弘化四年十二月十四日(1848/1/19) <次郎左衛門>
さて、誰がいるか? あれからずっと考えている。招聘する技術者のリストは次の通りだ。
・味田孫兵衛……現在地は美濃。堆朱カメラと呼ばれる最初期のカメラの製造者。
・上田寅吉……現在地は伊豆。造船技術者。
・大島高任……現在地は長崎。日本近代製鉄の父。盛岡の高炉で有名。鉱山学者。
・大野規周……現在地は江戸。時計師、造幣寮技師。
・大野弁吉……現在地は金沢。発明家。
・小野友五郎……現在地は江戸。数学者・海軍軍人・財務官僚。
・賀来惟熊……現在地は豊前国。殖産家。反射炉を造った人。
・島霞谷……現在地下野。画家、写真家。
・高林謙三……現在地武蔵。発明家、実業家、医師。
・田口俊平……現在地江戸。砲術、測量術の技術者。
・武田斐三郎……現在地は伊予。科学者、教育者、陸軍軍人。
・中山胡民……現在地は江戸。蒔絵師
・橋本勘五郎……現在地は肥後。石工。
・前原巧山……現在地は伊予。技術者。蒸気船の製造で知られる。
これだけいるけど、何人来てくれるかはわからない。1年かかるかもしれないスカウト行脚を、誰にやらせるかも問題だ。
……やっぱり、あいつしかいないよなあ。
「兄上! なにゆえ、なに故それがしが行かねばならぬのです! それがしは信之介様のもと、学びたいと願い出てここにいるのです。それを日本中の技術者を集めて来いとは、承服いたしかねまする」
弟の隼人は血相を変えて飛び込んできた。
だろうね……。この前の蔵六案内の件も引きずっているからなあ。
「いや、お前の言いたいこともわかる。よーく、わかる。されどこの国難にあって、人材は宝なのだ。それにこれは、信之介が願った事なのだぞ?」
「! 先生が? 師匠がそれがしを遠くにやりたいと仰せなのですか?」
「そうだ。信之介が(技術者を増やせ!)願っているのだ(お前じゃなくてもいいんだけどね)」
……。
隼人はあまりの落胆に声もでない。
「兄上が格外家老となり、それがしはここにおりますが、国を出てしまえばその間、誰が家を見るのですか?」
「彦次郎がおるではないか」
彦次郎、太田和家の三男である。
「あれは……。務まりましょうや?」
「務めてもらわねばならぬ。なに、一生なんてもんじゃない。一、二年の間だろうから、彦次郎でも問題なかろう」
三男の彦次郎は、次郎や隼人に比べて、同じく五教館で学んだが、首席をとるほどの成績ではなかった。かといって悪いわけでもない。人並み以上の成績ではあったのだ。
自由奔放で豪放磊落、なぜか人を惹きつける魅力があって、誰からも好かれていた。領民からの信頼もあつい。というよりも、放っておけないというのが正しいかもしれない。
「ああそれから」
俺は使用人に、大きな葛籠に現代のリュックサック(バックパック)のように帯をつけ、背負えるようにした物を持ってこさせて、中を開けて隼人に見せた。
『現代理化学全集』
と書かれた20冊の本は、信之介が転生して以来、オランダ語の本とあわせて自身の知識を詰め込んで完成させた本である。
「これは……」
「信之介がお前に、と言っていた。全部読んで理解し、覚えて人に教えるようになるまでは時間がかかるとはいっていた。されどもしお前が廉之助との事を考えているなら、これで差が開くことはない、と言っていたぞ」
中身は難解すぎて、最初の挨拶文だけで吐き気がしてきたので読むのを止めた。
ただし、間違いなくこの時代の世界最高の知識書だ。
「どうだ、やるか?」
「はい。御家老様、神明に誓ってやり遂げまする」
「うん。頼んだ」
本を餌にしたようで後味があまり良くはなかったが、将来的にはみんな幸せになるんだ、と言い聞かせて隼人に任せた。
■精煉方 蒸気機関製造方
「ふむ、さてさていかがしたものか」
田中久重は手引き書である『応用機械学の基礎』をまず何度も読み返した。
オランダ語を読む事ができない久重は、ときどき長英やお里、石井宗謙など、翻訳に関わった人にも聞きにいったのだ。日本語とオランダ語の、いわゆる齟齬、そして意味合いの微妙な違いを理解するためだ。
実際、聞いた事のない日本語があまりにも多かった。信之介に聞きつつ、翻訳者が作った(現代のものをそのまま使った)日本語の意味を聞いて回ったのだ。
「……ふむ。蒸気はわかった。圧力の何たるかもわかった。無尽灯の原理に通ずるものがあるな……」
書いてあることは真新しいものもあり、久重がすでに知っている知識もあったが、問題は、どうやってつくるかである。
「まずは見よう見まねで、小さな模型を作ってみるか。そこで問題があれば改善し、次第に大きくしていこう。この手引き書にある大きさと出力のものができれば、ひとまずは成功であろう」
■長崎
「御免候! 御免候!」
「先生、先生にお客様です。なんでも緒方洪庵と仰るお名前の方です」
「ええ! 先生? いや、すぐにお通しして」
奥山静叔は洪庵の門下生であるから、大坂の適塾で教鞭をとっているはずの洪庵が、長崎になぜいるのか? という疑問と同時に、師を待たせてはいけないという思いにかられた。
「先生! お久しぶりにございます」
「ああ、静叔君、久しぶりだね。元気にしていたかね。おや? そういえば蔵六君はどうした? 確か君の元で長崎の蘭学を修めたいとここにいるはずだが」
「先生、その事なのですが」
静叔は言いづらそうに言う。
「先生ならば同じ事を仰せになったであろうとして、私も同じようにしたのですが」
「?」
「実は所用で大村藩へ出向いたのですが、その際に、これは私も日ごろより教えを請うている先生なのですが、尾上一之進殿という、それはもう、相当な技量をもった先生が居られるのですが……」
洪庵は黙ってうなずきながら、手で静叔を制した。
「そこで村田君が感銘を受け、そのまま大村藩で学ぶ事になった、という事だね」
「はい。出過ぎた真似をしてすみません」
「構わないよ。実際に私もその為に来たのだから。時に静叔君、その尾上一之進殿を紹介してはくれぬかね」
「もちろんでございます」
静叔はすぐに手紙を書き、大村の一之進の元に洪庵を紹介したい、との旨の事を書いて、門人にすぐに送らせた。
次回 第91話 (仮)『一之進、洪庵と出会い秘薬完成す? 佐久間象山、江戸の純熈側近、鷹司政道、それぞれの思惑』
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