元治元年七月十四日(1864/8/15) 江戸城 御用部屋
「さて方々、これより先のイギリスならびに列強に対する策を論じたいと存じます」
集まったメンバーは下記のとおり。
・将軍後見職 一橋慶喜
・政事総裁職 松平春嶽
・大老筆頭 安藤信正
・参与 大村丹後守純顕
・参与付 太田和蔵人次郎左衛門
・薩摩藩主 島津忠義
・長州藩主 毛利敬親
・土佐藩主 山内容堂
・加賀藩主 前田斉泰
・仙台藩主 伊達慶邦
・老中院……久世広周、内藤信親、本多忠民、板倉勝静、水野忠精
・外国奉行……池田長発、竹本正雅
「まずは……イギリスにございますな」
最初に口を開いたのは次郎だったが、実は純顕を通じて前もって全員に話をし、了承を得ていた。
前々から感じていて、はっきりさせておきたかったのだ。
家格や家柄に関わらず議論できるよう、名字に殿か様をつけ、無礼講とした。敬意は当然の前提だ。
慶喜が口を開く。
「戦の定石としては、明らかに力の差のある弱敵に負けた際は、速やかに全力をもってたたき潰そうとするのではなかろうか? 負け戦をなきものにせねば、イギリスのアジアにおいての地位が揺らぐであろう」
外国奉行の池田長発と竹本正雅がうなずきながら聞いている。
「当に然に候。イギリスは東インド会社を通じてアジアでの影響力を拡大してきました。わが国での敗北は彼らの威信に関わる問題です」
慶喜の言葉を受けて松平春嶽が発言すると、安藤信正が深刻な表情で言う。
「されど我らにはイギリスと全面戦争する余力はありません。彼らの海軍力は圧倒的だと言うではありませんか」
次郎は冷静な表情で述べる。
「然様。されどイギリスも本国から遠く離れた地での戦には制約がありますゆえ、我らはこの地の利をいかすべきにございましょう。またイギリスには強力な議会がござる」
「と、言うと?」
島津忠義が次郎を見て聞いてきた。
「日本では今、この十五人が考えをめぐらしているわけですが、イギリスではこの二倍三倍の人数で常に議論しております。そのなかで派閥がいくつかあり、入れ札によって政権が決まります。されど選ばれても常に反対の考えを持つ派閥に意見を左右され、その反対意見が強まれば政権を営むなど至難の業。その状態にイギリスは今あるのです」
「次郎殿、いま少しかいつまんで話してくだされ」
春嶽が言った。
「然様、端的におっしゃってくだされ」
島津忠義も同意する。
忠義は薩摩湾海戦での活躍で幕府や長州よりも戦功をあげ、イギリス海軍にその存在を見せつけた。そう言いたげであったが、もちろんそれは薩摩藩単独でなし得たことではない。
次郎はせき払いし、言葉を選びながら説明を始めた。
「イギリスの政治体制は複雑です。現在の政権の外交政策には批判も多く、特に野党、つまり政権をもたない党派にございますが、日本への強硬姿勢には反対の声があります」
「それはいかなる由(理由)にござろうか」
慶喜は腕を組み、関心を示しながら質問した。
慶喜は鋭い洞察力と素早い思考で知られていたが、会話の最中に相手の言葉を遮り、『つまりはこういうことであろう』と先回りして結論を述べることが多々あったのだ。
そういう言い回しをされて良い気分になる人はいない。
……しかし次郎との対話では、その習慣が影を潜めた。
「イギリス国内では、わが国との貿易拡大を望む商人たちの声が大きくなっています。また、ロシアの南下政策に対抗するため、わが国との友好関係を重視する意見も出ています」
次郎は長崎のオランダ領事館はもちろんの事、各国(イギリス)の新聞各社と懇意にしているため、情報が入りやすかったのだ。開国まもない日本においては海外の新聞社は情報の宝である。
慶喜の問いに次郎が答えると、毛利敬親が鋭い質問を投げかける。
「ならば、我らはイギリス国内の市井の考えを味方につける策を講じるべきとのことにござろうか」
「然に候。イギリスの新聞や議会に働きかけ、わが国への理解を深めてもらうことが重要です。加えて他の列強国との関係も強化し、イギリスを牽制する必要があります」
敬親の言葉に次郎はうなずき、さらに説明を加えた。
「うべな(なるほど)。然様にしてイギリスの議会を動かし、わが国と戦を続けるより早期講和して、国交の回復を急がせるべきと、然様に思わせるのが得策にござろうか」
「然に候」
春嶽の発言に次郎は短く答えた。
「ならばいかがいたす?」
議論開始から黙って聞いていた純顕が、次郎の隣で声をあげた。
「は、まずは日本としての方針を明確に示す事が肝要かと存じます」
・日本としては継戦を望んでいない。
・イギリスの謝罪と相応の賠償金の支払いがあれば終戦としても良い。
・もしそのまま継戦の意向なら、徹底抗戦して最後の一兵まで戦う。
「この点を明らかにして進め、イギリスの尊厳をおとしめるようなものでなければ、貿易を望む商人や野党は納得するでしょう。ただいまの政権に退陣、罷免を求めて、新しき政権にて交渉を進めようとするでしょう」
次郎の説明を受け、会議室の雰囲気が変わった。
各藩主や幕府重臣たちは、これまで知り得なかった国際情勢の機微に触れ、驚きと関心を隠せない様子である。
「イギリス国内の世論を味方につけるとは、具体的にどのような策があるのだろうか」
口を開いた安藤信正の表情には、幕府を大老筆頭として支えている自負と、老練な政治家らしい冷静さ、新たな戦略への期待が混じっていた。
次郎は落ち着いた口調で答える。
「例えば……イギリスの新聞社に日本の実情を伝える記事を掲載してもらうことです。そうして日本への理解を深めてもらうのも一案にござろう」
「されど……然様な外交活動は誰が担うのでしょうか。我らは領事や大使との会談は経験があるが、市井の者とはつきあいがない」
池田長発は、中途半端な仕事はできないと、外国奉行としての責任感がその表情に表れていた。
「我ら大村家中には長崎で培った人脈があり申す。オランダ人やイギリス人の商人たちを通じて、情報を発すること能うでしょう」
次郎は言った。
オランダどころではない。英語にフランス語にロシア語にドイツ語。もちろん朝鮮語や中国語もだ。アラビア語話者はごく少数ではあったが、世界で通じる言語を大村藩の五教館開明大学では教えていた。
「それでは、他の列強国との関係強化はいかに進めるのですか」
山内容堂はイギリスとは別に、他の列強対策に疑問を呈した。
「フランスやロシア、アメリカとの交渉を並行して進めるべきにございましょう。イギリスに抗するためには、他国の支持が不可欠です」
次郎は真剣な表情で答えた。もちろん各国毎の戦略がある。
「ロシアはアラスカ購入の話がありますので、条件がかみ合えば問題ないでしょう。お互いに利のある話ですし、アジアでの権益を伸ばそうと思えばイギリスは邪魔ですから、この先はわが国と手を結びたいと考えているはずにございます。されど樺太しかり対馬しかり、信用しすぎるのは危ういゆえ、つかず離れずが肝要にございます。これは他の国にも言えることでございましょうが」
ただでさえクリミア戦争で苦汁をなめている。次郎はその点も付け加えた。
「フランスとオランダ、アメリカについては?」
毛利敬親は黙ってうなずいているが、その横の前田斉泰がさらに聞いてきた。
「まずはオランダ。こちらは特段気にするべきことはないでしょう。付き合いも長いですし、何より蘭印の資源はわが国にとって必須。これまで以上に商いを盛んにし、交流を広げるべきかと存じます」
くわえてフランスとアメリカですが……。
もう次郎の独壇場である。
「アメリカは現状維持。南北戦争は北軍の合衆国が間違いなく勝つでしょうから、その後の急激な発展が見込まれます。これまで以上に太平洋に進み出でて、ルソン(フィリピン)あたりを根拠地にしようとするでしょう。この辺りは直に関わりありませんので、戦時国債の購入を継続することが第一かと」
戦時国債? との声があがったが、これは合議制が始まる前のことであり、別に時間をとって説明した。参画したいと言ってきた藩があったのは言うまでもない。
「フランスはイギリスに次いで列強で2位の強国です。表向きは平静を装っていますが、虎視眈々とイギリスの権益を狙っているのです。間違いなくわが国に近づいてくるでしょう。ゆえに、例えば造船所の建設をフランスに任せるとか、国家的事業を任せる事で結びつきを強めれば良いかと存じます。むろん一国に偏るのは悪しきことなれど、いずれにしても、フランスは乗ってくるかと思われます」
万座が静まりかえった。
純顕にしてみればもう見慣れた光景ではあったが、次郎の海外情勢の分析能力や対応力に、全員が息をのんだのであった。
次回予告 第340話 『ヴィクトリア女王とイギリス議会、そして朝廷からの叙位任官』
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