天正元年(1572)六月十六日
史実でいうところの元亀三年六月十六日、ユリウス暦1572年7月10日。
(現在の西暦=グレゴリオ暦は1582年に変更されます)
オランダ、ネーデルランドと呼ばれる地域で、いわゆるオランダ独立戦争の真っ最中であった。
もともとネーデルランド(オランダで統一)は商工業が盛んで、考え方が合理的であったためにプロテスタントを受け容れる素地があったのだろう。
ルターやカルヴァンなどの影響を色濃く受け、それを弾圧するカトリック主義のハプスブルク家と重税が重なって、政治的自立・自覚が強くなっていたのだ。
さらに対外的には経済において、イギリスと競争しなくてはいけない状況である。
カール5世がフェリペ2世に譲位をすると、スペイン本国のオランダに対する締め付けはさらに厳しくなったのだ。
重税につぐ重税である。
そして、1567年から72年までのあいだに6~8,000人が処刑された。
「頭! 驚かないでくだせえ!」
「いいかげん、その『頭』というのはやめてくれ。で、どうしたんだ?」
オランダ独立戦争といえばオラニエ公(39)、と呼ぶにふさわしい独立軍のリーダーである。
彼はスペイン本国から送られてきた総督、アルバ公の弾圧から逃れるために、『海乞食(ワーテルヘーゼン)』と呼ばれる海賊軍団(ゼーゴイセン)を組織し、沿岸部の都市を襲撃しながら勢力を強めていたのだ。
今年の4月にブリーレの町を占領すると、ホラント州はオラニエ公側に寝返って、彼を総督に任命した。
7月にはゼーラント州の総督をも兼ねるようになったのだ。
「イスパニアの、イスパニアの海軍が、負けたらしいです!」
「なに! 本当か? いや、そんな馬鹿な……いつ、どこで、どの国に負けたのだ? オスマンには昨年の10月にレパントで勝っているだろう? それにそのような大規模な海戦は聞いた事がない」
「本当です! インドのさらに東の……ジパングと言う国の艦隊に負けたそうなのです!」
側近は、短いがはっきりとした口調で断言した。
「なんだと! 信じられんが……本当だとすればフェリペはどうする? 強欲で傲慢な奴のこと、必ずや報復をするであろう。しかし、地球の反対側までいって行う戦争に、意味があるのか……?」
オラニエ公は考え込み、その敗戦が自らにどのような影響を及ぼすかを探っている。
「去年の4月にあったようで、レパントの半年前です。もし、これが知られていたら、レパントもどうなっていたかわかりませんね」
「うむ。しかし東インドのジパング、フィリピーナ諸島となれば、どれだけ離れているのだ? 報告がずれるのも無理はない……それに……」
オラニエ公はまた考え込む。
「インドへはポルトガルがアフリカ回りで到達している。フィリピーナ諸島は新大陸の、南アメリカ大陸を西回りで到達したのだろうが、インドには到達しておらん」
「と、言うと?」
側近は意味がわからないようだ。
「アメリカの副王領は2つあって、1つはヌエバ・エスパーニャ、もう1つはペルー副王領だ。そのうち東インド、フィリピーナ諸島を治めているのがヌエバ・エスパーニャ副王だ。その副王の艦隊だろう」
「責任をとらされて、解任を恐れて報告を遅らせたと?」
「いや、それはわからぬが、これだけの大事、遅らせたとてどうにもならん。問題はフェリペが本腰を入れて動くかどうかだ」
「そこまで手が回らないという事でしょうか?」
「そうだ。大陸ではわれらとの戦いがあるし、イギリスはイギリスで表だってイスパニアと戦争はしていないものの、フェリペは私掠船(海賊船)に悩まされている。いくら莫大なアメリカの富を得ているとは言え、資金も兵器も潤沢ではないはずだ」
「なるほど……」
一連の会話を終え、オラニエ公はふと思い立ったように側近に聞いた。
「……おい、そういえばポルトガルはどうなんだ? 新王はまだ18歳と若いが、改革を行って成果を上げていると聞く。宗教にもフェリペとは違い寛容なようだし、なにより娘と婚姻しているとはいえ、イスパニアとは一定の距離をおいている」
「そうですね、密偵からの報告だとおおむね仰せのとおりで、国内での評判も良いようです」
「ふむ、そうだな。このあたりで内密に、極秘裏に親交を持っておくのもよいかもしれんな。もっとも向こうがどう思うかわからないが、やってみる価値はありそうだ。……頼めるか?」
「お任せください」
■2ヶ月後 ポルトガル リスボン王宮
「陛下、ネーデルランド、オラニエ公の配下を名乗る者から、謁見の願いがでております」
「!」
居室で枢機卿のドン・エンリケ、顧問のドン・アレイジョ、そしてイエズス会神父のカマラ神父の3人と、農業政策について話し合っている最中であった。
「陛下、今このご時世に、イスパニアの属領問題に関わるのはいかがと思います。お会いになるのは止めたほうがいいかと」
枢機卿はいわゆる、正論を言った。
「ふむ。卿の言う事はもっともだな。アレイジョはどう思う?」
「は、枢機卿の仰せの事はもっともにございます。しかし、イスパニア王室に陛下がいつ誰と会い、何を話したかまで報告の義務はございませんし、あったところで隣国に対する敵対行為でもありますまい」
慎重論を掲げつつも、武人としての誇りだろうか。
「そうか。もっともだな。カマラ神父はどうだ?」
「わたくしは政治の事はわかりませんが、遠くネーデルランドから来たのです。陸路にしても海路にしても、命の危険を冒してやって来た者を、話も聞かずに追い返したのでは、主も悲しむでしょう」
「……なるほど。わかった。使者には会おう。ただし用向きを聞くだけだ。具体的な話はしない。それならよいか? 枢機卿」
「……は、それならばよろしいかと」
こうしてポルトガル王セバスティアン1世と、オラニエ公の史実にはない接点が生まれようとしていた。
次回 第577話 尚元王の死と万暦帝の即位
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