第2話 『6歳の限界』

 1589年6月14日 オランダ アムステルダム <フレデリック・ヘンドリック>

 転生して約3か月、オレはここアムステルダムの市場で調査している。品物の価格や取引の様子を注意深く観察したのだ。




「やあこれはフレデリック様、今日はどうしたんですか?」

 年配のパン屋の主人がオレに声をかけてきたので、店に入って陳列されたパンを見ながら聞く。

「焼きたてパンのいい香りですね。値段はいくらですか?」

「普通の白パンで4スタイバーほどになりますが、フレデリック様にはちょっとお安くできますよ」

 パン屋の主人は笑顔で答えた。

「4スタイバーですか。売れ行きはどうですか? ここ数年で上がっていますか? 店の開店当初と比べてどうですか?」

 この店は店主で2代目なのだが、それでも店主に代わってから30年の歴史がある。

 パン屋の主人は少し驚いた様子で、オレの質問に答え始めた。

「フレデリック様、なかなか鋭いご質問ですね。確かに、ここ数年で値段は上がっています。私が店を継いだ頃は2スタイバーほどでしたから、倍近くになってしまいました」

 主人は少し考え込んでから続ける。

「売れ行きは…… 正直に言うと、以前ほど良くありません。お客様の数が減っているんです」

 そりゃあ物価が高くなれば、買い物客は減るよね。賃金が比例して上がればいいけど、変わらないなら買う量や頻度を減らして支出を減らさないと。エンゲル係数がめちゃくちゃ高いんだろうか。

「どうしてそんなに値段が上がったんですか?」

「小麦の値段が高くなったのが一番の理由です。それに、薪も高くなりました。職人の給金も少し上げないといけなくて……」

 主人はため息をつきながら説明した。

「でも、パンが高くなると、みんな買えなくなりませんか?」

 オレが問いかけると、主人は悲しそうな表情を浮かべる。

「そのとおりです。だから、パンを小さくしたり、安い材料を使ったりして何とか工夫しているんですが、それでも難しくなってきています」

 オレは店内を見回しながら、さらに質問を投げかける。

「他のお店はどうですか? みんな大変なんですか?」

「ええ、どこも似たりよったりの状況です。中には店を畳むところも出てきました。でも、私たちはできるだけ頑張って続けていきたいと思っています」

「分かりました。……それと、今日はパンを1つください」

 オレはそう言って代金を支払い、パンを小脇に抱えて市場を回る。魚屋や肉屋、様々な店を回るうちに、八百屋で気づいたことがあった。

 じゃがいもが、ないのだ。




 ここ1か月で分かったこと。

 物価が高い。慢性的なインフレで、人口が増えているのに食料の供給が追いつかずに、結果的に物価が上がっている状況なのだ。賃金が上がらないから庶民は生活苦になる。

 逆に商工業者にとっては安い賃金で労働者を雇えるので、それはある意味、商工業の発展を促しているともいえる。

 特に穀物の高騰がひどい。

 小麦やオーツ麦、麦芽などの穀物に加えて、干し草や|藁《わら》が高騰しているのだ。これに対してバターや鶏卵、鶏肉、ビールなども上昇はしているが、半分から3分の1の上昇率だ。

 ……それにしても、じゃがいもはなんでなかったんだろうか?

 ん? ヨーロッパに広まるのはまだ先の話かな?

 まてよ? トウモロコシは見たぞ。同じ時期に新大陸から渡ってきたんじゃなかったっけか。

 ……うーん。いや、逆に価格高騰は抑えられないかもしれないけど、じゃがいもを普及させれば人口が増加してもOKなんじゃないか。




 よし、もう一度探してみよう。手に入れたら家庭菜園で栽培する。調理方法も考えて、紹介すれば受け入れてもらえるはずだ。しかしなんで普及していないんだろうか……。




 ■アムステルダム <フレデリック>

 あれからオレは市内の市場を探し回ったが、じゃがいもは見当たらなかった。

 それどころか、ジャガイモってなんだ? と聞かれたのだ。

 おかしい。

 その後は市場をでて、郊外の農家を探し回った。さすがに見つかると思ったんだが、誰も栽培していない。口をそろえて『じゃがいも?』と聞かれたのだ。

 おかしい。おかしいぞ。ジャガイモは中南米原産でスペインが持ち帰ったんじゃないのか? 1570年前後に中南米から渡来しているはずだ。市場でもなく、農家も知らないなら、ないのと同じじゃないか。

 読んだ文献が間違っていたのか?

 いやいや、年代が若干違っても、じゃがいもが15~16世紀にヨーロッパに伝来したのは通説だ。もしかして歴史が変わってる?

 マジで参った。

 しかし止める訳にはいかない。困った時は……知ってそうな人に聞くのが一番だ。そこでまず、地元の博物学者を訪ね、新しい作物に関する情報を得ようと考えた。彼らなら何か知っているかもしれない。
 
「Patata(じゃがいも)? 聞いたことありませんね」

 最初に訪れた博物学者は首をかしげ、次に訪れた学者も同じ反応だったが、3人目の学者は違った。

「おや、フレデリック様ではありませんか。どうしたのですか? まさかPatataにご興味がおありとは」

 やっと、やっとだ。やっとジャガイモに到達した。聞けば確かにオレの予想通り、中南米から20年ほど前に渡来している。オレは興奮を抑えながら、学者にさらに詳しい話を聞いた。

「Patataは確かに珍しい植物です。スペインの探検家たちが新大陸から持ち帰った物ですが、まだ一般には広まっていません」

 とカロルス・クルシウスは説明した。

「どこで見られますか?」

 もったいない! オレは急いで尋ねた。

「今は季節ではありませんから、ちょうど私も裏の植物園で植え付けをするところなのです。Potataは一部の植物園や貴族の庭園で栽培されているだけですし、それも観賞用としてで、食用としてはほとんど扱われていません」

「そんな馬鹿な! まさか食べられないわけではないでしょう?」

「いえ、食べられますが、多くの人はまだその価値を理解していません。毒があると誤解している人も多いのです。聖書に載っていないので悪魔の食べ物と忌避している者も多いのが現実です」

 クルシウスはそう説明し、悲しげな表情で続ける。ああ、あの青っぽくなった皮とか芽のことだな。

「実はこのPatataには驚くべき特性があるのです。ヨーロッパの主要作物と比べ、寒冷な気候にも強く、やせた土地でも育ちます。さらに、同じ面積で栽培すると、他の作物よりも収穫量が格段に多いのです」

 オレは目を見開いた。学者のお墨付きがあれば、大々的に生産ができる。そうなれば食糧問題は解決され、飢餓問題や、ひいては労働力の向上につながって、生産性が上がる。

 戦争する際の兵糧にしたってそうだ。

「それほど優れた作物なのに、なぜ広まっていないのでしょうか」

「新しいものへの抵抗がある上、宗教的な偏見も障害となっています。しかし、私はこの作物が将来、食糧不足に悩む地域を救う可能性があると確信しているのです」

 クルシウスは肩を落とした。

 良し! 良し! 良し!

「すみません。これ、種芋をわけていただくことはできませんか?」

 クルシウスは少し考え込んだ。

「苗芋をお分けする、ですか。珍しい要望ですね。通常、この植物はまだ研究段階で、一般の方にお渡しはできないのですが……」

 クルシウスは考え込んでいたが、オレのキラキラしたまなざし(?)に心動かされたのだろうか。

 でもオレは急に気づいた。そうだ、なんでこんな小規模な話をしているんだ?

「クルシウス先生、ちょっと待ってください。もっと大きく考えましょう」

 クルシウスは興味深そうにオレを見た。

「ここにある種芋全部を使えばいいんじゃないですか? 兄上に許可をもらって、先生の指導の下で大々的に栽培するんです。オレも手伝います」

 クルシウスは驚いて目を見開いた。

「1個の種芋から10個ほどの芋ができるんでしょう? それなら、倍々で増やせるはずです。ネーデルランド中の種芋を集めて、いやヨーロッパ中から集めるのです」

 オレはさらに熱を込めて話を続けた。

「先生、すぐに兄に話を持ちかけましょう。この計画を実現させれば、ネーデルランドの、いやヨーロッパの未来が変わるかもしれないんです」




 ようやくフレデリックのジャガイモ大栽培計画が始まった。




 次回予告 第3話 『フレデリックの政治の勉強』

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