戦国に転生した歴史オタクが縦横無尽に駆け巡る、無双もなくチートもないが、一心不乱に生きぬくストーリー。

北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第639話 『景轍玄蘇、ヌエバ・エスパーニャ副王領、フィリピン総督フランシスコ・デ・サンデ・ピコンと相対す』(1578/4/8)

天正七年三月二日(1578/4/8) ビサヤ諸島 セブ島 「何? KOZASAの使者が来ていると? KOZASAというのは、あのKOZASAなのか?」  フィリピン総督のピコンは、伝令に対して聞き直した。 「はい。間違いありません。出で立ち...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第638話 『調略、そして調略』(1578/3/2)

天正七年一月十四日(1578/3/2) 呂宋国 カラバルソン地方  当たり前だが、小佐々家はスペインとの国交はない。  それでも以前から現地住民とは交易してきた。緩衝地帯ではないが、情報収取を含めて常日ごろからコンタクトをとっておくことで、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第637話 『通商破壊か、要塞各個撃破か、サン・ペドロ要塞壊滅か』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) マニラ 小佐々軍駐屯地  「……さて、こたびの作戦目標であるが、皆も知ってのとおり、明とイスパニアの同盟が明確になった以上、機先を制してこのアジアからイスパニア勢力を駆逐する事にある」  海図を前に、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎 「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」  木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。 「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですか...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第635話 『織田海軍と第四艦隊、信忠と澄隆の乗艦』(1577/11/24)

天正六年十月十五日(1577/11/24) 伊勢国大湊 「おい、あれが小佐々の船かよ……」 「あの大砲の数はなんだ。織田の倍はあるじゃないか」 「何隻だ? 何隻いるんだ?」 「十隻はいるぞ。何日留まるのだ? 酒屋に旅籠が繁盛するぞ!」  佐...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城 「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」 「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第633話 『開戦か交渉か』主戦論と非戦論(1577/8/17)

天正六年閏うるう七月二十六日(1577/8/17) 諫早城 <純正>「さて、織田がどう出てくるかわからぬが、出てくれば前線に、出てこなくても北条の備えは第四ないし第五の一個艦隊で当たれば問題なかろう。陸路で来ることは考えられぬ」  陸路には...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第632話 『開戦か交渉か』織田と同盟国と北条と(1577/8/16)

天正六年|閏《うるう》七月二十五日(1577/8/16) 諫早城 <純正>  転生して15年。ようやくなんとか平和になってきたと思ったのに、上杉に北条、そしてまたスペインって。なんでみんな、戦争しに出るかなあ。  攻められないようにするため...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城 「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」  会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様  秘メ 明国 張居正 ト イスパニア ...
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第630話 『蒸気機関の課題はわかった。次は雷管だ』(1577/6/7) 

天正六年五月二十一日(1577/6/7) 諫早城 <純正> 「では蒸気機関は、高炉ともうひとつの炉の動力源として使うように」  俺は忠右衛門と政秀にそう命じた。 「松庵、鉄には硬い鉄と柔らかい鉄、硬いが脆い鉄など、様々な種類があるのではない...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第629話 『雷管と蒸気機関、なんとか7年、いや5年でできないか?』(1577/6/7)

天正六年五月二十一日(1577/6/7) 諫早城 <純正> 「雷か……発火剤と蒸気機関、なんとか七年いや、五年でできないか?」  俺は一貫斎と忠右衛門、そして政秀と宇田川松庵を呼んで聞いた。一貫斎は兵器関連で、大砲の規格化を成功させていて、...
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第628話 『明とスペインの共同戦略。小佐々戦、開戦までのリミット』(1577/2/21)

天正六年二月四日(1577/2/21) マカオ(澳門) 「首輔様、イスパニアの使者がお目通りを願っております」 「うむ」  紫禁城にて張居正と面会し、万暦帝との謁見を済ませたフィリピン総督の使者は、定期的に明を訪れていた。今回はマカオに視察...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城 「そうか。織田からはそのような要望が」  純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。 「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」 「まずないでしょう」  そういうの...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第626話 『北緯42度条約と日ノ本大同盟会議』(1576/9/26) 

天正五年九月一日(1576/9/26) 小佐々海軍 探険艦隊 旗艦艦上 「小佐々家北方探検艦隊司令官、伊能三郎右衛門にござる」 「同じく副将、間宮清右衛門にございます」 「北条水軍大将、梶原備前守にござる」 「同じく、副将の清水太郎左衛門に...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第625話 『北緯41度53分38秒東経143度15分45秒にて北条海軍と北方探検艦隊の邂逅』(1576/9/26)

天正五年九月一日(1576/9/26)  3年前の天正二年二月に樺太島を発見した第2回北方探険隊は、北海道北端から沿岸を南下、東進して歯舞群島、色丹・国後・択捉へと北上した。  その後さらに千島列島を北上し、カムチャッカを発見したのだが、当...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第91話 後藤惟明の苦渋の決断

永禄七年 六月 武雄城 後藤惟明  父上が殺され、兄上も弟も幽閉されている。今の武雄後藤に、俺の居場所はない。養子の意味がないのだ。  ただでさえ疎んじられてきた。実子も問題なく成長している。このままではいずれ廃されるか、もしくは……。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9) 永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。 その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 

天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城 寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。 小佐々甚吾純吉である。 本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17)

天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城  6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。  また彼らは、織田領内では小学・中学・高校とい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第621話 『珈琲豆の収穫とオーストラリアの発見』(1575/6/10) 

天正四年五月二日(1575/6/10) 3年前の天正元年正月に出港した南方探険艦隊が、帰港した。 前回の航海ではバンテン(バタヴィア)・小スンダ列島・ティモール・パプアニューギニアまで航海したのだが、今回はさらに南方、東方へと向かったようだ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第620話 『朝鮮貿易拡大と女真族への援助』(1575/4/21)

天正四年三月十一日(1575/4/21)   対馬の宗氏を介した李氏朝鮮との貿易も、ここにきて様子が変わってきていた。ずいぶん前に対馬の宗氏と五島の宇久氏は純正に服属し、その交易権を委譲していたのだ。  当初より純正は積極的に明を除く諸外国...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第619話 琉球王国、日本(小佐々)に冊封? 明西同盟成立と揺れ動く極東情勢(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城 景轍てつ玄蘇は明・朝鮮・琉球・東南アジア・ポルトガル・スペイン他欧州など国外の渉外を管轄している責任者である。 「玄蘇よ、その琉球がいかがした?」 「は。いよいよもって琉球の明離れが著しく、明...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第618話 対イスパニア戦、再び?(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城 『フィリピン全土占領の大儀とそれに付随する戦略会議』が純正の主導で開催された。  開催というより議題に上った案件で、最重要課題の一つだったために、特別に時間を割いたのだ。 「フィリピン全土を占...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第617話 対イスパニア戦略(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城 「さてみんな、国内においてはおおよそ平和になった。奥州では大道寺家が同盟に加わり、北条の動きも抑えた。他の大名は参加の答えは来ていないが、敵対もせぬであろう。佐竹と宇都宮は知っての通りだ」  ...
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第616話 電気のその後のライデン瓶とジエチルエーテルの冷凍庫?(1575/1/30)

天正三年十二月十九日(1575/1/30) 諫早城 『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門藤政』 天正元年(1572)六月一日に発表された論文なのだが、これは今まで忠右衛...
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第615話 関東騒乱終結。北条の勢力拡大と、宇都宮と佐竹の弱体化(1574/10/27)

天正三年十月十三日(1574/10/27) 交渉3日目 茂木城 「陸奥守殿、そう譲れぬ譲れぬの一点張りでは、決まるものも決まりませぬ。ここは関東の雄、大国としての徳と民への慈愛をもって、為すべき事を為すほうが良いかと存ずるが、いかに」 (…...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第614話 条件を出せる立場と出せない立場(1574/10/26)

天正三年十月十二日(1574/10/26) 交渉2日目 茂木城  北条氏と里見氏の間の和睦は、北条氏が里見氏に対して安房・上総・下総(千葉氏の佐倉城以東)の領有を認める事で成立した。もっとも下総に関しては書面上だけの事である。  それは氏政...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第613話 もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25) 茂木城 『もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし』  そういう空気が一瞬にして漂ったのだろう。    和睦の成立・不成立に関係なく、和議は進行することとなった。 「まず、和議を行う上での最も...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第612話 難航、講和会議(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25)  北条勢は常陸方面軍と下野方面軍とに分かれ、同時に北上していた。  佐竹と宇都宮は同盟を結んでいたが、宇都宮は宿敵である那須家と北の蘆名、そして南の結城に包囲されており、連携がとれずに各個撃破され...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第611話 小田原評定ならぬ小田原決定(1574/9/29) 

天正三年九月十五日(1574/9/29) 小田原城 小田原城は、戦国時代最大級の全長9kmにおよぶ総構えが有名だが、この時にはまだ完成していない。 秀吉が行った天正十八年(1590)の小田原侵攻に備えるために構築されたのだ。 上杉謙信の小田...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第610話 駿河~伊豆大島~安房航路(1574/9/24)

天正三年九月十日(1574/9/24)    七月の里見義弘による発議のあと、後方支援を受けられると分かった里見軍は、下総の北条勢の城へ襲いかかった。  もともと下総は、千葉氏を中心として他の国人衆がまとまっていたのだが、そこに先代の里見義...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第609話 加賀と越中西部の自治について言問を行う(1574/9/17)

天正三年九月三日(1574/9/17)  5月に行われた合議において、越中の旧本願寺勢力の所領である礪波となみ郡については、当初畠山義慶よしのりの管轄下に置くのが良いのではないかとされたが、義慶は辞退した。  家臣からは要望があったようだが...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第608話 織田海軍と小佐々海軍(1574/9/16)

天正三年九月二日(1574/9/16)志摩国  小佐々海軍連合艦隊は、深沢勝行大将の指揮の下、航行訓練もかねて8月3日に佐世保湊を出港した。    六分儀を製作し、誤差の少ない時計を完成させたとしても、まだ完全な日本近海の海図はない。  し...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第607話 連合艦隊司令長官 深沢勝行(1574/8/18)

天正三年八月二日(1574/8/18)小佐々城 新たに編成された第四、第五艦隊の陣容は以下のとおりである。 ■第4艦隊(呉) 連合艦隊司令長官 深沢勝行大将 第4艦隊司令長官 佐々清左衛門加雲中将 第41戦列戦隊(41bd) 74門戦列艦 ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室  小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。  純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所 「皆様、よろしいでしょうか?」  発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。  大同盟合議所では、加盟している大名...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4)  そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。  結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されて...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21)  純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。    三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。  京都の独...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

天正三年四月二十一日(1574/5/11)  太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。  これは可、これは非という形の説明に終始したの...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第601話 本願寺、割れる? 大激論の末に

天正三年二月十三日(1574/3/6) 近江 比叡山延暦寺  越前の朝倉義景を滅ぼす前、元亀二年十一月に、信長は勅書に基づいて畿内の反織田勢力に和睦の条件を通達していた。  信長も各勢力が素直に応じるとは思ってはいなかったが、朝倉攻めのため...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第600話 戦争と平和(1574/2/17)

天正三年一月二十六日(1574/2/17) 摂津 石山本願寺 「なんと! そのような事できようはずがない」  本願寺顕如は七里頼周の報告を聞き、鼻で笑うかのように言い放った。 「されど従わねば、われらは小佐々の敵となりますぞ」 「わかってお...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第599話 加賀一向宗、騒乱の幕引き(1574/2/10)

天正三年一月十九日(1574/2/10) 加賀 「では三河守殿、どうあっても織田家との|諍《いさか》、弓を伏せて越前討ち入りを取りやめる気にはなりませぬか」  太田和利三郎政直はもう二刻(4時間)も話し込んでいる。それでも七里三河守|頼周《...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所 織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。 3年前の元...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて

天正二年九月十日(1573/10/5) 安芸日野山城 吉川元春居城 「殿、武田大膳大夫様が郎党、曽根九朗右衛門尉様がお見えにございます」 「うむ、通すが良い」  日野山城は中世山城でありながら、堀切や竪堀といった一般的な防御施設が見あたらな...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策

天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館  信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。 「はじめて御意を得ます。織田兵部卿...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村 「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」 「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあい...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第594話 一貫四百五十匁(約12ポンド)一貫斎砲と五馬力蒸気機関

天正二年五月二十三日(1573/6/22) 肥前 川の近く 某所  ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。  水車を動力とした大型切削機械が二つ並んでいる。  ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城  二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。  蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。  まずは大首長チパパタインの...
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第592話 一挺のフリントロック銃が欧州を変える

1573年4月3日 ネーデルランド  ダダン、ダダン、ダダンダダンダダン。ダダン、ダダン、ダダンダダンダダン。(スネアドラムの音)  ga vooruit(前へすすめ!)  一列目の横隊の兵は銃を両手で持ち、銃口を前に向けて進み、二列目以降...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第591話 北方探険艦隊の帰還と暗躍・北条氏政(1573/3/31)

天正二年二月十八日(1573/3/31) 肥前 諫早 「よう戻ってきたな三郎右衛門に清右衛門。大義であった」  北方探険艦隊司令の伊能三郎右衛門忠孝と副将の間宮清右衛門森蔵である。  2人は探検艦隊を率いて北海道を西岸から北上し、樺太を発見...