第8話 『オランダ村からホテルへ。……そして待望の夜!なのです』

 1984年(昭和59年)9月11日(火) 大安 AM9:10 <風間悠真>

 佐世保の万津港に到着したオレたちは、すぐにバスに乗り換えてオランダ村に向かう。担任の女教師がみんなを降ろすんだが、引率の先生は、教頭と教務主任、担任と副担任の4名だ。

 ……転生してからずっと思っていた事なんだが、この目線の高さはなんだ? オレは173.5cmで、同世代の男性平均より10cmほど高い。だから付き合ってきた女も、ヒールを履いてもオレより身長は低かった。

 なのに……なんだこれは? みんな目線が同じじゃないか! 

 しかも中にはオレより高い女もいる。

 今のオレの身長は145.5cmだ。前世でも中学の3年間に急激に伸びて173.5cmになって、ピタッと止まった。

 早く伸びろよオレの身長……と思いつつ、バスに向かう。

 バスは専用の小型バスだ。人数的にマイクロバス(20人前後)は小さすぎ、小型バス(50~60人)では大きかったのだが、移動時間というのは閉鎖空間なので、どうやら大は小を兼ねるで小型バスに決まったようだ。

 部活の遠征じゃないんだから、マイクロバスじゃなくて良かった。

 オランダ村までの道のりは約30~40分だ。




 修学旅行の班分けは、希望とジャンケンと先生の意向で決まったのだが、あってないような物だ。男女混合で分けても、最終的に男と女がくっきり分かれていたのを覚えている。

 先生達は別に席取りをするわけではないので、生徒に自由に座らせて、最後に空いた席に座るようだ。

 オレは、というとゆっくり過ごしたかったが、一番後ろの席の真ん中に座ったら、右が美咲で左が純美になった。まあフェリーでの事を考えれば、当然といえば当然だ。

 こういう、何と言うんだろうか……恋愛の噂や真実。

 誰と誰が付き合ってるとか、誰は誰が好きとか、友達に知られたら恥ずかしいとか、そういう感覚は男女で違うのだろう。そう思う。両思いだろうがなんだろうが、男も女も、その手の話には恥じらいがあったように記憶している。

 ところがこの2人にはそれがない。あるのかもしれないが、オレの記憶との乖離かいりが激しいのだ。白石凪咲なぎさはもともとの性格で、他人を気にしない部分はあったのかもしれない。

 でもこの2人は……。

 あの『むにゅ』事件と『ぺろん』事件が変えたのだろうか?

 私はあんた達(他の女)とは違うのよ、的な?

 いやいや、想像の域を出ない。

 51脳はそう分析しながら、尾崎豊の『15の夜』や『SEVENTEEN’S MAP』などの邦楽と、Bon Joviの『Runaway』といった洋楽を交ぜた自作のカセットテープを聴いている。

 チェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』が大流行し、中森明菜や松田聖子の時代だった。うーん、懐かしい。

「ねえ悠真! なに聴いてるの?」

 と右の美咲が言ってきた。

 オレはイヤホンを外して答える。

「ああ、尾崎豊とかBon Joviとか」

 美咲は目を丸くした。

「へえ! お兄ちゃんとか聴いてるの? かっこいい!」

「いや、オレは長男だよ」

 いかにオレにこれまで興味がなかったかがわかる一言だ。ちなみに美咲には妹が1人いて、純美には弟が1人いる。

「私も聴きたい!」

 左にいた純美はオレの左のイヤホンを奪う。

 おい……これどんな状況だよ。音楽聴けないじゃねえか。最新の懐メロ・・・・・・を聴いていたいオレはそう思うが、理性は往々にして感情には勝てない。

 右の美咲の『さわっさわっ』という触れて離れての胸の感触がオレの脳を麻痺まひさせ、左の『むにゅん』という純美の胸の感触が完全にショートさせる。

 極め付きは2人のシャンプーの香りで51脳の理性なんてどこいった? だ。




「……真」

「着……よ」

 鼻の下が伸びていたであろうオレの夢は覚め、オランダ村に到着した。

 美咲も純美も、そして凪咲さえもA~Cと完全に分かれていたにもかかわらず、Dのオレの班(班長ではないが)に入り込んできて、残りの女が駆逐されるという現象が起きている。

 オランダ村はオレと美咲と純美と凪咲、この4人で回ることになった。

 さすがに小学生の男とはいえ、この状況におかしいな? という疑問がわかない訳がない。

 しかしそれは、なんで悠真はあんなに女に囲まれてるんだ? しかもD班の女じゃねえじゃねえか! という感情ではない。内心はわからないが、表向きは、あいつらいつからあんなに仲良くなったんだ? である。

 オレが3人の女にモテている、という認識はないようだ。……まだ。

 レストランでランチをみんなで食べて、午後は午前と同じく自由時間。夕方に集合してホテルへ向かった。




 夕食は刺身にビール、そして日本酒と行きたいところだが、まだ9年先の話だ(実際は5年後に日本酒で酔っ払った前世だが)。

 現実は和洋折衷のバイキング形式だった。当時まだ珍しかったビュッフェ形式? で、男はみんな目を輝かせている。オレも負けじと皿に山盛りにした。

 51歳の胃袋はドカ喰いすることなく、腹八分目をキープしている。たまにはズレる事もあるが、基本はやらない。

 これはオレの記憶なんだが、小学生の頃は成長期というか、とにかく毎食腹一杯食べていたような気がするが、事実だと今わかった。

 そして部屋に入ってからはお決まりのコースだ。くだらない下ネタや、女子の噂話に花が咲く。




「隠すなって! お前美咲の事好きなんだろ?」

「いや、違う……オレは……」

 康介が秀樹に言うと、秀樹は反論する。

「あ! じゃあ純美か? あいつのおっぱいすげえからな。いっつもぷるんぷるんさせてさ!」

 正人は横で黙って聞いているが、康介は他の男にも話題を振りながら、馬鹿話を続けている。

 オレは適当に相づちを打ちながら、内心ではオレにもこんな時代があったんだな、と不思議な感覚でいたのだ。ただなんだか妙に腹がたつ。




 深夜0時くらいまでには、さすがに騒ぎすぎたのか、みんな寝静まってしまった。オレも同じく寝てしまったのだが、突然目が覚めた。大部屋の壁の時計を見ると、深夜の2時だ。

 トイレか? ただ目がさえて眠れないのか?

 良くわからないが、とりあえずトイレに行くことにした。夜中に目が覚めるなんて事は、けっこう歳をとってからの記憶しかない。いったいどうした?

 どちらにしても、このまま部屋に戻る気にはなれない。

 ロビーに降りてみると、静寂に包まれた空間が広がっている。夜勤のフロントスタッフが1人、カウンターで眠そうにしている。自販機のネオンが、無人の空間を妙に照らしている。

 喉が渇いたな、と思い自販機に近づく。

 コーラか、それともオレンジジュースか。いやいや迷わず缶ビールだろう。幸いにもフロントのスタッフは気にしていないようだ。それに自販機は死角になってフロントからは見えない。

 夕食の時には無理だったが、こんな深夜なら大丈夫だろう。先生の巡回も0時に終わっている。見ると、缶ビールの銘柄にバドワイザーがあった!

 うわっ懐かしっ! と叫びそうになったのをこらえた。高校生の頃、バンドの影響でアメリカナイズ(のつもり)でマックとバドワイザーと洋酒で飲み遊ぶ(?)のがはやったのだ(あくまで仲間内)。

 つまみも一緒に売ってあった。うん、1,000円でお釣りがくるぞ。

 自販機で買ったバドワイザーと柿の種を手に取り、フロントからは死角になっている長椅子に向かう。テラスにある長椅子なんだが、そのテラスはガラス張りで自由に出入りできるようになっている。

 今考えれば(令和の常識)防犯上どうかと思うが、ホテルは高台の上にあり、眼下は海だ。ここから不審者が侵入するなんて考えられない。程よい暖かさと澄み渡った空気。そして満天の星だ。

 長椅子に腰を下ろして缶ビールを開ける。プシュッという音が静寂を破り、51脳が『うまい!』と叫びそうになるのを、11脳の体が必死に抑え込む。柿の種を口に放り込み、ゆっくりとむ。

 目の前に広がる夜景は息をのむほどの美しさだ。佐世保の街と軍港の明かりが点々とまたたき、その上には無数の星が輝いている。こんな景色をゆっくりと眺めることは、かなり久しぶりだ。

 ビールは一口目が美味いと言うが、まさにその通りだ。それからグイグイっと飲み干し、最後の一口を飲もうとした瞬間、後ろから声がする。

「悠真?」

 驚いて振り向くと、そこには凪咲が立っていた。慌ててビールを隠そうとするが、間に合わない。

「あ、凪咲……こんな時間に何してるんだ?」

 凪咲は首を傾げ、オレの手元を見つめる。

「それって……お酒? あ! ビールでしょ!」

 言い訳をしようか迷ったが、現行犯だ。弁解のしようもないから諦めて正直に答えることにした。

「ああ……そうだ。ちょっと大人のマネしてみたくなってさ」

 予想外の反応に、凪咲は少し驚いた様子を見せる。しかし、すぐに笑みを浮かべた。

「すごいね、悠真~。やっぱり大人びてるって感じ」

 凪咲が隣に座る。星空を見上げながら、彼女が言う。

「私も……早く大人になりたいな……」

 ……。

 しばらく沈黙が続いた後、凪咲が再び口を開く。

「ねえ、悠真……。私のこと、どう思う?」

 凪咲はオレにもたれ掛かり、体をくっつけてくる。オレはといえば……あれ? どうしたオレ? 

 頭がぽわんとしてきた。え? まさかビール350㎖缶1本で? 気が大きくなっているのが、わかる。肝心なところで51脳が11脳の体に負けて麻痺しているのだ。

「え……そりゃあお前……」

 オレは凪咲の肩に手を回し、目を見つめながら顔を引き寄せる。凪咲はそれが答えだと判断したようで、全身の力を抜いてオレに身を委ねる。

 おい! おいおいおい! これはシャレにならないぞ! 事故じゃすまないぞ!

 51脳は11脳のビールのせいで死んでいるのだ。ブレーキがかかるはずがない。

 オレは凪咲にそのままキスをした。

 凪咲と唇が触れ合った瞬間、オレの中で時間が止まったように感じた。心臓の鼓動が急に速くなり、頭の中が真っ白になる。ビールの影響もあってか、思考は完全に麻痺していた。

 そのまま数秒が過ぎ、ようやく現実に引き戻される。凪咲の目が目の前にあり、彼女のほおが少し赤く染まっているのが見えた。オレの心はパニック状態だ。




 や、やっちまったあああああ!




 凪咲は目を閉じたまま、頬を赤らめている。唇が少し開いていて、再びキスを求めているようにも見える。その姿に、思わず手が伸びそうになる。

 だが、その時だった。

「な、何してるの……」

 振り返ると、そこには純美が立っていた。顔が真っ青で、目には涙が浮かんでいる。

「純美……これは……」

 言葉が出ない。説明のしようがない。純美はその後は何も言わず、走って去っていった。

「ちょっと待って……!」

 追いかけようとした瞬間、今度は美咲の姿が目に入る。彼女は呆然ぼうぜんとした表情で、オレと凪咲を交互に見ている。

「悠真……どういうこと……?」

 美咲の声が震えている。怒りなのか、悲しみなのか、それとも両方なのか。

「いや、ちょっと待て美咲、すべてはバドワイザー、このビールのせいだ。11脳のオレには免疫がなくって……」

「はあ? 何わけのわからないこと言ってるの?」




 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ……!




「どういう事もなにも……ただ、眠れないから、ちょっと親父の真似してビール買って飲んでただけだよ」

 とりあえず、事実をそのまま言って、反応を見よう。純美が現われ、美咲が現われた事で、ようやく51脳が稼働かどうし始めたようだ。

 美咲の目が怒りに燃えている。その視線に耐えかねてオレは目を逸らしそうになるが、必死で我慢する。

「親父の真似? ビール? そんなことより、なんで凪咲とキスしてたの?」

 美咲の声が震えている。怒りと悲しみが入り混じった複雑な感情が、その声に表れている。

「キス? そういう風に見えたのか?」

 オレはとっさにそう言って、凪咲の方を向いてウインクをする。もうこうなりゃ賭けだ。これしかない。

「そっちの廊下の方からどう見えたかはわからないけど、あんまり騒ぐとフロントの人に注意されるから、耳元で一言しゃべっただけだよ。星が綺麗だねって……」

 まるで恋人が語りかけそうな台詞だが、これしか思いつかなかった。もう、これで押し通すしかない。

 美咲の表情が一瞬固まるが、その隙にオレは凪咲の方を向いてまた目配せする。何とか察してくれと祈ったオレを、凪咲は一瞬困惑したように見たが、すぐに状況を理解したようだ。

 彼女は頬を赤らめながら、美咲の方を向く。

「そ、そうよ。悠真が星座の話をしてくれてて……」

 凪咲の演技に助けられ、オレは少し安心する。しかしそれでも、美咲の疑わしげな目は依然としてオレたちに向けられたままだ。

「本当に……? でも、純美が泣きながら走っていったわよ」

 美咲の声には未だ疑いが残っている。オレは焦りを感じつつも、冷静を装おう。

「そりゃあまずいな。ただこんな夜中にオレたち2人が隣同士で座って話をしているってだけで、ショックだったのかもしれない」

 美咲は一瞬ためらったが、純美のことが気になるのか、小さくうなずいて走り去っていった。




 それからしばらくは、修学旅行はもちろんのこと、オレにとって針のむしろ状態が続いた事は言うまでもない。

 凪咲……えへへっ悠真にキスされちゃった……♡
 美咲……純美は走って行ったけど、キスはして……見ていない?
 純美……真夜中に二人っきりで隣に座って何やってたの?




 次回 第9話 (仮)『キスと四角関係と悠真の野望』

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