第342話 『昇任問題とレオン・ロッシュ』

 元治元年八月二十七日(1864/9/27)

「して次郎、朝廷から昇任の知らせが来ていたようだが、その後は如何いかがあいなっておるのだ?」

「は、その儀につきましては丁重にお断りいたしたく、返信をいたしましてございます」

「なんと、断ったのか?」

 純顕から昇進の事をきかれた次郎は、包み隠さず自分の考えを述べた。

「本来イギリスとの戦は我らが望まぬことではございましたが、朝廷にしてみれば攘英じょうえいでも攘夷じょういでも、外国を打払う事ができたことは嘘偽りのないことにございます。さすればそれがしに新しき官位と官職をと、皆様がお考えになるのも分かるのでございますが、この儀は某一人にてなし得たものではございませぬ。加えてそもそもは岩倉様に昇進していただくための策の一つにございました」

「うむ、聞いておる。岩倉様を従三位にして朝廷内での力を強め、攘夷だの倒幕だのと、考えが変わらぬようするためであろう?」

「然に候」

「然れどそこでお主が受けねば、何をもって岩倉様の功となす、斯様かような勢力がでてくるのではないか?」

 困り切っている次郎の顔をみながらニヤニヤと笑っている純顕である。

「殿、笑い事ではございませぬ。朝廷内の権力争いに巻き込まれるのは本意ではありません」

 純顕は笑みを消し、真剣な面持ちで尋ねる。

「では、如何いかに処するつもりだ?」

「岩倉様の昇進を妨げぬよう、某の功は控えめに伝えるつもりです。然れど完全に否とすれば疑わしい。ほどほどにいたします」

 次郎は言葉を選びながら答えた。

「それが良かろう。次郎、お主がそう言うなら、島津殿や鍋島殿、毛利殿も昇進の運びとすれば、特に障りはないのではないか?」

「は。ではそういたします」

「うむ」




 その後、次郎をはじめ純顕や幕閣、そして西国諸藩の戦闘に参加した者への叙位任官が取り沙汰されるようになった。




 ■奄美大島

 奄美大島を前線基地として占領していたイギリス軍であったが、鹿児島湾でキューパー提督率いる東インド・清国艦隊が壊滅し、下関でもキング少将の艦隊が敗北したため、孤立無援の状態であった。

 そのため薩摩藩はすぐさま島の奪還作戦を開始し、またたくまにイギリス軍のとりでを破壊してその兵を捕虜としていた。




 イギリス人捕虜のジョン・スミスは汗を拭いながら、サトウキビ畑での労働を終えた。収容所には塀も柵もなかった。島のために逃げることもできず、脱走したとしても島内でさまようしかないからだ。

 次郎から久光・忠義親子に対して捕虜の処遇の件で話が伝わっていたこともあり、収容所の環境は彼らの予想以上に快適である。

 サトウキビ畑では当然島の住民も一緒に働いており、最初は距離をおいていたが、さすがに半年近く一緒にいれば情も湧く。

 言葉の壁はあったが、ジェスチャーを交えてのごく簡単な意思の疎通はできる状態になっていた。隔離していては仕事にならない点も理由の1つである。

 労働力としての捕虜であるから、効率を上げるためでもあった。

「ジョン、今日もソーホット! 暑かったな。さあ、レッツドリンク! 一緒に酒でも飲もうぜ」

 手でバタバタと顔をあおぎ、右手でグイッと酒を飲む仕草をする。

「ああ、太郎。その誘いは断れないね」

 ジョンは笑顔で答え、2人で並んで歩き始めると、薩摩藩大島代官所の役人である山田が近づいてきた。

「スミス、お前たちを横浜へ移送する命が幕府から下った。明日出発の準備をせよ」

「横浜へ? なぜですか?」

 ジョンは驚きの表情を浮かべた。

「鹿児島湾や下関での捕虜たちも横浜で収容されているからだ。公儀はお前たちも等しく扱うつもりらしい」




 その夜、捕虜たちの宿舎では動揺が広がっていた。ジョンの隣で寝ていた仲間のトムが不安そうに尋ねる。

「ジョン、横浜に行けば本国に近づくことになるのか? それとも、もっと厳しい扱いを受けるんだろうか」

「分からないな。ただ、ここは収容所とはいえ過ごしやすい。別の場所にいくのはできれば避けたいが……」

 ジョンは深く考え込んだ。しかし考えたところでどうなるものでもない。




 翌朝、奄美大島から鹿児島へ向かう船に乗り込む直前、薩摩藩の上級役人である中村が厳しい表情で告げる。

「捕虜たちよ、横浜での処遇は未定だ。だが覚えておけ。お前たちはまだわが国の捕虜なのだ。むこうでの扱いがどうかはわからん。わからんが、ひどい仕打ちは受けぬと聞いておる」

 船が動きだす中、ジョンは奄美大島を振り返り、島での捕虜生活を思い出していた。




 ■フランス公使館

「小栗殿、フランスに借款を申し込むのは真にございますか?」

 次郎は小栗上野介とともにフランス公使館に向かう途上であったが、ロシアとはアラスカ購入交渉、オランダとは蘭領らんりょうインドシナからの輸入拡大で話がついていた。

 次はフランスである。

 上野介は上野介で、アメリカとの国債購入交渉を終えていた。

「真にござる。国内の産業を育成し、銭をつくるのも肝要かと存ずるが、間に合わぬ。すれば借款をしつつ技術を導入し、フランスもわが国との交易で他国に先んずる、両者に利のある話にござろう」

「然りとてフランス一国のみを頼みとするは、危ういのではござらぬか? イギリスは論外にござるが……」

 次郎は列強のうち一か国のみと特定の関係になれば他国の反感を買う事を危惧していたのだ。上野介は次郎の懸念を理解しつつ、自信に満ちた表情で答える。

「その点は承知しており申す。ゆえに各国とのあいだでわが国に不利にならぬよう、念には念を入れるつもりにござる」




 フランス公使館に到着すると、公使のレオン・ロッシュが出迎えた。

「ミスター太田和、ミスター小栗、英国との開戦前以来ですかな。さあ、どうぞこちらへ」

 通された応接室にはナポレオン三世の肖像画がかけてあったが、どうにも威圧的に見下ろしているようで、2人はなんとなく良い気分ではない。

「ミスター小栗、今日はどんなよいお話でしょうか」




 借款と技術供与の交渉が始まった。




 次回予告 第343話 『ロッシュと借款と技術供与』

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