第167話 『外海台場と長崎台場。プチャーチン艦隊と大村艦隊』

 嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日) 

「長官、長崎の湾内の砲台と、この半島沿岸の大砲は明らかに違います」

「うむ……青銅砲ではないな。あきらかに西洋式の鉄製大砲ではないか。……いったいどうした事だ。日本は旧式の青銅の大砲しか持っていないはずであるが……」

 嘉永六年五月十九日(1853年6月25日)にペリーが浦賀に来航して、その約二ヶ月後に長崎に来航したロシアのプチャーチンは、長崎奉行に親書を手渡し、幕府から全権が到着するのを待っていた。

 しかし到着してからすでに一ヶ月が経っている。

 四隻で長崎沖に停泊していたプチャーチン艦隊であったが、あまりにも時間を持て余したので幕府に申し出をして、沿岸の探索を行っていたのだ。測量ではない。

 日本側としては、四隻もの・・外国船が沿岸を航行するのは民心が動揺するので避けたかったが、長期間滞在させているために、強制するのは得策ではないと判断した。

 それに長崎をはじめとしてその周辺は外国船の往来も多く、特にオランダとは自由貿易を結んでいたので数多くの船が出入りしていたのだ。
 
 さすがに大村藩領内の他の港に入港することははばかられたが、正直なところ外国船(オランダ船)自体は珍しい物ではなくなっていた。




 どおーん。どおーん。どおーん。

 突然砲声が響き渡り、13発鳴った後で止んだ。次郎の指示によって江頭官太夫が命じたものであったが、プチャーチン一行はペリーと同じように混乱に陥った。

 長崎の台場は大村藩はもちろん、佐賀藩や福岡藩などと持ち回りで警備が行われていたが、幕府の許可が下りなかったことで、砲台は拡充されていなかった。

 佐賀藩独自で考えていた直正であったが、大村藩の技術のすごさを目の当たりにして取りやめていたのだ。もちろん、大村藩で台場の拡張や改良が出来ないわけではなかったが、次郎は敢えてしなかった。

 やる気の無い(金のない)幕府の代わりに大村藩の身銭を切りたくはなかったのだ。このあたりが直正と純顕(次郎)との考え方の違いだろうか。

 その純顕も以前、次郎の進言で長崎の台場の拡充を上書しているが、直正同様却下されていた。




「こ、これは礼砲でございましょうか」

「うむ、しかしこれは……」

 長崎から離れた外海エリア(西彼杵半島西岸)であったから、長崎にいた幕府の役人にも聞こえてはおらず、伝えもしていない。領民には事前に通達をして驚かないようにしていたのだ。

 沿岸の砲台から発せられた礼砲に驚いたプチャーチン一行は、一瞬戦闘態勢をとるも、すぐにそれはないと判断して解いた。

「艦橋-見張り! 船影あり。数四、近づいてくる」

「何だと! ? 了解、詳しく知らせ!」

 見張りに艦長を通じて命令を出したプチャーチンは、双眼鏡を手に取って近づいてくる艦隊を観察し始めた。
 
「長官、あれは……軍艦の様です」
 
「何だと? そんな馬鹿な。日本に近代的な艦隊があるとは聞いていないぞ」
 
 プチャーチンは驚きを隠せなかった。近づいてくる艦隊は、明らかに西洋式の軍艦四隻である。艦首から艦尾まで洗練された姿は、これまで日本が保持していると思われていた和船とは全く異なるものだった。

 プチャーチンは日本に来航する前に、小笠原の父島で二隻と合流して四隻となって長崎へ向かっていた。小笠原へ向かったのはペリーと同様である。

 その前に香港を経由しているが、ペリーの来航時の顚末てんまつなどの情報は得ていない。アメリカ側が箝口かんこう令を敷いていたのかは不明だが、この時点ではロシアは日本(大村藩)の軍備の全容は知らなかったのだ。

「蒸気軍艦です!」

「何い! そんな馬鹿な……」

 驚くのも無理はない。自艦隊は全て帆船なのだ。汽帆船が主流になりつつあったが、今回の艦隊にはない。

「マストに旗が揚がっています! 詳細不明! 花のような模様、さらに横三角の旗に紅白の縦縞たてじま、それから四角形の黄色と青(K)の信号旗です!」

 旗艦パルラダ号の艦橋は騒然となる。予期しない事態に再び戦闘態勢が敷かれたのだ。

「なんだ……あれは? 長官、何かの、これは英国が推奨している、あの国際信号旗でしょうか?」

「わからぬ、ただ、なにかしらの意味はあるはずだ」

 現在知られている国際信号旗は1857年に制定されたものである。その中で、軍艦が民間艦艇に信号旗を用いる際は、一番上に回答旗を掲げ、その下に目的の旗を掲げるというものだ。

 次郎達の艦は一番上に大村の旗を掲げていたものの、『貴船と通信をしたい』という意思表示をしたのだ。通じるかどうかわからないが、まずは敵対の意思がない事を伝えたのである。

 礼砲を撃ってはいたが、念のためだろう。

「ならば、通信希望……という事か……しかしあれは、日本の、幕府の艦なのか?」

 プチャーチンの混乱は深まるばかりだった。

 日本にこのような近代的な艦隊があるはずがない。
 
 さらに国際信号旗など(まだ制定されていないが、便宜上そう記述)知るはずもないのだ。しかし、現実に目の前に蒸気軍艦が現れ、通信を希望(していると思う)しているのだ。

「副官、我々も応答の準備をせよ。こちらも平和的な意図を示す必要がある」

 プチャーチンは冷静さを取り戻そうと努めた。ペリーとは違いロシアは平和的に、友好的に通商を求めるスタンスであった。

「了解しました。国際信号旗を準備します」

 艦橋では慌ただしい動きが始まり、回答旗を半揚(旗を視認した)し、その後全揚(解読した)した。

「長官、接近してくる艦隊の詳細が見えてきました。主力艦が1隻、約400トン級。中型艦が2隻、それぞれ360トン級ほど。そして小型艦が1隻、70トン級です」

 報告を聞いて冷静さを保つ努力をした。

 落ち着け、蒸気軍艦とはいえ、武装はこちらが遙かに上なのだ。それに平和的に交渉をしようとしているのに、国際信号旗を用いる船が『通信希望』と称して攻撃してくるはずはない。




 洋上での大露(大村藩とロシア)の艦隊のランデブーである。




 次回 第168話 (仮)『洋上での対プチャーチン。交渉せずとも進言す』

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