永禄十二年 十一月 諫早城天守 天文台
寒い、しかし冷えて眠気覚ましにはちょうどいい。
九十郎秋政が観測をしていた。諫早城天守に設けられた観測用天文台だ。天守からも渡れる構造になっているが、天文台側からは天守には入れない。
純正の足音が聞こえたのか、他の観測所職員は純正の姿を見ると居住まいを正し一例する。
しかし最後まで観測を止めず、やっと機器から手を離し挨拶したのは、領立純アルメイダ大学の天文学部教授でもある、太田和九十郎秋政である。
秋政はこの世界に来ての幼馴染だ。
家督を継ぐ前のわずかな期間だが、一歳違いの従兄弟で源五郎とともによく遊んだ。それからすぐに家督を継ぎ、二人はヨーロッパへ旅立った。
「みんな、寒いだろう」
そう言って純正は、全員にお茶と茶菓子を振る舞った。休憩しながらやりなよ、お疲れ様、とねぎらいの声を掛ける。
「小佐々城から諫早城に移った時、まずこの観測の機械を全部運んだよな」
純正は引っ越し当時の話をする。
「去年から欠かさず観測をしておりますゆえ、一日も欠いてはなりませぬ」
「星を見るのは嫌いではないけど、さすがに毎日見ていて飽きないか?」
「飽きませぬ。毎日何がしか新しい発見があり、それを検証して仮説を立て、さらに検証して実証していくのが楽しいのです」
純正は天文馬鹿の秋政に、あきれながらも感心している。
天文学は、航海技術の発達に必須なのだ。軍事技術や産業技術にばかり目が行きがちだが、天文学の発展は航海術の発展につながり、正確な地図の作成や安全な航海が可能になる。
「これはなんだ? ずいぶんと大きいが」
純正は天文台の中央に備え付けられた、大きな90°の、円を四等分した計測器を見て秋政に尋ねた。
「ああ、これは四分儀と申しまして、天体の高さを測るものです」
と秋政は答えた。
名前を付けるなら「台枠つき四分儀(固定式の四分儀)」とでも言おうか。
四分儀の形状のひとつである。主に観測所や天文台での精密な観測を目的としていて、地上に固定される台枠や支柱に取り付けられていた。
観測の精度向上のために様々な機能や調整機構があり、そのため大型であった。四分儀は船上でも船乗りによって使われていたが、携帯できるように小型化されている。
「ほお、すごいな」
と純正は驚きながらも、自分が転生前に使った事がある六分儀と比べていた。
2023年の現代では、その六分儀ですら使わない。
ロラン・デッカ・オメガなどの電波航法も、純正が20代の頃から徐々に廃れてGPS航法にとって代わられた。
2020年には世界で唯一運用を続けてきた部隊が、運用を終了している。にもかかわらず、幹部や航海科員は専門学校で、六分儀の使い方を習う。
非常時に敵の電波妨害があったときに、自艦の位置を正確に知るためである。
「これは、どうやって測るのだ?」
と純正は秋政に聞く。二人だけの時はタメ口でもいいが、他の家臣がいる時はダメだ、と秋政も秀政も言う。
「これはでござるな、こうして、こうやって測るのでござる」
と秋政は純正に説明を交えて機器を指差しながら教える。
「なるほど。そうなると、四分儀は最大でも90、いや真上までだな。それに長時間は首が痛い」
秋政は、ははははは、と笑いながら答える。
「それは仕方ありませぬ。このお役目についた宿命にござる。それに慣れてくれば、そこまで時間はかかりませぬ」
秋政は笑ったものの、
「しかし、確かにもっと簡単に出来ればいいですね」
とつぶやいた。それを聞いた純正は、考えていた事をとっさに喋っていた。
「これは、反射鏡を使えば改善できないか?」
純正の、記憶頼みの無茶振りか? と思われるような発言が飛んだのだ。
「反射鏡、でござるか? 鏡をどのように使うのでしょう」
六分儀の基本的な仕組みは、天体の光が最初に可動式の鏡に当たり、次に固定された鏡に反射され、そして望遠鏡を通って観測者の目に入るというものだ。
この二重の反射によって、測定される角度が六分儀の物理的な角度の2倍となる。このため、六分儀のアームが60°の範囲で動くと、実際には120°の角度が測定されることになるのだ。
太陽を観測するときは、鏡の間にすりガラスのようなもので、黒いフィルターをかける。
純正は最初に秋政が教えてくれたのと同じように、身振り手振りで、望遠鏡の位置や動鏡や水平鏡の役割を教える。
「なるほど、すみません、もう一度お願いできますか」
どうやら秋政のツボにはまったようだ。目が輝いている。
「すごい。しかし、このようなもの、日ノ本で作れるのでしょうか」
秋政は半信半疑だ。
これは六分儀に限らず先日の実験やライフルなど、全てに言える事だ。個人のヒラメキだけでできるものなど限られている。アイデアは大事だが、それを実現させる基礎学問が必要なのだ。
六分儀の場合は 天体の動きや位置、天体観測の基本的な天文学の知識が必要である。
それに加えて正確な形状や構造を設計するための角度や、三角法を含めた幾何学的な概念にも精通していなければならない。
機械的な構造や動作メカニズムを理解、展開できる工学知識も必要だ。
さらに設計が出来たとして、 光学(レンズや鏡の特性)や材料学(装置の材料の特性や耐久性)などの物理学の領域も関与する。
精密な加工技術も必要である。
これは、ガラス加工で望遠鏡をつくったのとは難易度が違う。
現在、顕微鏡ならびに注射器の製作研究が行われているが、ガラス細工と金属加工の両面の技術が必要だ。
現に五年前の永禄七年に研究開発を開始しているが、実用にたえるものは、残念ながら出来ていない。もうすこし学問の、そして技術の進歩が必要なのだろうか。
純正はいろいろと考えたが、秋政の目は輝いている。
「では殿、工部省ならびに領立大学全学部の秀才を集めて、六分儀研究開発計画を推進いたしますので、予算をどうぞよろしくお願い申し上げます」
あ、……うん。
科学者、いや何の学者でも、一度火がついたら止まらない。そう思った純正であった。
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