川棚造船所第弐ドックにてスクリュー推進800トン級2隻の起工が決まった。

 それから、予算事情をいちいち説明するのが面倒になった次郎は、勘定奉行に毎年と毎月の歳入歳出を報告することにした。




 ■蒸気機関製造方

 輸入したフェアベーンの改良リベット打ち機や、前原功山が開発した功山接合(アダムソン・ジョイント)など、圧延技術や工作機械の発達がボイラーの強度を高める役割を担っていた。

 しかし依然として欧米におけるボイラー事故が改善されたとの報告はない。

 藩内で大きな事故は発生していないものの、強度を高め、より高圧に耐え得るボイラーを製造するための技術の壁に、ハルデスをはじめ功山と弁吉はぶち当たっていた。




「先生、これ以上高圧に耐えられるボイラーを造るには、方法よりも、素材を変える他ないのではありませんか?」

「然様、どれだけリベットを正確に打っても、熱が加わらないように工夫をしたところで、腐食は防げません」

 前原功山と大野弁吉は、蒸気機関の製造と改良研究をハルデスと共にやっている。

「確かにそうですね。今の徳行丸で6㏏、スクリューの至善丸で7~8㏏ですから、設計を考えれば、800tの新造艦をつくるとして、スクリューならば6㏏程度は出せるでしょう。ただ……」




 徳行丸・至善丸の船体サイズ

 長さ:52.7m
 幅:9.1m
 深さ:7.3m
 排水量:400トン

 機関室のサイズ(50psi)

 床面積:約55m²
 長さ:10m
 幅:6m
 高さ:3.5m




「これ以上の大きさの船を造るとなれば、石炭の貯蔵庫、武装、その他の事を考えても、機関室をどれだけ狭くできるか、要するにどれだけ高気圧かつ安全なボイラーを製造できるかにかかっています」

 功山と弁吉は考え込む。

「そして太田和殿が命じられた鋼鉄艦。そうなるとさらに高性能なボイラーが必要となります」

 輸入していたジョン・マクノートの回転式ボイラーを参考に、なんとか100psi(7気圧)のボイラーは製造出来るようになっていたが、安全に量産できる、とは言い難かった。

「功山君が言うように、新しい素材を考えなければなりませんね。これは、我々がどうこう出来る問題ではありません。鋳造方に頑張ってもらうしかありませんね」




 ■大砲鋳造方

「諸君、御家老様から新しい命がくだされた。加えて蒸気機関製造方より依頼もある」

 高島秋帆は各分野に分かれて研究していた技術者を集め、意見を募った。

 集まったのは大砲の施条技術の研究と開発を行っていた武田斐三郎あやざぶろう、信管と榴弾りゅうだんの研究の大野規周のりちか、後装砲の研究の賀来惟熊、金属薬莢やっきょうの村田蔵六である。

「舷側に大量の大砲を載せて戦っていた戦列艦の時代は終わり、少数の大口径で威力の大きな船同士での戦いとなる、という事らしい」

 秋帆が言うと斐三郎が聞き返した。

「それは一体、どういう事ですか?」

「つまり、壊れやすい木造の船ではなく、鉄の船を造る研究をして欲しいという事だ」

 えええ! という声があがった。

「まさか、それは信長公の鉄甲船のような? ものですか?」

 村田蔵六が尋ねた。

「違います。御家老様が仰せなのは、完全に鉄の船なのだ。今後は帆走では無く蒸気だけで動く船が主体となる。そして甲板上には右に左に旋回する大砲が出現するそうだ。それまではまだ時がかかるらしいが、いずれにしても強力な砲弾を跳ね返せる船体が必要となる、と仰せだ」

 全員が静まりかえった。

 次郎の先見性に驚いたというのもあるが、それだけの鉄をどうやって造るのだろうか。

「秋帆殿、こういっては何ですが、尋常ではない鉄を要すると考えます。しかるに、いまの高炉や反射炉では、大砲一門をつくるのに一日二日がかりにござる。とてもとても……」

 大野規周が現実的な話をした。

 秋帆は規周の言葉にうなずきながら、窓の外に目を向けた。造船所の喧騒けんそうが遠く聞こえる。
 
「確かに現状では難しい。だが、難しいからこそ挑戦する価値がある」
 
 新しい製鉄法。新しい炉の開発。

 かつてないおおがかりな研究に、秋帆の決意が感じられる。
 
「鉄を大量生産する方法を見つけなければならない。それも、純度の高い鉄をだ。これは蒸気機関製造方からも依頼があったのだ。不純物を取り除いた、高圧に耐えうる鉄ができないか、とね」

 斐三郎が身を乗り出した。

「……そうなると、我らで考えて見つけ出すのが一番良いかと存じますが、何の手がかりもありませぬ。ここは、あの方のお力を借りた方が良いのではありませんか?」

 秋帆は腕を組んで考えていたが、やがて決断した。

「そうだな。我々が一から考え作り出すのが望ましいが、時間は待ってくれぬゆえな。信之介殿のお力を仰ぐとしよう」




 そういって五人は、引きこもり科学者の信之介の研究室へ向かうのであった。




 次回 第174話 (仮)『ベッセマーのヒントと幕府海軍』

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