第345話 『首里城下にて』

 元治元年十一月五日(1864/12/22) 琉球 御茶屋御殿うどぅん

 2日後にクリスマスイブを控え、それが過ぎれば年末年始で普通は交渉事などやりたくないはずだが、イギリスとしてはそんなことは言ってられなかった。

 早期に日本との交渉をまとめなければ内閣は総辞職するほかなく、仮に交渉がうまくいったとしてもパーマストン政権は風前の灯火だったのだ。

 シミュレーションの結果、イギリス政府が出した結論は下記のとおりである。

 ※再攻勢は『不可能ではないが極めて非現実的』
 ・既に15隻を失い、極東で戦力を再編するには時間とコストがかかる
 ・世界情勢(アメリカ南北戦争・清国情勢・インド統治)により、イギリスは対日戦争に集中できない。
 ・長距離補給が必要なため、長期戦は困難。
 ・国内世論が戦争継続を支持しない可能性が高い。

 ※もし攻勢をかけるなら?
 ・半年~1年以上の準備期間をかけ、20~30隻以上の艦隊を編制する。
 ・シンガポール・香港を補給基地として活用し、大規模な作戦を展開。
 ・戦争目的を「日本占領(部分的に)」ではなく、「もっとも有効な馬関・大阪・江戸いずれかの経済封鎖」にする。(しかしこれは貿易港を封鎖するので他の列強の恨みを買う)……馬関封鎖は長崎交易にも影響。
 ・フランス・オランダ・清と同盟を組み、日本に圧力をかける。

 しかしこれらの条件を整えるのは極めて困難であり、現実的にイギリスは『講和交渉を打診して締結するしかない』という結論になったのである。




 交渉の場所は御茶屋御殿。

 1677年に薩摩藩の在番奉行や冊封使をもてなすために造営された、迎賓館の役割をする建物である。新暦12月とはいえ琉球は暖かく、冬の澄んだ空気が路地に漂っていた。

 赤瓦の屋根が連なる街並みに、石畳の道が美しい光景を作り出している。

 駐日オランダ総領事兼外交事務官のディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルックと琉球王国の宜野湾朝保、日本側からは外国総奉行の川路聖謨、それに加えて次郎左衛門がいた。

 イギリス側はエイベル・アンソニー・ジェームズ・ガウワーである。国外退去前には長崎領事代理となっていた。

 宜野湾朝保がいた理由は、交渉場所が琉球であるだけでなく、この交渉の行方が国策に直結するからだ。琉球は清国の冊封下にあり、薩摩の附庸国でもあったためである。

 当事者ではないので発言はしないが、いわゆるオブザーバー的存在であった。

「川路殿、これがイギリスが要求する内容です」

 ポルスブルックは英文で書かれた書面を見せ、机の上に置いた。

 川路聖謨は書面を受け取り、目を通した。その内容は予想以上に厳しいものだった。イギリス側の要求は、戦争終結に関する条件、外交関係の回復、貿易と経済関係の3つの柱から成り立っていた。

「蔵人殿、いかがか?」

「のめませんね」

 ガウワーを直視して、次郎は笑顔で淡々と即答した。でしょうな、という顔をしている川路に対して次郎は話しかけ、相談の上でガウワーに発言する。

「まずは戦争の終結、戦闘行為の終結についてはなんの異論もありません。問題はその後です。拿捕だほした艦を返還? 沈没した艦の賠償? 馬鹿げている。わが国が勝ち、貴国は負けたのです。そもそもの前提が間違っているのでは?」

 ガウワーの表情が強張り、言葉を選びながら返答する。

「確かに戦況は我々に不利でした。しかし国際社会における両国の立場を考慮すれば、互いに譲歩し合うことが賢明ではないでしょうか」

「くっくっくっくっ……」

 次郎は冷ややかな笑みを浮かべた。

「いや失礼。国際社会ですか……面白い。では伺いましょう。貴国は清とのアヘン戦争の際、国際社会をどれほど考慮しましたか」
 
 川路は次郎の言葉にうなずきながら、自身の経験を思い出していた。かつてロシアのプチャーチンと交渉した際の緊張感がよみがえる。

「ガウワー殿、我々は貴国の立場も理解しています。しかし、この戦争の結果は明白です。わが国の要求をお聞きください」

 次郎は静かに口を開いた。

 ・イギリス海軍艦艇の琉球国を含む日本領海における行動の無期限禁止
 ・拿捕軍艦の返還ならびに賠償金の支払い拒否と、イギリスに対する戦争被害による賠償金の請求

「よろしいですか? これは戦勝国が敗戦国に対して行う終戦協定の講和会議です。貴国からの条件の提示は受け付けられませんし、わが国が提示した条件の内容を協議するためのものです」

 ガウワーの顔から血の気が引いた。言葉を失い、ポルスブルックに助けを求めるような視線を送った。

「川路殿、次郎殿。この交渉の結果が東アジア全体の情勢に影響を与えることは否めません。両国の立場を尊重しつつ、より広い視点から解決策を模索することが重要ではないでしょうか」

 ポルスブルックも仲介者である以上、イギリスの味方はできない。それどころか心情的には日本寄りなのだ。抽象的でどうとでもとれる発言しかできない。

「具体的には?」

 次郎がポルスブルックに聞いた。

「具体的にはどんな影響を与えるのですか? 例えばイギリスがわが国の要求をすべて、つまり拿捕艦艇の返還ならびに賠償金の支払い拒否、賠償金の請求、そして琉球国を含む日本領海へのイギリス海軍艦艇の立入禁止、これらをのんだ場合です」

「……」

 ポルスブルックは答えられない。

 なぜならばそれはイギリスの国際社会における信用失墜を意味し、極東における影響力の著しい低下を意味していたからだ。

 議論は日が暮れるまで続いた。




 次回予告 第346話 『イギリスの時間稼ぎ?』

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