第613話 もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし(1574/10/25)

 天正三年十月十一日(1574/10/25) 茂木城

『もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし』

 そういう空気が一瞬にして漂ったのだろう。
 
 和睦の成立・不成立に関係なく、和議は進行することとなった。

「まず、和議を行う上での最も重し題目は互に打ち合わぬ事、これにつきまする。各々方、約を違える事のなきよう、よろしいか?」

 戦闘行為を行わない。

 これは停戦し、終戦に向かうための最低限の条件である。
 
 現在でも停戦中の戦闘行為は認められない。戦国時代においても同様で、名誉を重んじる武家が約束を破るなど、あってはならない事である。

「「「異議なし」」」

 全員が納得した上で議題が発議された。
 
 勝行は名代として交渉の席についてはいるものの、本来は交渉事は苦手である。純正もそれを分かった上で任せたのだ。

 傍らには外務副大臣の伊集院忠棟が控えている。

「ではまず、陸奥守(北条氏照)殿から。和睦の題目について、なにかござろうか」

 勝行の問いに氏照が答える。

「われらからの題目(条件)はござらぬ。相手方の題目がめるか呑めないかにござる」

「さようか。では下野守(宇都宮広綱)殿、常陸介(佐竹義重)殿、佐馬頭(里見義弘)殿、なにかござろうか」

 広綱と義重は考えていたが、義弘は即答した。勝行と話し合っていた事もあり、はっきりと条件を述べる。

「それがしからの題目は上総の安堵あんど。加えてこれまで降したる下総の所領にござる」

 義弘の条件は、今回の戦いで北条から奪った領地の全てであった。

 この義弘の要求に驚いたのは、反北条で同盟を結んでいる宇都宮広綱と佐竹義重である。

 北条から攻め取った領地がそのまま里見のものになるのなら、自分たちが奪われた領地も戻るのでは? という淡い期待があったのだ。
 
 なにしろ、ほとんど勅命に近い和議である。
 
 開戦前の状態とまではいかないだろうが、と二人が都合良く考えるのも無理はなかった。しかし、里見と宇都宮・佐竹両家とは決定的な違いがあったのだ。
 
 里見は北条の領地へ攻め込んでいるが、宇都宮と佐竹は北条に攻め込まれている、という点である。

 さらに佐竹は攻撃を受けているのは北条からのみだが、宇都宮は蘆名と那須にも攻められているという状態であった。
 
 条件はどうあれ、この和議の成立を願っていたのは間違いなく広綱であろう。宇都宮広綱は、北条の他にも蘆名と那須の両家と交渉する必要があったのだ。
 
 北条にしてみれば里見も宇都宮も佐竹も同じ敵である。
 
 もし下野と常陸の領地を返せと言うなら、里見が奪った下総と上総の領地を返せと言うのが道理である。
 
 北条が圧倒的に有利だという事実は変わらない。

 攻め取られた領地はそのままで、攻め取った領地は返す。そんな馬鹿馬鹿しい条件など呑めるはずもないのだ。

 

「上総に下総にござるか……」

 氏照は考えている。いや、考えているそぶりだけなのかもしれない。

「……あいわかった。上総に関しては佐馬頭(義弘)殿の題目を呑みましょう。下総も……そうですな。よろしいかと」

 感情を表さないようにしていた義弘であったが、明らかに喜びの気持ちが表れているのがわかる。それとは対照的に、蘆名盛興と那須資胤すけたねは複雑な表情だ。

「……」

 それもそのはず。蘆名と那須が奪ったのは北条の領地ではなく、宇都宮の領地なのだ。交渉をするべきは宇都宮である。
 
 その北条が里見に対して領地の返還を求めていない。

 北条が明らかに譲歩しているのに、われらが譲歩せずにこの和議はまとまるのだろうか? という懸念である。
 
 しかし蘆名も那須も、宇都宮相手には優位に戦をすすめていた。この和議に意味はあるのか? とも考えていたのだ。

 氏照の答えをどう捉えるか? 二人とも考えは同じようで、顔を見合わせた。

「ただし下総は、わが北条の蔵入地は国府台の城を含めてわずかしかござらぬ。残りは千葉氏をはじめとした国人衆の所領となるゆえ、その者らの考えに添う形になるが、それでもよろしいのか」

「……構いませぬ」

 以前武田家が徳川家に示した条件と同じである。賠償金がないだけで、あとは国人の自由意志にまかせるというものだ。

 義弘は全軍を二隊に分け、第一隊は椎津城攻略の後に北上して、千葉氏の生実おゆみ城の攻略を目指した。第二隊は上総における反里見の最南端勢力である、土岐家の万喜まんぎ城の攻略を目指したのだ。

 その後は上総の北条方の城である椎津城を陥落させ、頑強に抵抗する山室・井田・東金酒井・土岐家を滅ぼした。
 
 下総にいたっては北条が勢力を伸ばす前の盟主であった千葉家を討つべく、各国人衆に調略をかけ続けていたのだ。

 千葉氏以外の国人を攻めるべく、房総半島の東側から北上した里見軍の一隊は、その勢いをかって下総に侵攻した。

 北条氏政は上総や千葉氏をはじめとした下総の国人衆に後詰を送ったが、ほぼ全軍に近い兵を北上させていたため、派遣できたのはわずかに2,000名程度であった。

 それでも大須賀・国分・粟飯原・鏑木・海上氏など、森山衆と呼ばれる千葉一族や重臣などからなる勢力は、各地を分散支配していたため頑強に抵抗し、里見氏に屈する事はなかった。

 しかし里見氏に屈した国人もいたことは確かである。

 義弘は、その服属した国人衆の事を言ったのだ。
 
 全域の支配など考えてはいなかった。そもそも北条が下総に勢力を伸ばしてくる前は、千葉氏は下総の国守を自負していたのだ。

 結束は固い。

 実は千葉氏の結束と、誇りの高さを物語る事が史実でもあった。

 越相同盟が成立した後、謙信が北条・里見の両氏を仲介して、里見氏に上総・下総・安房の3国の領有を認める事で和睦させようとしたのだ。

 しかし義弘は、北条氏との戦いは半世紀にも及んでいて今さら妥協はできないこと、下総国主を自負している名門千葉氏が、問題もなく里見氏に降る訳がないとして拒否した。

 その後は佐竹義重を誘って反北条勢力の拡大を画策し、さらにその状況に便乗してきたのが武田信玄の提唱する甲房同盟である。

 

「掃部助殿(伊集院忠棟)、どう思う?」

「いささか……臭いますな」

「お主もそう思うか」

「はい。氏政め、何か企んでいるようにしか思えませぬ」

「うむ……」

 1日目の会談を終わって別室で話し合う勝行と忠棟であった。

 

 次回 第614話 条件を出せる立場と出せない立場

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