第7話 『果たして幕末に石けんは売れるのか? 儲かるなら作るしかない』(1837/1/9)

 天保七年 十二月三日(1837/1/9) 暮れ六つ(1717) 雪浦村 冨永館

 なんだこれ? どういう状況?

 ここは雪浦村、雪浦川の河口近くの開けた集落にある、城代冨永|鷲之助《わしのすけ》の館である。

 家督を継いでからの鷲之助は玖島城(大村城)下に住んでいるので、ここは実質、留守居役の屋敷となっているのだ。

 その留守居役の前に俺と信之介が座り、留守居役の正面には例の男が平伏している。女は助かって別室で休んでいる。

「しかし、困りましたな、次郎殿」

 好好爺のごとくニコニコと笑う留守居役とは、面識があるどころではない。家督を継いで城下へ行くまでは、鷲之助さんとは兄弟のような付き合いをしてきたのだ。

 この辺、俺の前・現世の記憶が混じってややこしくなる。

「申し明けありませぬ。騒ぎを起こすつもりはなかったのですが、なにぶん人の命が掛かっておりました故」

 騒ぎを聞きつけた村役人がやってきて、実はその村役人とも面識があったのだが(次郎が)、役人では判断がつかずに館に連れてこられたという具合なのだ。

 

 ■一刻半(3時間)前 雪浦川河口
 
「何をやっている! どくんだ! 死ぬぞ!」 

 一人の男が人混みから抜け出し、俺たち二人をどかせ、救命措置を執り始めた。どこからか持ってきたのか、女性は戸板の上に寝かせられていた。

 段取りよく進められる行動に、俺たち二人はあっけにとられたが、男は女性の救命にしか眼中になく、周りの目は全く気にしない。

 胸元を躊躇なく開いてはマッサージを行い、人工呼吸を行う。

 そのたびに周りからは『まあ!』『はしたない!』『生娘に何をしているのだ!』などど、予想通りのヤジが飛んでいる。

「ごほっ……がはっ……」

 意識が戻った。すると今までのヤジが嘘のように歓声に変わる。

「ふう、何とか助かったか。よかった……」

 男はその場に腰をついて、はあはあと呼吸を整えている。するとそこに人混みを抑え、後ろで控えていた助三郎と角兵衛、そして十兵衛がやってきた。

「無礼者! 貴様は何をしている。このお方をどなたと心得る! このお方は……」

「ああ、いいいい。せんでいい。俺も信之介も無事だ。むしろ助けられた」

 あのままだったら女を見殺しにしてたかもしれないし、心マに人工呼吸も成功したかわからない。不幸中の幸いだったのだ。

「さて、お主は……」

 人工呼吸も心臓マッサージも、この時代の人間が知っているはずがない。間違いない、同じ転生者だ。

「あー! !」

 なんだ? どうした? 信之介が素っ頓狂な声をあげた。

「お前、カズやっか! (カズじゃねえか!)」

 ん? 今の信之介はどっちモードなんだ? もし今モードなら、自分の所領でもない農民の顔と名前など知っているはずもない。

 と、いう事は夢モードか。

 カズ、誰だ? 俺は知らない。

 

 ■冨永屋敷

「幸い、命に別状はないようです。然れど次郎殿ももう童ではないのです。元服してどれほど経ちますか。たびたびあっては庇いきれませぬぞ。この件は殿(冨永鷲之助)にも知らせておきますので、御自重をなさいませ」

 冬の一月である。たき火と綿入れ(どてら?)でなんとか一命をとりとめた。助けるのがあと少し遅ければ、女は間違いなく死んでいたはずだ。

「かたじけない」

 そういって留守居役は部屋を出て行き、部屋には三人だけとなった。

「おい、カズ! カズやろ?」

「……し、信ちゃんか?」

 茶色の作務衣を着たその男は、ようやく信之介と言葉を交わした。ぱっと見はこの時代の人間だ。作務衣だからな。しかし、履いているのがスリッパである。

 わらじはあっても、スリッパなどではない。しかも、健康サンダルだ。そして腕には時計。

 信之介は背が高く、180cmほどだったが、俺は173cmだ。そしてその男も俺と大して背格好はかわらない。この時代にしては三人ともでかいのだ。

 あり得ない事が色々起きてはいるが、この状況から導き出される答えはひとつ。この男、転生ではなく、タイムスリップだ。

 作務衣の下にタウンアンドカントリーのTシャツ。

 間違いない。

 

 ■天保七年 翌日の十二月四日(1837/1/10) 太田和村 館

「して次郎。信之介はわかるが、その横の男と、娘はなんだ?」

 親父(佐兵衞)とじいさん(一進斎)の前で、説明しなくてはならない羽目になった。

 タイムスリップしたらしき信之介の友達と、放置することもできない女子をつれて帰ったからだ。

「父上、お爺さま、これはお役目なのです。藩主様からいただいたお役目をなすために、大事な者どもなのです」

 苦しい……かもしれないが、その男がタイムスリップしたのなら、現代知識は多いに越したことはない。……女は、なぜか他人のような気がしない。

 なぜだ?

「うむ、そうか。二人の食い扶持ならなんとかなるが、その……静にはお主からしかと伝えておくのだぞ。ただでさえ、やや子が生まれたばかりなのじゃ。やさしくしてやらねば。父上、それでよろしいか」

 親父はじいさんに確認する。

 家督は親父が継いでいたが、まだまだじいさんの権限は大きい。そのじいさんは、俺に優しいのだ。藩主様からの命といっても、細かく話すことはできない。

 壁に耳あり障子に目あり、なのだ。上層部のスパイがいるかもしれない。

「次郎が言う事であれば、嘘偽りはあるまい。そうであろう、次郎」

「その通りです。神明に誓って、嘘偽りではございませぬ」

「で、あればよい。佐兵衞、そういう事じゃ」

 

 ■居室
 
「さて、いろいろと、いろいろとあった。あらかた聞いたところで、始めようか」

 信之介がカズ、と呼んでいたのは尾上一之という大学時代の同級生らしい。大学に行っていない俺は当然知らない。

 しかし、生年月日を聞くと、同い年のようだ。

 やはりタイムスリップしたようなのだが、俺と同じ令和ではなく、2000年の平成からだ。

「俺たちが何をやろうとしているのかは、話した通りだ。信じられんだろうが、今は幕末。そこで俺たちは、大村藩を佐賀藩以上に大きく豊かに、そして強くするよう仰せつかった」

 一之進(尾上一之の幕末名・ここで命名した)は最初、理解に苦しんでいたようだが、信之介と同じく理系らしい。

 数値では説明できない事象だが、今が幕末とするなら、納得のいく出来事ばかりである。

 現実だという事象はあるが、夢や幻だと立証できるものがない。

「信之介と話したんだが、まずは石けんを作って売ろうと思う。原価計算と売価はあとから考えるとして、石けん、灰ならなんでもいいのか? 信之介。そこらじゅうにあるからタダのようなものだが」

「厳密に言えば、なんでもいいという事ではない。石けんの原料は油脂と水酸化ナトリウムだが、水に溶けるとアルカリ性を示す。そのため灰はアルカリ性なので灰に油脂をまぜると石けんができあがるという事象となり、しかしその成分配合は……」

「ああ、うんわかった。何でもやってみんとわからんね。とりあえず灰はかまどからもってくるとして、油は一番安い鰯油でやってみるか? 性能があまり変わらないなら、安いにこした事はない」

 今、流通? している石けんの原料が菜種油や高級な油を使っているなら、安い(値段を調べないとわからないが)油なら市場を作れるはずだ。

 

 次回 第8話 『石けんで五万石分利益がでるか? 原価と販売経路そのた諸々』(1837/1/11)

 

 

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