第212話 『築地海軍操練所と金属薬莢、そして輸血と血液保存 』

 安政四年三月一八日(1857/4/12) 

 長崎に幕府の海軍伝習所が出来たのは、2年前の嘉永から安政に改元された1855年の8月の事である。

 ただし、長崎が遠隔地ということと、日本人の人材が育ってきたこともあり、講武所内の組織の1つとして正式に海軍操練所が築地に創設された。

 当面は長崎に観光丸をおき座学中心となるが、今年中にヤーパン号(咸臨丸)、来年にはエド号(朝陽丸)の回航を控えており、順次拡大していく予定である。




「して、逃げおおせておるのだな?」

「は、万事つつがなく。殿はおろか、我が家中の名が出ることは万に一つもございませぬ」

「ふむ。まあ良い。出たところで証拠などないのだ。この後に及んで未だ攘夷じょういを叫ぶ水戸の輩と、彼奴らを恨む商人をきつければと考えていたのだが、些かやりすぎではあったが……まあ、よいであろう。交渉にしろ開国にしろ、この日本の行く末を決める舵取りは、公儀でなければならぬのだ」

「はは」




 ■大村

「次郎殿、だいぶお加減は良くなったようですね。なによりです」

「有難うございます」

 8年前の嘉永元年十月に来日し、大村藩海軍の礎を築いたヘルハルト・ペルス・ライケンである。スパルタで有名であった彼であるが、そのおかげで優秀な海軍軍人が育成できたのは事実であった。

「ライケン殿、早い者でもう8年にもなりますね。おかげでわが海軍も、最低限とはいえ海軍の体を成すようになりました。……ところで、長崎のカッテンディーケ殿はいかがですか? ファビウス殿の後任として長崎の伝習所で幕臣に教えているようですが」

 次郎の質問にライケンは答える。

「彼は優秀な男ですから、必ずや立派な海軍を作ってくれる事でしょう。惜しむらくは、長崎の伝習所が幕臣のみにしか門戸を開いていないという点です。人材は広く集めなければ、真の強さは生まれません」

 ライケンの言葉に次郎は深くうなずいた。
 
 確かに人材の登用に制限を設けることは、国の発展を妨げかねない。いずれは全国から志願者を募る事にはなるだろうが、今は時期尚早という考えなのだろう。

 それとも……幕府としての威信を保つためなのだろうか。

 次郎は窓の外に広がる海を見ながら、思索にふける。
 
「おっしゃる通りですね。幕臣のみならず、各家中からも優秀な人材を集めるべきでしょう。然れど、なかなか難しいのでしょう」
 
 経済的な理由、政治的な理由、様々なしがらみが重なっての現在である。幕府の海軍については、次郎が何かをできるものではないし、する必要もない。

 大村藩の陸海軍を強化するだけだ。




 ■精れん方 小銃製造方

「おめでとうございます、父上!」

「おめでとうございます! 先生!」

 いつの間にか田中久重(からくり儀右衛門)は研究者や弟子の間では先生と呼ばれるようになっていたが、この頃には娘の婿養子でもある弥三郎(重儀)とともに研究にいそしんでいた。

「弥三郎よ、ここでは父上ではなく先生と呼ぶように言ったはずだ」

「申し訳ありません、先生。然れど此度こたびの発明は、御家老様もお慶びになる事は間違いありませぬ」

「まだじゃ! まだ足りぬ! 確かにこれは今までにない、相当なる新しき小銃であり、薬莢やっきょう、そうわしは名付けたのだが、新しきものだ。然れど、多くの問題もある」

 久重はそう言ってテーブルの上にある試作品の薬莢と小銃を手に取った。
 
 久重は薬莢を指で軽くはじき、その独特な形状を改めて確認する。側面に突き出た小さなピンが、まるでカニの目のように見える。
 
「弥三郎よ、我らが作りしこの薬莢と小銃の組み合わせは、確かに戦を変えるやもしれぬ。然れどまだ改め、良くするための余地があるのだ」
 
 弥三郎は頷きながら、薬莢を手に取った。彼もまたこの開発に深く関わってきた一人だ。
 
「はい、先生。特に安全の面で、この針の露出が最も大きな問題にございます」 
 
「そうだ。不意の衝撃による暴発の危うさを、何としても解決せねばならん」

 久重は満足げに微笑み、小銃を手に取った。研究室内に、二人の真剣な表情が漂う。長年の共同研究で培われた信頼関係が、空気を引き締めていた。

「針を如何いかにして護るかを考えるか、あるいは如何にして発火させるかという、仕組みそのものを見直すことが考えられます。如何いかがいたしましょうか」
 
 久重は静かに小銃を置き、机に向かった。アイデアを記した大きな帳面を広げ、サラサラとなにやら色々な物を書き始める。
 
「両方を考えてみよう。お前は針を如何にして護るかを、わしは発火の仕組みの見直しを考えるとしよう。加えて装填そうてんの速さも考えに入れねばならん」
 
 二人は互いに頷き、さっそく作業に取り掛かった。




 ■医療方

「一之進先生、何をなさっておいでなのですか」

 助手であり五教館開明大学の医学部生徒である長与俊之助は一之進に質問している。

 ここに来たばかりの頃は、利発だが歳相応の子供と同じで走り回っていたことが懐かしい。四歳にして父親を亡くし、一昨年には父親代わりだった祖父の俊達が亡くなっている。

 そのため同世代の学生と比べて、ひと味違った大人びた印象を周りには与えるのだ。

 五教館や開明塾から大学へ入ったのではなく、一之進の門下生として育ち、優秀な成績で大学へ入学している。

 一之進は俊之助の質問に微笑みながら答える。

「俊之助、輸血というのは話した事があるし、学校でも習うだろう。その技術は徐々に進歩しているのだ。今から約40年前にジェームズ・ブランデルが人間同士の輸血を初めて成功させたのが始まりだ。それ以来、輸血技術は改良されてきたが、課題はまだ多い」

 一之進はテーブルにあるブランデルの論文を指さした。

 俊之助は一之進の薦めで論文は読んだことがあったが、さらに質問を重ねる。

「輸血ができるなら、血液をどこから手に入れるのでしょうか? それが必要な時に確保できなければ、技術があっても意味がありませんよね」

 一之進は大きくうなずいて、右手の指でピストルのような形を作って俊之助を指す。

「その通りだ。輸血に使う血液を確保するには、献血が不可欠だ。献血とは、健康な人が自らの血液を提供することで、緊急時に必要な血液を備蓄できる。この仕組みが整えば、手術や事故、さらには戦場で負傷した者たちの命を救うことができる」

「では、我らも然様さような献血制度を整え、輸血に備えるべきですね」 

 俊之助は真剣な表情でその話を聞きながら提案した。

「うむ。然れど血液を保存するにはいくつかの問題がある。たとえば、血液が凝固するのを防ぐために、クエン酸ナトリウムという物質を使うことができる。これを血液に加えることで、凝固を防ぎ、安全に保存することが可能になる。クエン酸ナトリウムは抗凝固剤として有効であり、この技術があれば、血液を21日間保存できる」

「クエン酸……ナトリウム……。クエン酸とはミカンなどの柑橘かんきつ類や、梅干しなどに含まれる酸味成分ですね。ナトリウムは塩……ですが、これは化合物ですか?」

「そうだ」

 一之進は短く答えた。

「原理はわかっているが、これを工業的に作るには時間がかかる。今、信之介と合同で研究しているところだ」

 次郎左衛門に信之介、一之進とお里。転生者が4人いたとしても、研究・開発・発明すべきものは多岐にわたっている。そのため20年を経た今でも、当然だが未完成のものも多々あるのだ。

「先生! ぜひお手伝いさせてください」

「うん。よろしく頼む」




 悲劇があった後ではあるが、3人とも一命を取り留め回復に向かっている。大村の地では、さらなる技術の進歩があったのだ。




 次回 第213話 (仮)『阿部正弘没。京都の病院設立とハリスの江戸参府希望』

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