嘉永二年二月六日(1849/2/28)
拝啓
立夏の候、主殿頭殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。
先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊殿を招聘したく、その儀につきまして貴殿のご高配を賜りたい旨、詳しく承り候。
近年の大村領の栄え、いや増すばかりと聞き及び候。これはひとえに丹後守殿の真摯なお人柄と、家老太田和次郎左衛門殿をはじめとした優れた家臣団の不断の努力の賜物と心より敬服いたし候。
当領内での大地震の砌、大村御家中より多大なるご支援をいただき候。
まさに民の困りを救うために要る粮料(食料)や薬に衣を頂戴し候間(たので)、領内の復旧も大いに進みけり候。この恩義は決して忘れること能わず候。
過日、貴家より養子を迎え候へども、不幸にして早世いたしけり候。しかれども貴家と当家との御縁は大事に御座候。
然る間、賀来惟熊殿の儀は大村家ならびに貴家、加えて当家との新たな御縁と考え候。彼の者は大村藩の発展のためには欠かせぬ働きをする者と聞き及び候。
かような人の交わりは互の家の誼を深めるのみならず、ひいては天下泰平につながるものと信じ候。
つきましては、賀来惟熊殿の大村御家中への招聘につきまして、格別のご高配を賜りますよう、謹んでお願い申し上げ候。叶いますれば、必ずや三家の友好の証になるものと存じ候。
この度のご縁を大切なものと受け止め、貴家との誼が一層深まりますことを心より願い候間、何卒ご賢察くださいますよう、重ねてお願い申し上げ候。
末筆ながら貴殿のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げ候。恐々謹言
四月十五日(弘化五年)
真田幸貫
松平主殿頭殿
何度か真田幸貫と松平忠精との間で文書のやり取りが行われ、忠精は賀来惟熊を気に入ってはいたが、仕官ではなく招聘という事で承諾した。
最初に純顕が次郎の勧めで幸貫に手紙を送ってから一年近くかかっている。
島原藩は大村藩と同じく長崎警固と軍事力の強化に努める必要があった。しかし天災により増税するしかなくなってしまい、それが農民の一揆を誘ってしまったのだ。
結局事態の沈静化と貧民救済に努めざるを得ない状況であった。忠精が招聘と交換条件ではないが、できたら援助をお願いできないかと、暗に願い出てきたのは言うまでもない。
■遡って弘化五年八月八日 伊予 宇和島藩
「なに? わが領内で人を探しておる者がいるとな?」
伊予宇和島藩主伊達宗城は、家臣が噂をしているのを耳にして、家老の桜田数馬へ聞いた。
「は。なにやら前原喜市なる者を探しているようにございます」
「はて、聞いた事のない名前じゃのう。どこの誰が探しておるのじゃ?」
宗城はまったく知らない男を(探している)男に興味を持ち、詳しく聞こうとした。
「それがしもつぶさには存じ上げませぬが、桑折左衛門殿が懇意にされている本町の豪商、清家市郎左衛門が知っているようにございます」
「ふむ。その者が人探しをしておるのか?」
「いえ、その者は探されている者にございます」
「なるほど、いずれも知らぬ者か。よし、では何処の誰が探して居るのか連れて参れ。その喜市とやらも一緒にの」
「はは」
こうして数馬は、所用で外していた同じ家老の桑折左衛門を訪ね、前原喜市(功山)へ知らせて貰い登城させるとともに、自らは探し回っている人(隼人)を探し当てて同様に登城させたのだ。
「それがし肥前大村家中、精煉方総奉行 御用掛 太田和隼人にございます」
隼人は平伏し、宗城がくると挨拶をした。隣にいるのが誰だかわからず、なぜ城に呼ばれたのかもわからない。
「八幡浜新築地の前原喜市にございます」
功山も平伏している。
「大膳大夫である。苦しゅうない、面をあげよ」
宗城の言葉に二人は顔を上げ正対する。
「まず聞きたいのが、はるばる肥前の大村家中から、なにゆえわが領の民を探しにきたのか、これを聞きたい」
「はい。わが兄にして大村家中の家老を務めております次郎左衛門の命にて、前原殿を領内に招聘したく参った次第にございます」
招聘? と宗城はもとより、座にいた他の家老もけげんな顔をする。
「不思議な事を仰せになる。ここなる喜市は藩の要職に就いている訳でもなく、藩校明倫館にて教えておる訳でもない。なにゆえそのような者を、わざわざ人を寄越して招聘されるのだ?」
宗城の疑問はもっともである。
一般的に招聘というのは、ある分野で優秀な人を招いて、教えを請うというスタイルだ。しかし前原功山は、この時点では単なる細工物の商売をしている町人である。
なぜ招聘するのか?
……理由はない。ただ次郎が歴史の知識で、功山が宇和島藩で蒸気船製造を行う、という事を知っていたからに他ならない。しかしそれを今説明することなどできないのだ。
「それは、それがしはつぶさには存じ上げませぬが、わが兄は人の才を見抜くのに長けていると申しますか、我が領内に招いた人物は皆、水を得た魚のようにございます」
「ふむ……」
豊前の賀来惟熊も同じで、ただの庄屋である。豊後国日出藩の儒学者である帆足萬里に弟子入りして、蘭学の知識もあったが、この時点では反射炉のハの字もない。
「……喜市よ。その方なにか得意なものはあるのか?」
「は、細工品の商売をしておりますれば、様々な細工をしたり考えたりするのは得手にございます」
功山は恐縮しつつ、答えた。
「さようか……」
功山は何の変哲もない町人で、藩外に出たところで宇和島藩には何の影響もない。しかし、聞くところによると大村藩はなにやら蘭学に傾倒して様々な事をやっているらしい。
もしここで、功山が何らかの技術を学んで藩に持ち帰ってきたならば、必ずや藩の役に立つのではないだろうか。
「……喜市よ。これまでの話を聞いて、肥前の大村に行ってみる気はあるか?」
「はい。正直なところ……家族に飯を食わせる事ができて、今の仕事や自分の手先の器用さが役に立つなら、行ってみてもいいかと考えております」
功山の正直な気持ちだろう。
「さようか。では隼人殿、喜市はこう申しているが、路銀やその家族が養えるような見返りはあるのだろうか?」
「無論にございます。喜市殿お一人でも、ご家族ご一緒でも、居を移す際の銭はすべてわが家中が支払いまする」
宇和島藩にとって、メリットはあってもデメリットはない。次郎の件もそうだが、それを許している丹後守(純顕)はいったいどんな人物なのか? 詳しくは知らないが、宗城は興味がわいてきた。
「あいわかった。隼人殿、喜市の大村行きの儀、許そうと思う。よしなに」
「はは。有り難き幸せにございます」
こうして功山は大村行きとなり、宗城は大村純顕と次郎、二人に対して手紙を送るのであった。
■精煉方
・ソルベイ法におけるアンモニアの取得方法について研究。自然廃棄物からか、石炭乾留ガスからの生成か。
次回 第110話 (仮)『電信機の実験』
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