文禄四年八月二十二日(1595/9/25)
「忠右衛門、これが例の『電信』なるものか?」
と純正は問いかけた。現代からの転生人である純正であったが、その機械自体を見るのは初めてである。
肥前国では天正三年(1575)にライデン瓶の開発が完了していた。
静電気を蓄える技術が確立し、継続的に研究開発が行われて進展していった結果、3年前にはついに(ボルタ)電池が開発されたのだ。これによって持続的な直流供給が可能となった。
「はい、殿下。これが我が科技省の総力を挙げて開発した電信装置でございます」
と忠右衛門が答えた。
「この装置は電池による安定した電流供給を基盤としており、離れた場所に文字を送る事能います」
純正の目が輝く。夢にまで見た電信が、やっと完成したのだ! 手旗や発光信号、腕木通信など様々な方法で迅速かつ確実な情報伝達の方法を探してきたが、ようやく近代的な方法にたどりついたのだ。
「よし、ではさっそくやってみてくれ」
純正の指示に忠右衛門は『はっ』と元気よく答え、息子であり同じく科学者の源五郎とともに準備に入る。しかしその準備が進むにつれて、純正の顔が徐々に険しくなっていった。
純正のイメージでは、電信はタイプライター状の文字盤があり、そこで打った文字が電気信号に変わって1本の電線で送信される物だったのだ。
しかし目の前にあったのは、何十本もの電線と大がかりな装置であった。
「忠右衛門、これは……」
「は、これはイロハのイからンまで四十七文字と、数字の一から九までの十文字に合わせた五十七本の銅線にございます。これらが離れた場所まで延びており、その先の電線にはそれぞれ細長いガラス瓶に入れた酸につながっております」
「ん、うん……」
純正のなんとも言えない落胆の様子を感じ取ったのだろうか。忠右衛門と源五郎は心配そうに純正を見た。
「殿下、いかがなさいましたか?」
「……いや、なんでもない。続けよ」
「では、こちらが受信側になります」
忠右衛門に案内された受信側の建物には、送信側と同じで57本の電線があり、説明どおり試験管につながっていた。時刻はもうすぐ昼の12時。
「殿下、ちょうど十二時に送信が始まります」
「うむ」
期待していた物とは違ったが、落胆を表に出すわけにはいかない。
忠右衛門も源五郎も、必死で頑張って開発したのだ。純正には当たり前の電話や電信(実体験はないが知識で知っていた)でも、2人にとっては世紀の大発明なのだから。
やがて12時になると、1つの試験管からゴポポポポ……と音が聞こえ、泡が発生しているのがわかった。記録員はそれを書き留める。流れてきた電流が電気分解を起こし、水素が発生して泡になる仕組みのようだ。
『ワ……レ……ソ……ウ……シ……ン……セ……リ』
……我送信セリ。
「やった! 成功! 成功にございます! 前にも何度か成功しておりましたが、こうして殿下の目の前でお見せして、初めて成功となりました!」
「おお! よくやった忠右衛門! 源五郎よ! 大儀であった!」
実際の純正の驚きの度合いは低かったが、それは仕方ない。想像とはあまりにかけ離れていたからだ。しかし2人の苦労に報いなければならない。そのための笑顔と感嘆の声と仕草である。
純正は2人の功績を称えつつ、心の中で次の段階への改良を考えていた。
「忠右衛門、源五郎、素晴らしい成果だ。だが、見たところ先ほどの八文字を送るのでさえ時間がかかる。速く遠距離での通信には、さらなる改良の余地はあるのではないか?」
忠右衛門はうなずいて答える。
「はい、殿下。現状では57本の電線が必要で、長距離通信には難ありにございます。ゆえにさらなる改善が要ると考え、日夜研究しております」
「いかなる改良を考えているのだ?」
純正は期待を込めて尋ねると、源五郎が前に出て説明を始めた。
「殿下、我々は電流の強弱と流す時間による新たな方式を研究しております。これにより、1本の電線で複数の信号を送れるかもしれません」
「それは興味深い。さらに詳しく聞かせてくれ」
純正の目が輝いた。
■某日
「殿下、以前お申し付け頂いておりました、スクリュープロペラ搭載の駆逐艦、『霧雨』が完成いたしました」
「おお! そうか!」
13年前に実用化されて軍民ともに導入されていた汽帆船に、外輪船に代わるスクリュー・プロペラを搭載する研究を純正は同時にやらせていたのだ。
史実でもスクリュー・プロペラの概念と開発は外輪船とそこまで時間差はなかった。
「つきましては、外輪船とスクリュー船、いずれかが速いか比べてみたく存じます」
「うむ!」
純正はそう返事をして、佐世保を母港とする第1艦隊の第15水雷戦隊の駆逐艦『白雲』と競争させる様にした。
■翌日
競争の準備が整い、純正は観覧席から海上を見渡していた。
駆逐艦「霧雨」と外輪船「白雲」が並び、スタートの合図を待っている。
「殿下、『霧雨』には新型のスクリュー・プロペラを搭載しております」
と源五郎が説明を始めた。
「この設計により、外輪船に比べて推進力が効率的に水中で発揮される仕組みです」
「殿下、加えてスクリュー・プロペラは波や風の影響を受けにくく、外輪船のごとく片側が空転もいたしませぬ。そのため、安定した速度を維持できます」
源五郎と忠右衛門の補足説明に純正はうなずきながら理解を深める。
「うべな(なるほど)。確かに外輪船では波の高さによって推進力が左右されると海軍からの報告にあったの。スクリューには然様な弱点がないわけだな」
午前10時、ドラの音とともに競争が始まった。
『霧雨』はスクリュー・プロペラを回転させ、水面下で静かに力強く進む。一方、『白雲』はその巨大な外輪を力強く回転させながら水しぶきを上げて進んでいった。
純正は望遠鏡を手に取り、両艦の動きを観察している。
「『白雲』も速いな。しかし、『霧雨』の動きは滑らかだ」
「殿下、『霧雨』は波による抵抗を最小限に抑える設計となっております。そのため、速度だけでなく燃費の面でも優れております」
「さらに、スクリュー・プロペラは船体中央部に配置されているため、操舵性も向上しております。狭い水路や港湾内でも扱いやすい利点があります」
2人とも我を主張するタイプではない。ただ、やはり親子だ。純正に認めてもらいたいのだろう。
「なるほど。この技術が普及すれば、我が国の海軍力も大きく向上するだろう」
純正は感心しながらうなずいた。
測定結果は明白だった。
『霧雨』が『白雲』を大きく引き離し、圧倒的な勝利を収めたのだ。
「見事だ! これならばスクリュー・プロペラが未来の主流となるのは間違いない」
順次、海軍への導入が進んでいったのである。
次回予告 第816話 『アルタ・カリフォルニア』
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