第795話 『哱拝・ヌルハチ・楊応龍』

 文禄二年六月十日(1593/7/8) 寧夏鎮

「陛下、明が我が国の独立を認めましたな。これでようやく、民を安んじることができ、平穏が訪れるというものです」

 哱拝ぼはいが独立を宣言後に明国の軍勢は撤退したが、和平は成立したものの、正式に明は寧夏国の独立を認めてはいなかった。それがようやく、冊封体制と宗主権の放棄、いわゆる独立を公式に認めるという使者がきたのだ。

 寧夏鎮全域で民衆が祝杯をあげ、町中が熱気につつまれている。

「うむ、大変喜ばしいことである」

 土文秀の言葉に哱拝は喜びつつも、不安があったのだ。

「父上、何かお悩みでも? ようやく願いが叶ったのですよ」

 哱承恩ぼしょうおんも哱拝の態度をいぶかしがる。

「……独立を認めるといっても、国境も明確に定まってはおらぬし、いまだ明は強大である。いつ前言を覆し、我が国へ攻め入るかもしれんのだ。安穏とはしてられん」

「では、どういたしますか?」

「うむ、使者を遣わし、こちらの領土を要求する。無論ただではまんだろうが、これをやるやらんでは大きく違ってくるであろう」

 土文秀の確認に哱拝が答えると、続いて哱承恩が聞く。

「どれほどの領土を要求するのですか?」

「……そうであるな。まず東は、海が欲しいの。ゆえに北直隷の天津衛……ああ、彼の地かのちは肥前国に割譲されたのであったな。では永平府から廣寧衛、これで海を得る。そこから開平衛と宣府、大同、太原府と山西省。それから陝西省と河西回廊、とでも言えばよかろう」

 哱拝の発言に土文秀も哱承恩も驚きを隠せない。

「陛下……。それではあまりにも……明を刺激するのではありませんか?」

「そうです父上。せっかく領土を得たのに、また戦になるかもしれません」

「ふふふ。今の明にそんな力はないわ。われらの他にも女真に楊応龍もいるのだ。それに、たとえ紙の上で条約を結び独立を得たとして、それが何になる? 紙なぞすぐに破れるではないか。わしはお前もそうだし、孫やひ孫、子々孫々まで安心して暮らせる世が欲しいのだ。そのためには明が太刀打ちできないくらいの国力がなければならぬ。なに、全部取れずとも良いのだ」

 そう言って哱拝は地図を指差した。

「それに、ヌルハチが海西女真を平らげたという報も入っている。これで女真は海を得た。残る女真、東海女真を滅ぼす前に西へ進めば、我が国と国を接するのだ」

 さらに、と言って哱拝は続ける。

「明を共通の敵としていたときは良いが、女真の力が強くなりすぎるのはよろしくない。うかうかしていると女真を統一する前に、西進して遼河を越えて北直隷まで入ってくるかもしれんのだ。ゆえに明に対して北直隷の海の割譲は譲れぬ。山西省は延安より北があればよいし、最悪河南は捨てても良い」

「なるほど。父上の考えはよくわかりました」

 哱承恩は真剣な表情でうなずいた。

「しかし、明が要求を呑むとは思えません。おそらく、交渉は難航するでしょう」




「ゆえに、交渉と同時に武力で脅すのだ」




 ■女真 へトゥアラ

「さて、どうするべきか」

 ヌルハチは地図を眺めながら考えている。

「海西女真を平定した今、我らに残された道は2つ。1つは北へ進み東海女真を討ち、女真統一を成し遂げる道。もう1つは西へ進み、明の領土を奪い、勢力拡大を図る道」

 ヌルハチの言葉に武将たちは息を呑んだ。どちらの道を選ぶかによって、女真の未来は大きく変わる。

「東海女真は北の辺境の地、急いで攻め滅ばさなくても良いでしょう。それよりも肥前国と懇意にして武器弾薬を融通してもらい、西へ進んで更に明から奪い、国力を高めるべきでございます」

「しかし、明はいまだ強大。油断はできぬぞ」

 若い臣下の発言の後に、一人の老臣が慎重な意見を述べた。

「確かに明は強大だが、肥前国に敗れたいま、我らが攻め入ったとしても大がかりな反撃はできぬであろう。しかも哱拝に楊応龍と、明は内乱続きで疲弊しておる。今こそ攻める好機なのだ!」

 若き武将と老臣が討論するなか、ヌルハチは静かに耳を傾けていた。

 ヌルハチは討論の声をしばらく聞いた後、ゆっくりと立ち上がって一同の視線を一身に集めた。

「お前たちの意見はどちらも一理ある。だが、我らの歩む道は1つしかない。女真統一なくして未来はないが、その先が大事なのだ。東海女真を討つ前に西へ進み、明へ圧力をかける。そのために肥前国との友誼ゆうぎを強固にし、明と哱拝の動きを見極めねばならん、よいな?」

「ははっ」




 ■播州

「明が肥前国とやらに敗れたか……」

「はっ。広州・寧波・天津を割譲させられ、660万貫文の支払いを命じられたそうにございます」

「なんと! ふふふふふ……。まさに瀕死ひんしであるな。さて、どうするか。明は冊封をやめ、朝鮮はおろか哱拝や女真にまで独立を認めたというではないか」

「はい」

「そうか。では我らも、過大なる要求とやらをしてみるか。貴州はもとより、四川、湖廣、廣西を我が領土とするよう言ってみよう」




 楊応龍と側近の会話が、のちに北京の朝廷を揺るがす事になる。




 ■文禄二年七月十一日(1593/8/7)肥前国 諫早

「割譲後の治安は如何いかがだ?」

 蒸気機関の発達で、広州から諫早まで安定して片道10日~2週間での連絡が可能になった。逐一寧波と天津の状況とあわせて送られてくるのだ。

「は。はじめは民の動揺もあったようですが、しかと説明し、彼の地の風習を尊重することで事なきを得ております」

「然様か。よし、いい感じだ。他には何か気になることはあるか?」

 直茂の報告に純正は安堵あんどし、他に懸念事項がないか確認した。

「は……それが……」

「如何した?」

「は。殿下の予想通り、哱拝にヌルハチ、楊応龍が動き出したようにございます」

「……然様か。まあ、明が遷都して南明となるまでは、手出し無用であるな。山東と北直隷に関してはそれぞれで争ってもらえばよい。楊応龍に関しては、あまりに手に負えぬ様であれば、明に手助けしてもよいと伝えておけ。なるべく内政干渉・・・・はしない、とな」

「ははっ」




 次回予告 第796話 『明、万事休す』

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